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■6972 / inTopicNo.49)  minoriさんへ
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/22(Tue) 22:39:26)
    こんばんは、minoriさん。レスありがとうございます。

    No6958に返信(minoriさんの記事)
    > プラトニズムというのは、プラトン哲学そのものではないんですね?
    > 恥ずかしながら知らないんです。。。
    > プラトンそのものの洞窟の比喩についてはおぼろげながらわかるのですが。
    > プラトン時代にフィルムがあったわけはないので、後に再び復活したプラトン哲学がプラトニズム? と思ったのです。。
    > わ〜、なんか書いてて恥ずかしいです。。。

    映画が現象界とすればその根源となるようなフィルム(イデア)があるみたいな思想です。
    「洞窟の比喩」で検索すれば分かりやすいかもしれません。

    > キサーゴータミーの芥子の実のお話は、最初知った時、衝撃でもありました。
    > ええ? それ酷いんじゃない? なんて若気の至り(若くもなかったけど)感じたんです。
    > でも、次第に理解できるようになっていきました。
    > もうずいぶん前の話ですが。
    > 草薙龍瞬さんの「反応しない練習」は読んではないですけど、ネットで紹介されているのを拝見すると、わかりやすくて、原始仏教に馴染みのない人にも多く読まれているようですね。
    > 「反応しない」っていうのは、突き刺さるぐらいその大切さが理解できますし、苦を広げないための良薬ですね。
    > という感じで、けして仏教が嫌いなのではないんです。

    了解です。

    > 追求するものがある、というのは楽しみでもありますよね。
    > 私の場合は、確信が得られなくてもそれはそれで・・・という感じには思ってます。
    > 第四図(という言葉をお借りして)でも、それなりに楽しいですし。

    同感です。

    > いえいえ・・(〃▽〃)、聖書をもじって書かれているところもあり・・・というのは知りませんでした。
    > 神仏に依存しないというのに、もじっているというのはどうして?と、ふと思いました。 変な疑問ですみません。。

    聖書をパロっているのか、挑発しているのか、対抗しているのか。。。
    私にもよく分かりません。^^


引用返信/返信 削除キー/
■6966 / inTopicNo.50)  〈仏教3.0〉を哲学する バージョンU
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/22(Tue) 17:28:36)
    レスありがとうございます。

    No6959に返信(ななしさんの記事)

    > パニチェさん、いろいろアドバイスありがとうございます。
    > 〈仏教3.0〉を哲学する バージョンIIを読み終えましたが、Uは余り期待できないと仰った意味が何となく分かりました。
    > そして、西洋哲学が、仏教と手を組むことの難しさを感じました。

    あら、もう読まれましたか。めちゃめちゃ早いですね。^^

    > 三人が三様の方向を見ているような気がして、特に永井先生は、もうやめましょうと
    > 鼎談を終了する方向を示しているようで、特に慈悲の問題については、後で柳田神父さんも出てきてコメントをしていましたが、言葉と行動が一致していない「羊頭狗肉」のような感じを受けました。

    柳田神父さんのことはともかく、後書きにもありましたが、三人の違いがより明確になったのがバージョンUですね。

    > ただ、永井先生のカントの実践理性については、自分とほぼ同じ見解だったので
    > 少し安心したのですが、この三人は、ビジネスとして、出版社か主催者に言われてやらされている感が文字の間から見えた気がしました。

    同意です。

    > やはり、〈仏教3.0〉への道のりは遠いなあと感じた次第です。

    葬式・法事。先祖供養を主としない、自分の悟りを最優先にするような上座部的ではない、また新宗教によくある教祖やトップを崇めず法を依りどころとした(依法不依人)仏教を3.0とするなら意義あることだとは思いますが。。。
引用返信/返信 削除キー/
■6959 / inTopicNo.51)  抜苦与楽
□投稿者/ ななし -(2020/09/22(Tue) 13:45:26)
    パニチェさん、いろいろアドバイスありがとうございます。

    〈仏教3.0〉を哲学する バージョンIIを読み終えましたが、Uは余り期待できないと仰った意味が何となく分かりました。
    そして、西洋哲学が、仏教と手を組むことの難しさを感じました。

