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■6598 / inTopicNo.85)  Re[16]: ニーチェのカント的道徳批判
  
□投稿者/ ななし -(2020/09/13(Sun) 19:29:12)
    >私もドーキンスの「利己的な遺伝子」は読みましたが、進化論に関してはセントラルドクマを根底としたネオダーウィニズムよりも、「自己組織化と進化の論理」の著者でもあるスチュアート・カウフマンの発想の方が面白かったです。

    久しぶりにカウフマンの名前を目にしました。

    カウフマンによれば、生命の発生と進化には自然淘汰の他に自己組織化が必要で
    あり、進化の結果、生命は「カオスの縁」から生まれ存在するという仮説ですね。

    カウフマンと言えば複雑系研究のメッカであるサンタフェ研究所を思い起こしますが、20年以上前、当時は、自分も物凄く入れ込みをして「カオスの縁(edge of chaos)」にきっと答えが出てくると思っていたものです。

    現在は、どうなっているのでしょう。





引用返信/返信 削除キー/
■6583 / inTopicNo.86)  Re[15]: ニーチェのカント的道徳批判
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/13(Sun) 16:50:04)
    こんにちは、ななしさん。
    私もドーキンスの「利己的な遺伝子」は読みましたが、進化論に関してはセントラルドクマを根底としたネオダーウィニズムよりも、「自己組織化と進化の論理」の著者でもあるスチュアート・カウフマンの発想の方が面白かったです。

    返信する前に先のななしさんの投稿が文字化けしているところがあり、論旨が読み取れません。半角カナなど文字化けすることがありますので、以下の箇所のみ再投稿いただくか編集いただくと有難いです。

    以下の・・・のところが文字化けして読めません。

    No6581に返信(ななしさんの記事」)

    > つまり、ジュディス・リッチ・ハリスによれば、「氏か育ちか」といった時、子どもが、親のいうことをきくように「設計」されていない遺伝子に組み込まれていないからたのようです。

    つまり・・・ィス・リッチ・ハリスによれば
    子と・・・、親のいうことを

    > わたしたちはみな、生命誕生以来の40億年の長い歴史のなかで、より多くの子孫を残すよう設計された生き物の末裔なのだと言えます。

    長い歴史のなかて・・・、
    生き物の末裔なのた・・・と言えます。


引用返信/返信 削除キー/
■6581 / inTopicNo.87)  Re[14]: ニーチェのカント的道徳批判
□投稿者/ ななし -(2020/09/13(Sun) 16:29:03)
    パニチェさん、こんばんは。

    お話の件は、まるでリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」のようにも思えます。

    つまり、我々人間を含めた生物個体は遺伝子が自らのコピーを残すために一時的に作り出した「乗り物」に過ぎないという理論です。

    生物の行動パターンやありようを「利己的な遺伝子」によって説明し、適応は遺伝子の淘汰であると考えたリチャード・ドーキンス。

    対して、古生物学者として大量絶滅に可能性を見いだし、進化は偶然に助けられたとして「断続平衡説」を説くスティーヴン・J・グールド。
    異なる見解で面白いのですが、徐々にか突発的になのかは分かりませんが自然は、
    「決定論」のように、ある程度、何かが、決定されているように感じます。

    心理学者であるハリスは、行動遺伝学において、知能や性格などのほとんどが遺伝と外部の環境(非共有環境)で説明でき、子育て(共有環境)が子どもに与える影響はほぼゼロだという謎を見事に解きました。

    子どもは遺伝と友だち環境のなかで自分の"キャラ"をつくっていく。

    日本では親の子育てが子どもの将来を決めると信じられていますが、賢くていい子に育つのはたまたま運がよかったからなんですね。

    つまり、ジュディス・リッチ・ハリスによれば、「氏か育ちか」といった時、子どもが、親のいうことをきくように「設計」されていない遺伝子に組み込まれていないからたのようです。

    わたしたちはみな、生命誕生以来の40億年の長い歴史のなかで、より多くの子孫を残すよう設計された生き物の末裔なのだと言えます。






引用返信/返信 削除キー/
■6577 / inTopicNo.88)  ニーチェのカント的道徳批判
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/13(Sun) 15:03:01)
    2020/09/13(Sun) 15:11:49 編集(投稿者)

