| このジョン・ケージの主張が正しいとするならば、古池は無音ではなかったことになります。
芭蕉は写生句ではなく(もちろん蛙が池に飛び込む等の原体験はあったと思います。)、観念を構築した句を創造したことになります。
この辺は、俳人の加藤楸邨(しゅうそん)の解釈に全面的に依存します。
新池ではなく古池としたことで、静的世界の過去からの永遠の時の流れを表します。
蛙は動的世界の象徴で、ある一瞬に、「静と動」の世界が邂逅します。
その一瞬は直ちに消滅し、また永遠の静的世界が続きます。
しかしこの邂逅の一瞬は豊饒な一瞬で、無限定の世界を文節し、意味を生起・付与させます。
この一瞬をとらえたのが、「古池や〜」の句だということです。
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