| 悪魔ちゃん。こんにちは。返信をありがとうございます。
> >仏陀の説いた< > から > >ここで捨てるという意思が入った行為が起こるのではなくて、最終的に全てが捨てられるのですね。筏の譬えです。もう仏陀の教え自体が必要がなくなると言う事です。ですので自然に教えに対しての執着がなくなります。< > へと展開されてるみたいだけど、「仏陀の教え自体が必要がなくなる」、言い換えると「ゴータマ=シッダルタっていうっていう紀元前に生きていた人間が思ったこと自体が必要でなくなる」っていうことでいい?でも、それはどこから?
失礼しました。ここは私の勘違いでレスしましたので、一回目の修正で削除しました。
> >涅槃は、一応の定義上では(三毒の滅=貪欲の滅、瞋恚の滅、愚痴の滅)です< > って誰が定義したの?
比丘達よ、では、涅槃とは何であろうか? 比丘達よ、貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃と言うのである。という一文が原始仏典内にはあるのですね。ですので、原始仏典内での記載での私の理解で定義としました。
> >一切とは六処(眼と色・耳と声・鼻と香・舌と味・身と接触・意と法)の事ですが、同時に、一切は悪魔の領域だと説かれます。(相応部有偈篇悪魔相応第二品「耕作者」)一切よりの渡し場あり・・と言う事は、この悪魔の領域からは出られますよという意味ですね。それが涅槃の域であり、解脱と言う事でしょう。< > 眼と色・耳と声・鼻と香・舌と味・身と接触・意と法が悪魔の領域?
> 時様は、人は悪魔である、って言っている、っていうことでいい?
いいえ。人は悪魔である、とは言っていません。
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