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■5649 / inTopicNo.61)  悪魔ちゃんへ
  
□投稿者/ minori -(2020/08/27(Thu) 21:34:03)

    > ねえ、minoriさん
    >
    > メルロの『行動の構造』から抜粋したところ、どう見ます?
    >
    > わたしが提示したのはカント哲学者の思想についてのメルロ哲学者のを、なの。
    >
    > 「100分で名著のカント純粋理性批判」って誰が書いた本なのかしら?


    貼ってもらったのは、読んだけど私はわかりませんでした。
    悪魔ちゃんがメルロポンティについて詳しいのでしたら、貼ってくれたものについて解説してくれませんか?
    無理にはいいですが。

    100分で名著は、西研さんという先生です。
引用返信/返信 削除キー/
■5641 / inTopicNo.62)  Re[27]: minoriさん
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/08/27(Thu) 20:37:01)
    No5628に返信(minoriさんの記事)
    > マジモンさん。 ここ見てらっしゃるかどうかわからないけど、書いとくね。
    > 最後の一つだった投稿欄を使ってしまってごめんね〜。(;'∀')
    > 気づかずに最後の一つ使ってしまいました。
    >
    > 私に何かあればですが、こちらに書いていただいてもいいですよ。

    トピが止まりましたね。
    何か、聞きたい事はありますか?

    minoriさんが

    「ないです」と言ったら、私は何をいうと思いますか?
    「あります」と言ったら、私は何をいうと思いますか?
引用返信/返信 削除キー/
■5633 / inTopicNo.63)  Re[27]: minoriさんへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/27(Thu) 19:46:07)
    ねえ、minoriさん

    メルロの『行動の構造』から抜粋したところ、どう見ます?

    わたしが提示したのはカント哲学者の思想についてのメルロ哲学者のを、なの。

    「100分で名著のカント純粋理性批判」って誰が書いた本なのかしら?

引用返信/返信 削除キー/
■5628 / inTopicNo.64)  マジモンさんへ
□投稿者/ minori -(2020/08/27(Thu) 15:22:05)
    マジモンさん。 ここ見てらっしゃるかどうかわからないけど、書いとくね。
    最後の一つだった投稿欄を使ってしまってごめんね〜。(;'∀')
    気づかずに最後の一つ使ってしまいました。

    私に何かあればですが、こちらに書いていただいてもいいですよ。
引用返信/返信 削除キー/
■5619 / inTopicNo.65)  Re[25]: :感性と悟性
□投稿者/ minori -(2020/08/27(Thu) 08:22:57)
    悪魔ちゃん、こんにちは。


    >わたしが思うに、カントの場合「客観的に妥当する判断」で”なければならない”ものを導き出したかったんじゃないかしら?


    物自体への一致は不可能だけど、世界について人間どうしが共有しうるような認識は成り立つ、なぜかというと、人間は共通する認識形態を持っているから。
    というのがカントの主旨だと考えています。


    悪魔ちゃん。カントの入門書をまだ読んでないようなので、読まれるなら、100分で名著のカント純粋理性批判がいいかもしれないですよ。

    pipitさんも持ってるし私も持ってます。
引用返信/返信 削除キー/
■5586 / inTopicNo.66)  Re[24]:感性と悟性
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/26(Wed) 19:39:20)
    minoriさん
    ■5535で紹介してくれた引用の部分の
    >悟性(知性)と感性とは、それぞれ表象を生じさせる二つのまったく異なる源泉であり、しかも、この両者が合一してのみ、物に関して客観的に妥当する判断をなし得るのである。<
    のところ、カントは〈感性と悟性を異なる源泉〉として見ている、っていうのわたし受け入れる。