    三人が三様の方向を見ているような気がして、特に永井先生は、もうやめましょうと
    鼎談を終了する方向を示しているようで、特に慈悲の問題については、後で柳田神父さんも出てきてコメントをしていましたが、言葉と行動が一致していない「羊頭狗肉」のような感じを受けました。

    ただ、永井先生のカントの実践理性については、自分とほぼ同じ見解だったので
    少し安心したのですが、この三人は、ビジネスとして、出版社か主催者に言われてやらされている感が文字の間から見えた気がしました。

    やはり、〈仏教3.0〉への道のりは遠いなあと感じた次第です。

引用返信/返信 削除キー/
■6958 / inTopicNo.52)  パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/09/22(Tue) 13:38:25)
    パニチェさん、ありがとうございます。

    > 内容なしどころか大ありですね。
    > スクリーンと映画の比喩は自我だけではなく、時間論とかも含めていろいろなところで使われていますね。
    > プラトニズムならフィルムも題材にされます。スクリーン映る映像は洞窟の比喩でいうところの影であって実体はフィルムであるとか。。。^^

    プラトニズムというのは、プラトン哲学そのものではないんですね?
    恥ずかしながら知らないんです。。。
    プラトンそのものの洞窟の比喩についてはおぼろげながらわかるのですが。
    プラトン時代にフィルムがあったわけはないので、後に再び復活したプラトン哲学がプラトニズム? と思ったのです。。
    わ〜、なんか書いてて恥ずかしいです。。。

    >>そして、minoriを例としていえば、その眼球から広がって見えている世界の様々と感覚器官を通じて交流したり経験して生活している、と考えています。
    >>カントの認識論でいうと「現象」の世界ですね、時間・空間の枠を通して世界を認識しているし、また、カテゴリー分けされた世界を生きるの一員です。
    >>(この部分について、パニチェさんも似通った認識をされているのか否かについては、今は不明です。)
    >
    > 同意します。

    よかったです。^^

    > そうなんですね。
    > 仏教のよいところというか懐の深いとことは、多くの道が示されていることと、「筏の譬え」にもあるように道や乗り物に執着することも戒められていることです。

    キサーゴータミーの芥子の実のお話は、最初知った時、衝撃でもありました。
    ええ? それ酷いんじゃない? なんて若気の至り(若くもなかったけど)感じたんです。
    でも、次第に理解できるようになっていきました。
    もうずいぶん前の話ですが。
    草薙龍瞬さんの「反応しない練習」は読んではないですけど、ネットで紹介されているのを拝見すると、わかりやすくて、原始仏教に馴染みのない人にも多く読まれているようですね。
    「反応しない」っていうのは、突き刺さるぐらいその大切さが理解できますし、苦を広げないための良薬ですね。
    という感じで、けして仏教が嫌いなのではないんです。

    >>しかし。第四図という言葉をお借りすれば・・、その第四図として見えている世界(マッハ的光景、あるいはカントだと「現象」はそれに当たりますよね。それらが良い、悪い、高い、低い というような価値判断を離れて。)ではない世界の観方というのはどうなのだろう、という好奇心は捨てきれないものがあります。
    >>生きる苦悩という意味においては、「究極においてはそれと共にある」しかないのだ(完全に無くすなんて無謀)とわかったので、どうにかしようとは思ってないのですが、知的好奇心は消えないです。。。
    >
    > 私も同じです。
    > 風車に挑む無謀かつ無意味なドンキホーテになってもいいので、言語と論理による見性悟道をやってるつもりです(自己満でも。。。)

    追求するものがある、というのは楽しみでもありますよね。
    私の場合は、確信が得られなくてもそれはそれで・・・という感じには思ってます。
    第四図(という言葉をお借りして)でも、それなりに楽しいですし。

    >>パニチェさんは、〈私〉についての探究は、ライフホビーとおっしゃっていましたが、それはやはり知的好奇心から発生するものですか?
    >>それとも、それ+抜苦というような意味合いもあるのですか?
    >
    > もともとは小学校の低学年の時に「なんで、自分は隣の〇○ちゃんではなく、自分なんやろう?」という単純な疑問からです。