    いろいろありますが「善悪の彼岸」よりひとつ引用しておきます。

    『われわれの内には定言命令法がある」、というような主張の価値について措いて問わぬとしても、なおもわれわれはこう問うことができる。そもそもこうした主張はその主張者について何を証言しているのか、と。道徳のなかには、この主唱者を他の者に対して弁護することを意図したものでもある。また、主唱者の心を安らわせ自己満足を覚えさせようとするための道徳でもある。さらには、主唱者が自分自身を磔(はりつけ)に処し屈辱にまみれさせようとするための道徳でもある。なおまた、主唱者が復讐しようとするための道徳、自己を隠匿しようとするための道徳、自己を浄化して高くはるかな天上へとのぼろうとするための道徳もある。ある道徳は、その主唱者が他のものを忘却するのに役立ち、またある道徳は、その主唱者が自己あるいは自己のあるものを人に忘却せしめるのに役立つ。人類のうえに権力と創意に富んだ思いつきを実行してみようとする多くの道徳家もいるし、他方また多くの道徳家は、ほかならぬカントもその仲間だが、自分の道徳論によって次のようなことをほのめかす、「私において敬重さるべきことは、私が服従しうるという一事だ。──されば、あなたたちも私とまったく同じようにあるべきである!」と。──要するに、もろもろの道徳とても情念の符号にすぎないのだ。(ニーチェ著「善悪の彼岸 第187番」より引用)』

    パニチェ的に道徳とは。。。
    人間が人間という種族の維持繁栄のために創出したものであり、自己保存本能や種の保存本能というDNAのベクトル、絶えざる種の拡散に無意識的に従ったものの表出であると思います。

    牛豚を殺して食しても道徳的に問われることがないのはその証拠であり、その是非を問うのは道徳ではなく特定宗教のドグマによるものでしかない。

    病原菌は種族の維持という目的に適わないから「悪」玉菌。
    ビフィズス菌は種族維持という目的に適うから「善」玉菌。
引用返信/返信 削除キー/
■6573 / inTopicNo.89)  聖霊の働き
□投稿者/ ななし -(2020/09/13(Sun) 11:23:23)
    平安と幸福が訪れますように・・・。

    ヨハネ14:16−18

    「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。 その方は、真理の御霊です。 世はその方を受け入れることができません。 世はその方を見もせず、知りもしないからです。 しかし、あなたがたはその方を知っています。 その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。 わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。」

    十字架の処刑、復活後のイエスの顕現された最後の場所は、オリーブ山の麓にあるベタニヤであったようです(ルカ24:50、使徒1:12)。イエスはそこで弟子たちに、エルサレムを離れないで父の約束を待つこと、そして約束の聖霊が弟子たちの上に臨まれるとき、力を受け、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となることを伝えました。この後に、イエスが天に上って行かれ、雲に包まれて見えなくなられました(使徒1:9〜11)。そして再び、雲に乗って来られると御使い(御使いはいつも白い衣を着ています)は言いました。

    この助け主こそが、聖霊です。

    今日は、日曜日。
    聖霊の力とは「イエスの御名の現われ」です。

    今一度、神の約束された聖霊が注がれることに感謝し、イエスが使徒たちを「ベタニヤ」に連れ出したことは、きわめて預言的な行為であり、「ベタニヤ」はイエスを心から歓迎し、イエスのみことばに聞き入り、神の本意、すなわち神のご計画と心を悟り、そして神に対する悔い改めをもたらす象徴的な場所なのです。

    なぜなら、主は再びそこに戻って来られるからです。
引用返信/返信 削除キー/
■6240 / inTopicNo.90)  Re[11]: 苦の因
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/06(Sun) 17:14:17)
    2020/09/06(Sun) 17:17:01 編集(投稿者)