    でもね、カントには「客観的に妥当する判断」のための、っていうのが前提にあるんじゃないかしら?わたしここ問題としてる。

    メルロの『行動の構造』から抜粋して見ます。
    【・・・カントの「超越論的感性論」の意味は、だいたいこのようなものである(33)。だが、この批判主義的態度は暫定的なものでしかありえないはずであり、『純粋理性批判』の第二版がそれを示している。実際われわれは、「〔感性〕に与えられたもの」と「〔悟性によって〕思考されたもの」との関係とか、純粋感覚ともいうべき〈惰性的な「物」〉に対する意識の作用とか、また「触発」と認識の関連、感覚的意識と悟性的意識の連関などをどう考えたらよいであろうか。そのように反省してみると、カントにおいては、結局のところ、感覚的と言える意識は存在せず、「感性論」と「分析論」の分裂とか、所産的意識といったものは存在しないことになってくる(34)。】
    原注です。
    (33)「超越論的感性論」(バルニの仏訳)は、〈経験内容〉ばかりではなく、ついには〈空間形式〉それ自身をさえ、人間の構成した〈偶然的なもの〉にもとづけているほどである。
    (34)『純粋理性批判』の第二版は、〈感性〉から「形式的直観」、つまり「超越論的感性論」の言う「われわれの触発される仕方」を奪って、それを〈悟性〉に与え、また〈超越論的想像力〉の三段の綜合――を放棄して、意識のすべての水準‐−それは抽象的分析によってのみ区別される――に「我思う」が現前してるということを、第一版よりもいっそう明らかにしようとしているのである。

    わたしが思うに、カントの場合「客観的に妥当する判断」で”なければならない”ものを導き出したかったんじゃないかしら?



引用返信/返信 削除キー/
■5580 / inTopicNo.67)  現象と仮象
□投稿者/ minori -(2020/08/26(Wed) 16:57:02)
    つまり〈現象〉は、客観的妥当性を主張しうるような認識の〈対象〉であり、また広くは、そのような対象の領野を意味する。
    現象という領野からはずれる、〈物自体〉や〈仮象〉は、正当な認識とはならないものである。
    ・・・・・
    『カント「純粋理性批判」入門』p53より引用


    現象、対象、物自体、仮象といった言葉の基本的な使われ方を把握しておかなければ基礎がぐらついたままになってしまうので、書きとめる。

    現象と仮象というのをなぜ区別したのか、というのが気になるところだけれど、それはおいおいわかっていくかもしれない。
引用返信/返信 削除キー/
■5535 / inTopicNo.68)  経験論と合理論の統合
□投稿者/ minori -(2020/08/25(Tue) 07:44:11)
    ライプニッツは現象を知性化したが、ロックは悟性〈知性〉概念をすべて感覚化した。
    [カントの立場からすると]悟性(知性)と感性とは、それぞれ表象を生じさせる二つのまったく異なる源泉であり、しかも、この両者が合一してのみ、物に関して客観的に妥当する判断をなし得るのである。
    ところがこの二人の偉大な哲学者は、いずれもこのことに思いをいたさず、これらの表象源泉のいずれか一方のみに固執し、他方の源泉は、それぞれ前者を混乱させるか整頓するにすぎないと考えた。
    知性を重要だと考えたライプニッツも、感性が重要だと考えたロックも、それらは直接、物自体を把握できると考えていた。
    ・・・・・
    『カント「純粋理性批判」入門』p41〜p42より引用

    (上記は、純粋理性批判の該当部分の訳になるそうです。)



    感性と悟性が合一して初めて認識は成立する、ということ。
    どちらか片方だけでは認識は成立しない、と考えた。
    経験論と合理論の対立をうまく調整した形で、カントは自らの認識論を形成していった、のですね。
引用返信/返信 削除キー/
■5510 / inTopicNo.69)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ minori -(2020/08/24(Mon) 07:30:37)

    > >メルロポンティの哲学のどういうところに惹かれるの?<
    >
    > わたしのばあい、哲学って、なんか精神の難しい「理論」のイメージがあったんだけど、メルロは身体について語ってるから珍しくない?って思ったのが最初かな? 学者は身体についてどう見ているのかな〜、っていう興味から。