    その年齢で既に実存的な疑問を持つというのは、やはりすごいですよ。

    > 後から振り返れば、この疑問には抜苦の要素も多少あったかもしれませんね。

    そうだったのですね。


    >>教えて頂いた後(パニチェさんの、このご投稿を拝見後)、少しネットで調べたのですが、ツァラトゥストラの最初の方に出てくる文章だそうですね。^^
    >>高まる決意と情熱を表現しているのでしょうね。
    >
    > その通りです。
    > ご存知だとは思いますがツァラトゥストラは物語になっていて、聖書をもじって書かれているところもあり、神仏に依存しない実存主義的な人間にとっての福音書(金言集)のような書籍です。

    いえいえ・・(〃▽〃)、聖書をもじって書かれているところもあり・・・というのは知りませんでした。
    神仏に依存しないというのに、もじっているというのはどうして?と、ふと思いました。 変な疑問ですみません。。
引用返信/返信 削除キー/
■6954 / inTopicNo.53)  単純な疑問から>minoriさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/22(Tue) 08:44:17)
    2020/09/22(Tue) 09:03:54 編集(投稿者)

    おはようございます、minoriさん。レスありがとうございます。

    No6949に返信(minoriさんの記事)

    > はい、結果的にシンクロっぽくて驚きました。
    > なにしろ実は、「これ書いてるけど、パニチェさんとか読まれたら、意味不明すぎで内容なしって思われるのかもしれないな。」などと、少しばかり悲観的思考もしながら書いてましたから。
    > 結果的に、書いてみてよかったようでした。^^

    内容なしどころか大ありですね。
    スクリーンと映画の比喩は自我だけではなく、時間論とかも含めていろいろなところで使われていますね。
    プラトニズムならフィルムも題材にされます。スクリーン映る映像は洞窟の比喩でいうところの影であって実体はフィルムであるとか。。。^^

    > はい。パニチェさんの書かれている〈私〉についてですが、minori自身においてもその通りだと思います。
    > ということで、「比類なき先言の<私>」についての理解が、完全100%とは言えないとは思いますが、上に書かれている部分においては理解していると思います。
    > 「区別している」という表現は、「唯一無二で比類なき」の別表現をminoriなりにしたもの、と考えていただければ、です。

    了解です!^^

    > そして、minoriを例としていえば、その眼球から広がって見えている世界の様々と感覚器官を通じて交流したり経験して生活している、と考えています。
    > カントの認識論でいうと「現象」の世界ですね、時間・空間の枠を通して世界を認識しているし、また、カテゴリー分けされた世界を生きるの一員です。
    > (この部分について、パニチェさんも似通った認識をされているのか否かについては、今は不明です。)

    同意します。

    > 私もいわゆるアドヴァイタ体験の大きなもの、というのは経験していないですよ。
    > なんか・・あれ?っていうようなのはありましたけど、その体験によって世界観が一変したというような体験をしてはいません。
    > 基本的には、静かに瞑想することと、気づきを意識的に保つこと(マインドフルネスのように)、ダイレクトパスという手法について書かれた本を読み実際に考察する、というようなことを通じ、「気づき」はどうやら身体に閉じ込められたものではない、というのを理解しつつあるという感じです。
    > ですので、確信しているわけではないです。
    > 方法、道は、人によっての相性ですので、縁あって出会い、いいなと感じたものが選ばれていくわけで、興味を引かなければ無理に知る必要もないのだろうな、と思います。
    > 私は最初は、原始仏教が実直まじめそうでこれがいいに違いない、と思ったのですが、私には合わないことにしばらくして気づきました。

    そうなんですね。
    仏教のよいところというか懐の深いとことは、多くの道が示されていることと、「筏の譬え」にもあるように道や乗り物に執着することも戒められていることです。

    > 山下さんご自身は、修行されて、深くかつ明晰な意識状態においての体験を通じ、世界観が一変されたのだと想像するのですが、誰しもがそのような体験をするのは不可能です。
    > ですので、minori自身が考えるには・・・山下さんのされた体験というのはとても特異なもの(我々、してない人からすれば)で、それは一種、手の届きようもないXとでもしておくしかないようなものだと思うんですね。
    > ですから、それに憧れたり、同じ体験を願ったりしてもしかたないわけで・・。

