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■6455 / inTopicNo.25)  Re[48]: 生命さん
  
□投稿者/ knowing itself -(2020/09/11(Fri) 07:46:07)
    おはようございます。

    外界や対象を認識するのは、天体現象やスポーツなどを観測・観察し、そこな法則やルールを発見し当てはめていくような作業でしょう。単純化するために自然やスポーツをボール運動に置き換えて説明します。

    カントはボール運動の軌跡を追うことよりも、ボールが運動を起こせる自由を優位に置いた哲学者でしょう。

    ボール運動の軌跡が「現象」、ボールに運動を起こす自由が真に成立している世界が「物自体」にあたると考えています。


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■6454 / inTopicNo.26)  生命さん
□投稿者/ pipit -(2020/09/10(Thu) 23:30:13)
    いろんな生命さん

    おつかれさまー

    おやすみなさいー (( _ _ ))..zzzZZ
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■6453 / inTopicNo.27)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/10(Thu) 23:24:24)
    こんばんは
    コメントありがとうです (^_^)

    マジモンさんは直観がすごいんだろうなと個人的には思ってます
    右脳派かな?(今の脳科学でも、右脳左脳でわけるのかどうか知りませんけど)

    わたしが今、カント哲学理解でしてることは、
    左脳的で、
    時間かかってしかたないし、
    疲れます (*_*)

    No6451に返信(マジカルモンキーさんの記事)
    > こんばんわ、Pipitさん
    >
    > 「 道徳 」 = 「争わない知恵っぽい事」
    >
    > だろうな。
    >
    > 伊藤邦武先生は、凄くわかりやすいね。
引用返信/返信 削除キー/
■6452 / inTopicNo.28)  日記
□投稿者/ pipit -(2020/09/10(Thu) 23:19:07)
    勝手に今思ってること。

    貪瞋痴がでてても、
    ふんばって
    不貪不瞋不痴での行為に自らを変更すること、

    それが善意志による行為。
    それは無為ではなく、有為。善悪の世界。

    他を手段のみではなく同時に目的としてもみよ。

    結果的にすごく心がらくになる言葉に思えてる。

    例えば仕事。
    お金もらう、自己目的の手段としてのみ、他と関わるのではなく、
    他を目的としても考えてみる。
    無理してではなく、自分の今の能力でできる範囲で。
    チャレンジで。

    思考が変わる。こともあるかも。
    行為が変わる。こともあるかも。

    やさしい世界が、あらわれることもある。かも。

    貪瞋痴を、自ら知ってるなら、
    それから離れることが不貪不瞋不痴だということは知っている。
    できるかいなかは別として、
    不貪不瞋不痴は、この貪瞋痴がなくなった状態だと知ってる。

    できないなら、できてないことを、知ることからはじまるかな。

    これ、わたしの中では、仏教とカント哲学とのリンクしてること。

    以上、半分寝ながらの日記でした。おやすみなさいー 地球で一緒にハイスピードで共に回ってるみなさま ☆彡

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■6451 / inTopicNo.29)  Re[45]: 日記
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/09/10(Thu) 23:04:25)
    こんばんわ、Pipitさん

    「 道徳 」 = 「争わない知恵っぽい事」

    だろうな。

    伊藤邦武先生は、凄くわかりやすいね。
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■6449 / inTopicNo.30)  日記
□投稿者/ pipit -(2020/09/10(Thu) 22:02:49)
    ほんとは、直接、カントの本を読むのが一番なんやろうけどなあ〜〜



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■6448 / inTopicNo.31)   夏も終わりの自由研究B
□投稿者/ pipit -(2020/09/10(Thu) 21:55:17)
    Aの続き
    pipit的タイトル「物自体の世界としての人格的共同体」

    『宇宙はなぜ哲学の問題になるのか』伊藤邦武先生、ちくまプリマー新書、p95-
    引用開始
    『科学的知識の対象とは別の世界とは 何のことでしょう。
    それは何か 超自然的能力をもった人物が、神秘的直観などによって見ることのできるような、オカルトな世界のことでしょうか。

    カントはそれも間違っているといいます。
    彼によれば、物自体として存在する世界とはじつは、
    私たち人間それぞれが、互いに人格としてその尊厳を認めあう、道徳的社会という世界のことなのです。

    世界に存在する本当の物自体の世界とは、科学が知りうる世界ではなく、私たちの心が互いの尊厳を認め合い、そのために協力することのできる、人格的共同体の別名なのです。

    もう一度この章のモットーを思い出してください。
    「私がそれに思いを寄せれば寄せるほど、私の心を驚きと畏敬の念でますます満たすようになるものが二つある。
    それは無数の星をちりばめた天空と、私の内なる道徳法則である」

    無数の星をちりばめた天空は、どれほど美しい姿で私たちを魅了することができても、カントにとってそれは、現象の世界です。
    これにたいして、自然法則ではなく道徳法則によって支配される世界こそが、私たちの本当の世界であり、それはすでに存在する世界というよりも、これからその存在の実現が目指されるべき世界なのです。

    いいかえれば、理論理性よりも実践理性の優先される世界こそ、本当の意味で価値のある、存在するに意義のある世界だというのです。
    カントはこのことを、「理論理性にたいする実践理性の優位」という言葉で表現しました。

    これは別の言い方をすると、人間の精神の活動にとって、科学的探求がどれだけ尊い作業であるとしても、道徳的社会の実現という目標に比べれば、より劣った課題と見なされるべきだということです。』
    引用終了