    なるほど。

    > 『知覚の現象学』の序文で次のようなことをメルロは言ってる。
    > 現象学について、
    > 【本質を実存のなかに戻し、人間と世界とを理解するには、それらの「事実性」から出発するほかないと考える哲学でもある。】
    > 【世界がつねに反省に先だって、廃棄されえない現存として、「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。そして世界との、この素朴な触れあいを再発見し、結局はそれに哲学的な資格を与えることに、あらゆる努力を傾注するのである。】
    > 【現象学の最も主要なテーマとして提起した「自然的世界概念」あるは「生活世界」の、一つの解明にすぎないのだ。】
    >
    > わたしのようなふつうの(わたし一応ふつうだと思ってるけど、他の人から見たら狂ってる?)素朴的人を見ようとしている感じがするし、このようなわたしが日々の生活のなかで生きていることを見ようとしている感じがする。
    > このようなところが惹かれるところなのかも。

    形而上学的なものを哲学してもしかたないよ、っていうのは既に主流になってた時代にあり。
    身体と精神の結びつきみたいなものに着目したのかな?
    ぜんぜんわからず適当なこと言ってごめん。^^
    生活世界の一つの解明っていうところ、あ、そうそう、「身体を媒介として世界と交流しているのだ」みたいな感じじゃなかった?
    必殺概略本にそんなふうにあった気がする。


    > なんで〈「あなたは誰ですか?」って聞かれたとき、どう答えます?〉なんて、わたし聞いたのかしら? あ、主観からね。「主」は「私」よね?キリスト教的な「神」じゃないよね(主イエスキリストって見てる人いるみたいだから)。
    >
    > 「あなたは誰ですか?」って聞かれたとき、「私は○○です」ってなるんだと思うんだけど。ってすると、私は〈私は誰?〉って問うことになるんじゃないかしら?
    >
    > 名前で答えるというばあい、〈私は悪魔ちゃんです〉ってすると、〈悪魔ちゃん=私〉ってすると〈悪魔ちゃん=私〉でもいいよね?、言い換えると〈悪魔ちゃんは私である〉。でもminoriさんにも私っていうのあると思うから、〈私はminoriです〉→〈minoriは私です〉ってなって、結局「私」は悪魔ちゃんやminoriさんってなっちゃう。〈私は誰?〉って自問してるんだから、これじゃなんかへん。それに私の名前は親がつけたんで、私自身がつけたんじゃない。お仕事で答えるばあい、たとえば〈私は看護師です〉ってすると、〈看護師は私です〉ってなって、でも看護師は私以外にもいっぱいいる。やっぱヘン。
    > いずれにしても「私」を言い表してないことになっちゃうんじゃないかしら?

    過去にも未来にも世界に〈私〉という特殊な在り方をしてる者はいない、という不思議、そして、その者を言語で言い表すのは完全には不可能っていう話?
    私がパニチェさんに教えてもらってたみたいな。


    > 禅って日本の仏教?わたしあまり日本の仏・神様、外国の神は興味ない。なんか、ニーチェクラブ、わたし場ちがいなところに来てるみたいってうすうす感じてきてる。ごめんね。なんか長くなちゃった。もうやめる。


    興味ないもものには興味もたなくてもいいんじゃない。^^
    じゃ一つだけ豆知識的に。
    「侘び(わび)、寂び(さび)」という日本の美意識は、禅と深い繋がりがあるんだよ。
    茶の湯、枯山水とかね。  苔に美を見る、とか。
    我が家にはびころうとするコケは嫌だけどね。
引用返信/返信 削除キー/
■5495 / inTopicNo.70)  Re[20]: みのりさんへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/23(Sun) 18:25:41)
    そーねー、わたしが話してみたい哲学者は、やっぱメルロ=ポンティかな〜?
    でも、彼が書いた書物を読んでなんとか理解しようとするなかで、わたし彼とお話してるんじゃないかって、思うこともあるよ。

    >メルロポンティの哲学のどういうところに惹かれるの?<

    わたしのばあい、哲学って、なんか精神の難しい「理論」のイメージがあったんだけど、メルロは身体について語ってるから珍しくない?って思ったのが最初かな? 学者は身体についてどう見ているのかな〜、っていう興味から。