    > しかし。第四図という言葉をお借りすれば・・、その第四図として見えている世界(マッハ的光景、あるいはカントだと「現象」はそれに当たりますよね。それらが良い、悪い、高い、低い というような価値判断を離れて。)ではない世界の観方というのはどうなのだろう、という好奇心は捨てきれないものがあります。
    > 生きる苦悩という意味においては、「究極においてはそれと共にある」しかないのだ(完全に無くすなんて無謀)とわかったので、どうにかしようとは思ってないのですが、知的好奇心は消えないです。。。

    私も同じです。
    風車に挑む無謀かつ無意味なドンキホーテになってもいいので、言語と論理による見性悟道をやってるつもりです(自己満でも。。。)

    > パニチェさんは、〈私〉についての探究は、ライフホビーとおっしゃっていましたが、それはやはり知的好奇心から発生するものですか?
    > それとも、それ+抜苦というような意味合いもあるのですか?

    もともとは小学校の低学年の時に「なんで、自分は隣の〇○ちゃんではなく、自分なんやろう?」という単純な疑問からです。
    後から振り返れば、この疑問には抜苦の要素も多少あったかもしれませんね。


    No6950に返信(minoriさんの記事)
    > 見えないものを扱う、というのはとても難しいのだと思います。
    > 私にとっては、見えるもの(目で確認できる科学、化学)ももちろん難しいですけど・・。

    同感です。

    > 教えて頂いた後(パニチェさんの、このご投稿を拝見後)、少しネットで調べたのですが、ツァラトゥストラの最初の方に出てくる文章だそうですね。^^
    > 高まる決意と情熱を表現しているのでしょうね。

    その通りです。
    ご存知だとは思いますがツァラトゥストラは物語になっていて、聖書をもじって書かれているところもあり、神仏に依存しない実存主義的な人間にとっての福音書(金言集)のような書籍です。



引用返信/返信 削除キー/
■6951 / inTopicNo.54)  抜苦与楽
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/22(Tue) 08:03:01)
    おはようございます、ななしさん。レスありがとうございます。

    No6945に返信(ななしさんの記事)
    > パニチェさん、何度もすみません。
    > そうですか、Uは余り期待できないということですね。

    分かりませんよ、あくまで私の独断ですから。
    他の人が読めばTにないUならではの進展を発見されるかもしれません。

    > 自分としては、三人の議論の中で、永井さんは、仏教がつまらないというのに引っ掛かりました。
    > 「複雑そうに見える( が 実は つまらない)仏教の諸教説」だとして「無我」を
    > あげていますが、これって自分としては、お釈迦さまの慈悲心を本当に考えているのかな?と思いました。
    > そのままでいたら、だれも「無我」だとは気づかずに様々な煩悩に執着して、
    > ままならない苦しみに陥っていた訳ですし、般若心経でも、観音様は、私たちの心と体の働きである「五蘊(物質である体・肉体を意味する、色、心・精神、考えるプロセスを細かく分類した受・想・行・識の5つ)」を「空」だと見ることで、様々な苦しみを救われたのですから。

    同意します。確かに慈悲とか抜苦与楽的な視点がないとは言いませんが薄いかもしれませんね。
    永井さんが「鼎談の後に 二」で幼稚で当たり前と触れている例えば三法印(諸法無我・諸行無常・涅槃寂静)にしても抜苦与楽の指針ですからね。

    > この本は、何か、本来の苦からの救済の視点が欠けているような気がしました。

    「〈仏教3.0〉を哲学する」は仏教書ではなくて、科学哲学(科学の定義を検討する、科学的な知見を哲学する、実験方法について検証する、等々)のような〈仏教3.0〉哲学なんだと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■6949 / inTopicNo.55)  パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/09/22(Tue) 07:37:10)
    パニチェさん、おはようございます。

    > レスありがとうございます。
    > 勝手ながら、こちらのトピに移動させてもらいました。もし不都合があればご指摘下さい。

    いえ。^^  移動していただいてありがとうございます。


    > >>〈私〉は何も映っていないスクリーン、あるいは鏡面のようなものだと考えています。
    > >>そこに何か映ればそれは「私」となります。

    > 読みました!シンクロしてますね。^^

    はい、結果的にシンクロっぽくて驚きました。
    なにしろ実は、「これ書いてるけど、パニチェさんとか読まれたら、意味不明すぎで内容なしって思われるのかもしれないな。」などと、少しばかり悲観的思考もしながら書いてましたから。
    結果的に、書いてみてよかったようでした。^^