    ※※※※※※※※

    pipit的感想
    ここまでのとこだけだと、道徳、という言葉が一体何を指し示しているのか、が、不鮮明におもえます。
    伊藤先生の共同体についてなどの記述はまだまだ続きますが、
    いったん、陰山先生の『マンガみたいにすらすら読める哲学入門』にもどって、
    カント哲学のキーワードとしてよくあげられている、【自律】【他律】について勉強してみるつもりしてます。

    自由研究Cへ続く

引用返信/返信 削除キー/
■6431 / inTopicNo.32)  夏も終わりの自由研究A
□投稿者/ pipit -(2020/09/10(Thu) 16:53:23)
    前回までのpipit的まとめ
    人間が、己の感性で得られる範囲を超えたものまで、すべてについてを知ることができるわけではない。
    が、己は何を為すべきか、について考えることはできる。
    つまり、
    認識論の限界論、から、行為論へと、カントの思考は向かう。のかなと思いました。

    ※※※※※※※※
    夏も終わりの自由研究A
    「物自体」


    『宇宙はなぜ哲学の問題になるのか』伊藤邦武先生、ちくまプリマー新書、p94-95より
    引用開始
    『カントの認識論が正しいならば、われわれが知りうる世界は、現象世界だけです。
    われわれは科学的知識の追求を通じて、森羅万象からなる「たんなる」現象世界には接することができますが、本当の意味での物自体の世界には迫ることができません。

    そうであるとすると、科学がアプローチできない物自体とは、本当はまったく存在しない、
    フィクションのようなものだと、いうことになるのでしょうか。
    カントの認識論からは、このような結論が自然に導かれそうです。
    ところが彼自身は、それは必ずしも正しくない、といいます。

    彼は物自体はあるけれども、科学的知識の対象とは別の世界に、存在するというのです。』
    引用終了

    ※※※※※※※※

    この続きを夏も終わりの自由研究Bで引用します。
    伊藤先生は、物自体の世界とは、人格的共同体の別名だと説明されます。

    さ、用事がんばろぅ〜(^o^)

    米津玄師
    ♪ LOSER
    https://m.youtube.com/watch?v=Dx_fKPBPYUI
引用返信/返信 削除キー/
■6429 / inTopicNo.33)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/10(Thu) 16:10:13)
    ありがとう ! がんばるよ〜 o(^▽^)o
引用返信/返信 削除キー/
■6409 / inTopicNo.34)  Re[42]: 夏も終わりの自由研究
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/09/09(Wed) 20:54:42)
    pipitさんへ

    >『純粋理性批判』から、道徳へテーマが移行する道を知りたいと思い<

    こういう方向、わたし好き。

    お願いします。

引用返信/返信 削除キー/
■6403 / inTopicNo.35)  夏も終わりの自由研究
□投稿者/ pipit -(2020/09/09(Wed) 18:27:09)
    『純粋理性批判』から、道徳へテーマが移行する道を知りたいと思い、
    複数の本をパラパラと読みましたが、
    難しすぎるので、簡単なところから勉強しようと思いました。
    小学生レベルの自由研究になるかと思いますm(_ _)m

    道徳への道、私にとってわかりやすかったものから、いくつか
    引用していきます。

    『マンガみたいにすらすら読める哲学入門』予備校講師の蔭山克秀先生、だいわ文庫、p184,185より引用

    『人間の認識能力には限界があるーーー
    この衝撃の発見を、カントは「認識のコペルニクス的転回」と呼んだ。

    つまり、従来の「頑張れば何でもわかる」から、
    「頑張ってもわからない世界がある」への転換だ。
    まさに180度の回れ右だね。

    今までの哲学は、レンズの外側に広がる世界であっても「頑張れば見える!」と信じ、
    近視の裸眼でムリヤリ見ようとしてきた。
    でも、これは無理だし、哲学が本来やるべき仕事じゃない。

    カントにとって哲学のなすべきこととは、
    できもしない「"世界の本体"の認識」ではなく、「人間はどんな世界をめざすべきか」を「考える」ことだ。

    認識はできなくても、考えるだけならできる。
    では、ここからがカントの後半戦だ。
    人間のめざすべき世界について「考えて」いこう。

    人間のめざすべき世界は、ひとことで言えば「道徳法則に従った世界」だ。
    誰も好き好んで悪い世界をめざしはしない。
    めざす以上は、当然「こうあってほしい」と思う世界をめざすはずだ。
    (略)』
    引用終了

    陰山先生は、公民の予備校講師だそうです。
    倫理の観点からの哲学入門で興味深いです。

    では、目指す道徳世界って?
    で、斬新でわかりやすかった、『宇宙はなぜ哲学の問題になるのか?』伊藤邦武先生、ちくまプリマー新書から引用しようと思います。

    いったん失礼しますm(_ _)m
引用返信/返信 削除キー/
■6399 / inTopicNo.36)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2020/09/09(Wed) 16:47:19)
    ありがとうございます(^人^)

    >十二支縁起(無明・行・識・名色・六処・触・受・渇愛・取・有・生・老死)のどこでもよいので断ち切ってみてください。その断ち切られた(滅尽した)縁起支の右側全てが消滅します。<

    この言葉が時さんから聞けてうれしいです。

    人間であるうちに、滅苦の道を進めたらいいな、と、思います。

    ありがとうございますm(_ _)m

引用返信/返信 削除キー/

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