    レスありがとうございます。

    No6239に返信(ななしさんの記事)
    > パニチェさん、ご指摘及び詳しい解説ありがとうございます。

    どういたしまして。それより、ななしさんが私が思った通りの寛大かつ謙虚な方で良かったです。
    独善的な発想かもしれませんが正直に思ったり感じたことをレスするのが私にとっては誠意ある返信だと思っていますので、先の反論めいた返信を寛容いただきありがとうございました。
    仏教の十悪のひとつ「綺語」ってのは、真実にそむいて言葉を巧みに偽り飾ることらしく、これも避けるべきというのが仏説みたいですし。。。

    > とかく自分の事は、よく見えません。

    それは私も同じです。^^

    > このように書き込みしてみて批判を受けることで、
    > より良い生き方ができるように思えます。

    そう言ってもらえると、ほんと返信して良かったと思えます。

    > 自分自身、信仰と修業について、さらに励みたいと思います。

    私もです。
引用返信/返信 削除キー/
■6239 / inTopicNo.91)  Re[10]: 苦の因
□投稿者/ ななし -(2020/09/06(Sun) 16:57:47)
    パニチェさん、ご指摘及び詳しい解説ありがとうございます。

    とかく自分の事は、よく見えません。

    このように書き込みしてみて批判を受けることで、
    より良い生き方ができるように思えます。

    自分自身、信仰と修業について、さらに励みたいと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■6235 / inTopicNo.92)  苦の因
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/06(Sun) 15:32:50)
    2020/09/06(Sun) 16:33:25 編集(投稿者)

    こんにちは、ななしさん。レスありがとうございます。

    No6233に返信(ななしさんの記事)

    > >> このとき仏教は超越的な神に頼ろうとする、その下心が苦の源だと考えます。

    > >これは仏典に基いたものではないですよね?
    > >もし何れかの仏典からであれば、その仏典の参考箇所を引用下さい。

    > 神に頼むこと祈りは「存在欲」から生まれるので、生死を超えられないと
    > 以下を引用します。

    > スッタニパータ(経集)第5章「彼岸道品」3バラモンの門弟プンナカ尊者の問い

    中村元の訳ではバラモンの門弟ではなく「第五 彼岸に至る道の章 4.学生プンナカの質問」になっています。
    以下のサイトも同じです。

    h*ttp://suttanipata.com/acyafafafsaaea/

    > 1043
    > プンナカさんがたずねた、
    > 「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王室やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのですか?先生!あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

    > 1044
    > 師(ブッダ)は答えた、
    > 「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」

    > 1045
    > 「先生! およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、祭祀の道において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか? わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

    > 1046
    > 師は答えた、
    > 「プンナカよ。かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない。かれらは生や老衰をのり超えてはいない、とわたしは説く。」

    > 1047
    > プンナカさんがいった、
    > 「もしも供犠に専念している彼らが祭祀によっても生と老衰とを乗り越えていないのでしたら、わが親愛なる友よ、では神々と人間の世界のうちで生と老衰とを乗り越えた人は誰なのですか? 先生! あなたにお尋ねします。それをわたしに説いてください。」

    > 1048
    > 師は答えた、
    > 「プンナカよ。世の中でかれこれ(の状態)を究め明らめ、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人、──かれは生と老衰とを乗り越えた、──と、わたしは説く。」


    > つまるところ、神への祈りも、ご利益を当てにしているだけで、欲望の対象を飽くことなく追求し欲求しているだけに過ぎないと、お釈迦様は、見抜いておられ、決して生死を乗り越えることは出来ないのだと。
    > それよりも、自然の原理をわきまえ、執着せず望むことのない落ち着いた人が乗り越えられるのだと説いているようです。

    あえて断言しますが、上記のななしさんの読解は間違っていると思います。

    上記の問答の論旨はプンナカが「仙人や常の人々や王室やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのですか?」と釈尊に問うたのに対して、釈尊はプンナカに仙人や常の人々や王室やバラモンが老衰にこだわって(老衰の哀れな状態を避けるため)盛んに神々に犠牲を捧げているが、このことによって生や老衰の哀れを乗り越えてはいない(無駄なことをしている)。生と老衰の哀れを乗り越えた人というのは、諦(あき)らかに見極めた、つまり四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)を見極め悟った人であり、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人であると説いたということです。