    『知覚の現象学』の序文で次のようなことをメルロは言ってる。
    現象学について、
    【本質を実存のなかに戻し、人間と世界とを理解するには、それらの「事実性」から出発するほかないと考える哲学でもある。】
    【世界がつねに反省に先だって、廃棄されえない現存として、「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。そして世界との、この素朴な触れあいを再発見し、結局はそれに哲学的な資格を与えることに、あらゆる努力を傾注するのである。】
    【現象学の最も主要なテーマとして提起した「自然的世界概念」あるは「生活世界」の、一つの解明にすぎないのだ。】

    わたしのようなふつうの(わたし一応ふつうだと思ってるけど、他の人から見たら狂ってる?)素朴的人を見ようとしている感じがするし、このようなわたしが日々の生活のなかで生きていることを見ようとしている感じがする。
    このようなところが惹かれるところなのかも。


    なんで〈「あなたは誰ですか?」って聞かれたとき、どう答えます?〉なんて、わたし聞いたのかしら? あ、主観からね。「主」は「私」よね?キリスト教的な「神」じゃないよね(主イエスキリストって見てる人いるみたいだから)。

    「あなたは誰ですか?」って聞かれたとき、「私は○○です」ってなるんだと思うんだけど。ってすると、私は〈私は誰?〉って問うことになるんじゃないかしら?

    名前で答えるというばあい、〈私は悪魔ちゃんです〉ってすると、〈悪魔ちゃん=私〉ってすると〈悪魔ちゃん=私〉でもいいよね?、言い換えると〈悪魔ちゃんは私である〉。でもminoriさんにも私っていうのあると思うから、〈私はminoriです〉→〈minoriは私です〉ってなって、結局「私」は悪魔ちゃんやminoriさんってなっちゃう。〈私は誰?〉って自問してるんだから、これじゃなんかへん。それに私の名前は親がつけたんで、私自身がつけたんじゃない。お仕事で答えるばあい、たとえば〈私は看護師です〉ってすると、〈看護師は私です〉ってなって、でも看護師は私以外にもいっぱいいる。やっぱヘン。
    いずれにしても「私」を言い表してないことになっちゃうんじゃないかしら?

    思い切って〈私は神である〉ってしますね。ってすると、〈神は私である〉ってなる。神を主とすると、あがち間違ってはいないのかも?

    なんかへんなところあったら言って。
    いまのところ、どう答えようかは思案中で〜す。

    禅って日本の仏教?わたしあまり日本の仏・神様、外国の神は興味ない。なんか、ニーチェクラブ、わたし場ちがいなところに来てるみたいってうすうす感じてきてる。ごめんね。なんか長くなちゃった。もうやめる。

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■5456 / inTopicNo.71)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ minori -(2020/08/22(Sat) 20:30:17)

    > ねえ、minoriさま、
    > 「あなたは誰ですか?」って聞かれたとき、どう答えます?
    > 名前で?職業で?・・・?


    できたらでいいんだけど、minoriさんでお願いします。
    なんかね〜、さまって感じじゃぜんぜんないからね。( *´艸`)

    誰ですか? → 最初はたいてい名前じゃないかな。

    コンコンとノックして話してみたい哲学者・・・悪魔ちゃんは誰ですか?
    やはり、メルロポンティなのかな。
    Eテレの「世界の哲学者に人生相談」で、メルロポンティのことしてたの観たのだけど、すっかり内容忘れちゃった。($・・)

    メルロポンティの哲学のどういうところに惹かれるの?
    身体性を問題意識にした人は他に類をみないらしい、ぐらいしか知らなくて・・・

    私はね、哲学者じゃないけど、白隠という禅の有名な人が江戸時代ぐらいにいて。
    その人のすごい逸話があって、それが実話なのかどうか会えたら訊いてみたいです。
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■5454 / inTopicNo.72)  Re[18]: minoriさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/22(Sat) 19:42:39)
    なんかわたしらしらしくない。問い方かえるね。

    ねえ、minoriさま、
    「あなたは誰ですか?」って聞かれたとき、どう答えます?
    名前で?職業で?・・・?
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