| わたしはまだカントの道徳論は全く詳しくないんです。 その状態で、返信しますね。
カントの、べき、は、自分で自分に言うもので、自律というと思います。 それは、自己呪縛につながる危険性はありますね。
わたしの場合は、仏教の涅槃にいたりたいという目標があり、 涅槃とは、貪瞋痴の滅尽という定義をわたしはしています。
貪瞋痴の滅尽のための、べき、があり、 その、べき、を行為することは難しいけど、落ち込むのも仏教では怒りに教えられるので、 葛藤に陥ることも知識的には戒められています。 (マジモンさんの例えで言えばシーソーから生まれる苦しみですね)
そうはいっても、落ち込んでも、自己観察も教義として教えられているので、苦しむシステムを体感観察することに、、、理屈ではなってるかと想像しています。
おくったがわさんが、ナイフの例えを他トピで出されていたけど、
べき、も、ナイフになり得ますね。
わたしはカントが大好きだけど、 なにかを、絶対主義的にするのは、とても弊害があるものかもしれませんね。
いろいろな気づきをありがとうございます。
|