| 返信ありがとうございます!
> 涅槃は究極の自由ですから、行き着く方向は同じでしょう。どこまで体験していたかはわかりませんがカントが見据えていた方向が究極の真理であることは間違いないと思います。カントが決定的な影響を受けたルソーについてなら、ルソーは禅宗の人が喜びそうな、自然との合一の至福神秘体験をしています。<
ルソーがそのような体験をしていたことをはじめて知りました!(◎_◎;)
> 究極の存在について認識不可知をいうのは、ソクラテスやプラトンあたりからの西洋哲学のデフォルトでしょう。徹底的な認識不可知が当然の出発点みたいな。逆に人間が何でも知り得る、理解し得るという世界観こそが異様な例外であって、近現代の一時期の科学万能主義くらいなものかと。<
そう言われてみれば、人間が何でも知っている、と、考える方が、不自然ですね。 失礼しましたm(_ _)m
それにしても、knowing itselfさんの知識の幅は、私にはめちゃめちゃ広くみえて、 いったいどうなってるんだろ〜、って感想が起きます。 すごいなぁ
いつもありがとうございます!
|