    上記のどこにも「超越的な神に頼ろうとする、その下心が苦の源」であるとは説いておりません。またそのようなことが説かれている仏典は見たことがありません。

    次の「第五 彼岸に至る道の章 5.学生メッタグーの質問」に答えた1050に「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するものを問うた。わたしは知り得たとおりに、そなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執着を縁として生起する。」と明確に説いてます。

    「スッタニパータ 第三 大いなる章 12.二種の観察」にはさらに詳しく苦しみの生起する原因について説かれていますので、読んでみて下さい。

引用返信/返信 削除キー/
■6233 / inTopicNo.93)  Re[8]: 力への意志
□投稿者/ ななし -(2020/09/06(Sun) 14:51:13)
    パニチェさん、こんにちは。

    >> このとき仏教は超越的な神に頼ろうとする、その下心が苦の源だと考えます。

    >これは仏典に基いたものではないですよね?
    >もし何れかの仏典からであれば、その仏典の参考箇所を引用下さい。

    神に頼むこと祈りは「存在欲」から生まれるので、生死を超えられないと
    以下を引用します。

    スッタニパータ(経集)第5章「彼岸道品」3バラモンの門弟プンナカ尊者の問い
    1043
    プンナカさんがたずねた、
    「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王室やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのですか?先生!あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

    1044
    師(ブッダ)は答えた、
    「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」

    1045
    「先生! およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、祭祀の道において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか? わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

    1046
    師は答えた、
    「プンナカよ。かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない。かれらは生や老衰をのり超えてはいない、とわたしは説く。」

    1047
    プンナカさんがいった、
    「もしも供犠に専念している彼らが祭祀によっても生と老衰とを乗り越えていないのでしたら、わが親愛なる友よ、では神々と人間の世界のうちで生と老衰とを乗り越えた人は誰なのですか? 先生! あなたにお尋ねします。それをわたしに説いてください。」

    1048
    師は答えた、
    「プンナカよ。世の中でかれこれ(の状態)を究め明らめ、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人、──かれは生と老衰とを乗り越えた、──と、わたしは説く。」

    つまるところ、神への祈りも、ご利益を当てにしているだけで、欲望の対象を飽くことなく追求し欲求しているだけに過ぎないと、お釈迦様は、見抜いておられ、決して生死を乗り越えることは出来ないのだと。

    それよりも、自然の原理をわきまえ、執着せず望むことのない落ち着いた人が乗り越えられるのだと説いているようです。



引用返信/返信 削除キー/
■6222 / inTopicNo.94)  力への意志
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/06(Sun) 10:54:43)
    ななしさん、おはようございます。
    レスありがとうございます。先にもカキコしましたが、ななしさんとは意見や解釈が異なっても生産的なレス交換ができる気がするので、お互い変な遠慮や余計な気遣いはなしで忌憚なく議論できれば有難いです。

    No6218に返信(ななしさんの記事)
    > パニチェさん、おはようございます。
    > 何か101で閉じるとあったので、こちらに引越してきました。

    了解しました。^^

    > >>「それ は 何らかの 道徳性 や 不道徳 性 の ため にでは なく、 それ が 生き て いる からで あり、 生きる こと は 力 への 意志 で ある からで ある。
    > >上記は引用ですか、それともななしさんの見解ですか?
    > もし善悪の彼岸からの引用であればアフォリズムNoを教えてもらえますか。

    > 二五九 搾取の機能(善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫))
    > の中の「搾取」ということを解説したものの中に、「それは有機体の根本的な機能」であり 生の本質の「力への意志」から生まれたとあって、マルクス批判になっている気がします。
    > つまり、人間の全体的な堕落した形態が社会主義であり、社会主義、というのは、これは、「善、真、美」や「平等」をまったく素樸に夢みていると、いずれ失敗する政策であることを見抜いていたところなどは、ニーチェは、さすがだと思います。