    > 「比類なき先言の<私>」についてminoriさんが理解されているという前提で返信させてもらいますと。。。(前提が違うということであれば指摘下さい)
    > 区別しているというよりも、例のマッハ的光景の手前は何人も何ものも並び立たない特異な地点ですし、そこに存在する〈私〉は唯一無二の比類なき存在(存在様相も含め)ですから、他者と交じり合うところが全くありません。
    > それが事実あるいは自明であるとしか言いようがないというか。。。

    はい。パニチェさんの書かれている〈私〉についてですが、minori自身においてもその通りだと思います。
    ということで、「比類なき先言の<私>」についての理解が、完全100%とは言えないとは思いますが、上に書かれている部分においては理解していると思います。

    「区別している」という表現は、「唯一無二で比類なき」の別表現をminoriなりにしたもの、と考えていただければ、です。

    そして、minoriを例としていえば、その眼球から広がって見えている世界の様々と感覚器官を通じて交流したり経験して生活している、と考えています。
    カントの認識論でいうと「現象」の世界ですね、時間・空間の枠を通して世界を認識しているし、また、カテゴリー分けされた世界を生きるの一員です。
    (この部分について、パニチェさんも似通った認識をされているのか否かについては、今は不明です。)

    > 知識としてのアドヴァイタや事事無礙として上記は理解できますが、直接経験としては合点がいかない、あるいはそこまで至っていないといったところです。

    私もいわゆるアドヴァイタ体験の大きなもの、というのは経験していないですよ。
    なんか・・あれ?っていうようなのはありましたけど、その体験によって世界観が一変したというような体験をしてはいません。
    基本的には、静かに瞑想することと、気づきを意識的に保つこと(マインドフルネスのように)、ダイレクトパスという手法について書かれた本を読み実際に考察する、というようなことを通じ、「気づき」はどうやら身体に閉じ込められたものではない、というのを理解しつつあるという感じです。
    ですので、確信しているわけではないです。

    方法、道は、人によっての相性ですので、縁あって出会い、いいなと感じたものが選ばれていくわけで、興味を引かなければ無理に知る必要もないのだろうな、と思います。
    私は最初は、原始仏教が実直まじめそうでこれがいいに違いない、と思ったのですが、私には合わないことにしばらくして気づきました。

    >>山下さんは、もっと深い体験を求めてミャンマーでしたっけ、に修行に行き、普通の生活をしていては体験できないような体験をされ、それをもとに山下さんの3.0
    >>を考えられたのだと思います。
    >
    > そうだと思います。

    山下さんご自身は、修行されて、深くかつ明晰な意識状態においての体験を通じ、世界観が一変されたのだと想像するのですが、誰しもがそのような体験をするのは不可能です。
    ですので、minori自身が考えるには・・・山下さんのされた体験というのはとても特異なもの(我々、してない人からすれば)で、それは一種、手の届きようもないXとでもしておくしかないようなものだと思うんですね。
    ですから、それに憧れたり、同じ体験を願ったりしてもしかたないわけで・・。

    しかし。第四図という言葉をお借りすれば・・、その第四図として見えている世界(マッハ的光景、あるいはカントだと「現象」はそれに当たりますよね。それらが良い、悪い、高い、低い というような価値判断を離れて。)ではない世界の観方というのはどうなのだろう、という好奇心は捨てきれないものがあります。
    生きる苦悩という意味においては、「究極においてはそれと共にある」しかないのだ(完全に無くすなんて無謀)とわかったので、どうにかしようとは思ってないのですが、知的好奇心は消えないです。。。

    パニチェさんは、〈私〉についての探究は、ライフホビーとおっしゃっていましたが、それはやはり知的好奇心から発生するものですか?
    それとも、それ+抜苦というような意味合いもあるのですか?

