| おじゃましちゃうね。
フッサールの『デカルト的省察』の訳注に次のようなことが書かれてる。
〔Konstitution:超越論的現象学は「超越論的主観性における世界の構成」を解明するもので、「構成」はその中心概念の一つではるが、フッサールの用法は必ずしも明確ではなく、あたかも「自我が世界を構成=創造する」かのような誤解も生み、フッサール自身が「意味形成」と「創造」の間で動揺していたという、フッサール晩年の助手オイゲン・フィンクの指摘もあり、その解釈をめぐって議論されてきた。考慮すべきなのは、フッサールがしばしば「構成されるsich konstituieren」という再帰動詞の形を使っていることである。なお、「構成的konstitutive」という形容詞をフッサールは、このような「構成の問題に関わる」ものを形容するのに使っているので、むしろ、「構成に関わる」と訳した。〕
カントの[Einbildungskraft]は訳者によって「想像力」とか「構想力」ってなってるみたいだけど、pipitさんが引用してくれた冨田先生の解説文をわたし採用することにしてるよ。
だから田秋さまのように >想像力(構想力)≠構成力< だと思ってる。
■5942で田秋さまが提示した >知能テストで立方体の積み木が積まれていて。後ろの見えない部分は常識的に積まれているとして、積み木は全部で何個ありますか?みたいな問題がありました。< わたし、この問題、けっこう引っかかちゃうのね。 このテストって、おそらく検者が紙の上に書かれた絵を被検者に見せて聞いてるんだと思うけど、わたしが被検者だったらそこに描かれてる立方体?の木を数えてその数を言うけど、これじゃブッブッー、みたいなんだけどどうしてなのかしら?
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