| 2020/09/07(Mon) 07:08:04 編集(投稿者)
この小文は中野美代子訳岩波文庫版西遊記(新訳)を底本とする。これは李卓吾先生批評西遊記(以下李本)の全訳であり、1592年出版の世徳堂本(以下世本)とほぼ同じ内容を持つ。なお《李卓吾先生批評》というのは版元の商売っ気から出た出鱈目である。この版には各回2枚の挿絵(版画)が付いている。李本と世本で使用されている挿絵は異なる。世本は2枚1場面、李本は2枚2場面である。
まず下に示した挿絵について説明する。上は李本、中は世本のもので第14回、悟空が五行山から出してもらい三蔵にお礼をし、取経のお供を誓っている場面である。(赤線下部は後述)悟空、三蔵、猟師伯欽、馬はすぐわかる。李本で馬の傍に立っている2名は強そうに見えるが伯欽の下男、世本では下男は1人である。また世本には「心猿、正に帰す」というタイトルが付されている。
悟空は裸である。それも道理で釈迦に捕まる前、八卦炉で49日の間焼かれたので身に付けていたものは全て灰燼に帰したのである。第7回で八卦炉から飛び出した悟空も裸で描かれている。但し日本で刊行された《絵本西遊記》の、釈迦の手から飛び立ち地の果てまで来たと思った図の悟空は衣装を着ている(赤線下_上図)。同じく《絵本西遊記》の悟空が三蔵にお礼と誓いの図でも服を着ている(同下図)。衣装は八卦炉でも焼けず500年間五行山に押さえつけられている間も腐ってボロボロにはならなかったという設定である(か、そこまで考えていなかったか、或いは承知の上で構図上そうしたのかは不明)。 では悟空は一切何も持っていなかったかというと如意棒だけは耳の中にしまっていたのである。
そこでまず如意棒から語ろうと思う。これが【悟空の、半分位アプリオリなこの二品】のうちの一つである。悟空の武器と言えばこの如意棒である。意のままに伸び縮みさせることができる棒で、正式には如意金箍棒(にょいきんこぼう)という。「箍」は桶を外から締めつけている「たが」のこと、「金」は金属のことで必ずしもgoldではない(と思う、柔らかすぎる?)。両端に金属の箍がはまっている棒のことである。「棒」というのもただの棒を意味しているのではなく兵器の名称である。棍棒というと正式には「棍」と「棒」の2種類の兵器を指す。棍は威力が増すような特別な加工を施していない、いわゆる木の棒を指す。少林寺は拳法で有名であるが、棍法はそれに勝るとも劣らぬ少林寺武術の代表である。それに対して棒は何らかの加工を施し打撃力を強化した武器である。金属を使用したり、棒の前の部分を太くし重心を移動させ打撃力を増やすなどの加工がおこなわれたものである。
如意金箍棒は全体が鉄でできた黒い棒である。本書には「鉄でできた黒い棒」とあるが(第3回P110)、鉄がFeを指しているかどうかは考証の余地がある。 同じ個所に重さについての記述があり、「箍のそばに文字が一行、―――如意金箍棒 重さ一万三千五百斤」とある。
ネットでは約8トンと説明している。西遊記が書かれた明代では1斤=約600g(第3回P107の但し書き)なので13500斤は8100s≒8.1tである。勿論、如意棒にこの1行が書かれたのはもっと古い時代のはずで1斤の重さも時代により異なるが、今は明代の斤で換算しておく。西遊記研究において数字は大事な手掛かりとなる。この如意棒の前に竜王が出してきた九股のさすまたの重さは3600斤であり、どちらも9の倍数であることに留意しておくべきである。
悟空がどこで如意棒を手に入れたかというと東海竜王の竜宮である。悟空が住む花果山水簾洞にある鉄板橋の下の水は東海竜王が住む竜宮に通じていた。花果山と東海竜王竜宮がどのくらい離れているのかははっきりしないが、読む限りそれほど離れてはいないように感じる。