    だらだら長くなってしまいすみません。
引用返信/返信 削除キー/
■6945 / inTopicNo.56)  Re[39]: 欲
□投稿者/ ななし -(2020/09/21(Mon) 20:58:27)
    パニチェさん、何度もすみません。

    そうですか、Uは余り期待できないということですね。

    自分としては、三人の議論の中で、永井さんは、仏教がつまらないというのに引っ掛かりました。

    「複雑そうに見える( が 実は つまらない)仏教の諸教説」だとして「無我」を
    あげていますが、これって自分としては、お釈迦さまの慈悲心を本当に考えているのかな?と思いました。

    そのままでいたら、だれも「無我」だとは気づかずに様々な煩悩に執着して、
    ままならない苦しみに陥っていた訳ですし、般若心経でも、観音様は、私たちの心と体の働きである「五蘊(物質である体・肉体を意味する、色、心・精神、考えるプロセスを細かく分類した受・想・行・識の5つ)」を「空」だと見ることで、様々な苦しみを救われたのですから。

    この本は、何か、本来の苦からの救済の視点が欠けているような気がしました。
引用返信/返信 削除キー/
■6943 / inTopicNo.57)  Re[39]: 欲
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/21(Mon) 20:34:21)
    こんばんは、ななしさん。レスありがとうございます。

    No6942に返信(ななしさんの記事)
    > パニチェさん、レスありがとうございます。
    > 「〈仏教3.0〉を哲学する」は、最初に出版された方です。
    > 今度、Uを読んでみたいと思いますが、お勧めな点は、どこでしょうか。

    独断的ですが正直な感想を述べますね。
    私はUはお薦めしません。
    何らかの発展や新たな視点や切り口が提示されているとは思えなかったので。

    > 永井先生は〈私〉の語りえなさを「累進構造」によって説明しています。
    > 世界には沢山の人がいて、それぞれが自分だけが「私」だと思っているけども、
    > 何かを見たり痛みを感じたりする本当の自分は〈私〉だけ。
    > 〈私〉とは唯一無二の、比類の無い存在なのだと。
    > 「〈仏教3.0〉を哲学する」では、その辺がすべて省略したことが書かれていました。

    〈私〉の方に興味がおありなら、永井均著「〈私〉の存在の比類なさ」をお薦めします。

    > あと、本当に〈仏教3.0〉にバージョンアップをさせているのか疑問ではありました。もっと、実際に役立つような議論が欲しかったです。

    あの書籍だけで判断するのは少し酷な気もします。^^
引用返信/返信 削除キー/
■6942 / inTopicNo.58)  Re[38]: 欲
□投稿者/ ななし -(2020/09/21(Mon) 20:08:08)
    パニチェさん、レスありがとうございます。

    「〈仏教3.0〉を哲学する」は、最初に出版された方です。
    今度、Uを読んでみたいと思いますが、お勧めな点は、どこでしょうか。

    永井先生は〈私〉の語りえなさを「累進構造」によって説明しています。
    世界には沢山の人がいて、それぞれが自分だけが「私」だと思っているけども、
    何かを見たり痛みを感じたりする本当の自分は〈私〉だけ。

    〈私〉とは唯一無二の、比類の無い存在なのだと。

    「〈仏教3.0〉を哲学する」では、その辺がすべて省略したことが書かれていました。

    あと、本当に〈仏教3.0〉にバージョンアップをさせているのか疑問ではありました。もっと、実際に役立つような議論が欲しかったです。

引用返信/返信 削除キー/
■6941 / inTopicNo.59)  Re[38]: 欲
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/21(Mon) 20:01:56)
    2020/09/21(Mon) 20:21:49 編集(投稿者)

    No6940に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > 食欲、性欲っていうの、仏の教えではどう見ているのかしら?

    苦を生じさせる、または増幅させるような、とめどない飽食煖衣とか、見境のない性欲は煩悩として滅却していくものやと教えられるやろね。

    密教の仏典「理趣経」とかは男女の和合は悟りの境地という教義もあるよ。

    先輩である最澄が後輩である空海に頭を下げて頼まれても空海は貸し出しを断った。

    密教の奥義を知らずして理趣経を読む弊害を考えてたらしい。

    その後、二人の交流はなくなったとか。
引用返信/返信 削除キー/
■6940 / inTopicNo.60)  Re[37]: 欲
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/09/21(Mon) 19:30:16)
    食欲、性欲っていうの、仏の教えではどう見ているのかしら?
引用返信/返信 削除キー/

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