    その通りですね。善悪の彼岸第13番にも「生そのものが権力の意志なのだ」とあります。
    権力の意志とは狭義では『人間が意志するもの、生ける有機体の最小の部分のすべてが意志するもの、それは力への増加である。・・・原形質は何か自分に抵抗するものを求めて、その偽足をのばす、──飢えからではなく、力への意志から。それに続いて、抵抗するものに打ち克ち、我がものとし、同化を試みる。──栄養と呼ばれるものは、より強くなることを意志するところあの根源的意志の後続─現象、応用にすぎない(力への意志 第702番より)』です。

    指摘のように搾取も含まれますし、異質なものを取り込み、我がものとして同化することによって自己拡大していくベクトルや力が生にはあり、それをニーチェは「権力の意志」と呼びます。

    人間は平等ではなく位階がある、進化も全体ではなく部分から生じる。そういう意味において神の元での平等とか禁欲主義的な教義、公平や平等を是とする社会主義や共産主義は、人間を家畜の如く飼いならすような体制であり、生が本来有するベクトルや力を委縮させ抑え込むようなものとして批判します。

    さらに個人的な意見として付け加えれば社会主義や共産主義は性善説を前提としているために、これらの社会体制の多くは腐敗や独裁、国の上層部だけがいい思いをするような堕落国家となります。
    共存共栄と競争淘汰、草食の群居動物と独居を基本とする肉食動物の両面を持ち合わせているのが人間であり、片面だけを是とする思想や社会体制は人間には合いません。

    > それから予定説について面白い動画がありましたので御紹介します。
    > https://www.youtube.com/watch?v=BDQJa7IC5KA

    ごめんなさい、せっかくですが予定説に興味がないのと長いこともありパスさせてもらいます。
    あと以下に違和感があるのでレスさせてもらいます。

    No6164に返信(ななしさんの記事)
    > このとき仏教は超越的な神に頼ろうとする、その下心が苦の源だと考えます。

    これは仏典に基いたものではないですよね?
    もし何れかの仏典からであれば、その仏典の参考箇所を引用下さい。

引用返信/返信 削除キー/
■6218 / inTopicNo.95)  Re[6]: 永劫回帰と運命愛
□投稿者/ ななし -(2020/09/06(Sun) 10:09:03)
    パニチェさん、おはようございます。
    何か101で閉じるとあったので、こちらに引越してきました。


    >>「それ は 何らかの 道徳性 や 不道徳 性 の ため にでは なく、 それ が 生き て いる からで あり、 生きる こと は 力 への 意志 で ある からで ある。

    >上記は引用ですか、それともななしさんの見解ですか?
    もし善悪の彼岸からの引用であればアフォリズムNoを教えてもらえますか。

    二五九 搾取の機能(善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫))
    の中の「搾取」ということを解説したものの中に、「それは有機体の根本的な機能」であり 生の本質の「力への意志」から生まれたとあって、マルクス批判になっている気がします。

    つまり、人間の全体的な堕落した形態が社会主義であり、社会主義、というのは、これは、「善、真、美」や「平等」をまったく素樸に夢みていると、いずれ失敗する政策であることを見抜いていたところなどは、ニーチェは、さすがだと思います。

    それから予定説について面白い動画がありましたので御紹介します。
    https://www.youtube.com/watch?v=BDQJa7IC5KA

引用返信/返信 削除キー/
■6216 / inTopicNo.96)  Re[5]: 永劫回帰と運命愛
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/09/06(Sun) 09:59:53)
    No6215に返信(パニチェさんの記事)
    > 無数度にわたって同じ人生を生きるとしても後悔しないような選択をせよ。
    >
    > 常に今ある自己に満足することなく自己超克していくこと。
    >
    > 『脱皮する。─脱皮することのできない蛇は破滅する。その意見を変えることを妨げられた精神の持ち主たちも同様である。彼らは精神であることを止める。(ニーチェ著「曙光 第573番」より)』
    >
    > 今ある自分を肯定するなら、自己を育てた全ての経験、辛かったことも、悲しかったことも含め肯定せよ。
    >
    > それが最も崇高な自己への愛であり、運命愛でもある。
    >
    > 永劫回帰と運命愛は教訓的な意味においては表裏となる。


    なるほどですね。

    それなら、■6215なら、ガンジーと一緒ですね。

    ってことは、マジモンは性根が悪いという事ですね。
引用返信/返信 削除キー/

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