| パニチェさん、私も読みました。
ただ、この本は、もちろん瞑想法に基づいたことでしょうが、根幹は、「正見」の「無我」からスタートしないといけないなと思いました。
ここがブレると肝心のものが掴みそこなうと思いました。
ますます、物事が予定説や因果律の決定論的に見えてきて、「ドゥフカ」ままならないこと「苦」というものが見えた気がします。
「無我」や「空」は、どちらも仏様が慈悲心で人々に示された慈悲の言葉です。
囚われの自分から「青空としてのわたし」に気づくことなのだと思います。
思索と実践を繰り返して見えない自分が見えてくるようなものでしょうか。
「比類なき私」が既に「無我」であるとする永井さんの独特の独我論は、ある意味、大変、分かりやすいです。
クリスチャンでも祈りが祈りになるためには、無我のこの場所に立たないといけないかもしれませんね。
|