悟空はそこで武器をねだる。温厚で争いを好まぬ竜王は幾つか所有の武器を見せるが悟空には軽すぎて気に入らない。もううちにはありませんと竜王はいうが、 悟空「龍王さまにない宝なし」。 竜王が困っていると竜王夫人が 「宝物殿に神珍鉄がありますわね。これがここ数日キラキラ光って瑞気がたちのぼっておりますの」 竜王「あれはな、禹が治水のときに江海の深さを決めたおもしで、神鉄のかたまりじゃ。使えるわけがないわい」 夫人「使う使わないはあのかたしだい、さしあげてこの竜宮から出て行っていただければいいのよ」 こういう経緯を経て悟空は如意棒を手に入れた。
禹がこの棒を治水に使ったのはわかった。明代、禹は伝説の人であり、治水に努めた夏王朝の創始者であった。現在も一つを除けばその認識は間違っていない。その一つとは伝説という部分である。どうも夏という王朝は実在したということになってきている。洛陽から遠くない二里頭辺りの遺跡が夏王朝のものであるのはほぼ間違いのないところのようだ。 時代は紀元前2100年〜(1800〜1500年)と推定されている。であるから禹が治水に励んでいたのは紀元前2100年頃である。
話を進める前に、ここで私の西遊記への想いを述べる。西遊記は未だ完成していない、これが私の基本認識である。一応世本を以て完成ということにはなっているけれども、それはそれまでの西遊記を集大成したという意味で、元代にも、明初期にも西遊記はあった。また芝居も戯曲もある。それをある集団がまとめあげたのが世本西遊記である。そこには数多くの矛盾があり、修復不可能のようにみえるものもあれば西遊真詮(清代に出版された簡本)で手直しされている箇所もある。私の研究は未来のより完成された西遊記の一助になるのが目的でなされているのである。
そういう考えを持っているので、禹は伝説の人、という認識の下に書かれた西遊記に、現在夏王朝の実在が確実になったからといってそれを話に持ち込むのはナンセンス、とは全然考えていない。それで矛盾が起きなければ(或いはそれによって起こる矛盾よりも大きな既存の矛盾が解決されれば)西遊記に採用して構わないと考えている。そういう観点から見ても禹の生きた時代が紀元前2100年頃という設定は西遊記の基本設計に大きく抵触することはない。
次の問い、それでは誰が如意棒を作ったのであろうか? ウィキペディアの如意金箍棒の項には太上老君作とある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E6%84%8F%E9%87%91%E7%AE%8D%E6%A3%92 これは半分当たっている。どういうことか? 西遊記では戦いが起こる前に色々自慢しあう。「やあやあ、我こそは〜」と同じである。自分の武器についても自慢する。 第74回〜第77回は三魔王事件である。第75回で悟空は大魔王と戦うがそこで悟空は如意棒自慢を披露する(第75回P223)。その冒頭 「この棒は九転鉄を煉り 老君自から鍛えしもの 禹が求め神珍と命名し 四海八河を治めしもの (以下略)」 とある。 ウィキペディアはここを根拠としている(多分)。 九転鉄の意味は9度鍛えなおした鉄という意味か?道教用語は意味が深くてよくわからないものが多い。
第88〜90回は九霊元聖事件である。場所は天竺国玉華県、玉華王の王子に如意棒を見せる場面がある(第88回P336)。 「天地開闢の時に鍛えられ 神なる大禹が自らつくる 湖海や江河の深い浅いは この棒で計ったものだぞ (以下略)」 ここには太上老君は出てこないが 多分天地開闢の時に(太上老君に)鍛えられ それを禹がもらい受け(禹の手で)棒を作った ということだろう。 海や河の深浅を計り、また海底湖底を突き固めるには尋常の物では到底成し得ず、老君を頼ったということか?素材は老君が製品は禹が作ったということである。
さて如意棒に関して私が悟空に一番聞いてみたいことは 「耳にしまっている時も重さは8トンあるの?」 である。 この如意棒、何度か盗まれる、或いは戦いの末巻き上げられる。重さは大きさに応じて変わるのか?妖怪は力持ち揃いなのか?
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