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■4777 / inTopicNo.73)  Re[15]: 「私」について
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/30(Thu) 21:26:43)
    ちょっとここにお邪魔します。

    minoriさま、
    いわゆる大人になった「私」に対して、幼少のころにはそのはような「私」というものが存在しているのかな?っていうように思っているの?

    だとしたら、わたしそういう見方に賛成。
    「私」というのは発生するもの、って、いまのところわたし見てます。

    あれ?わたし、場違いなこと言ってる?だとしたら、ごめん。

    あ、「私」について、もうちょっと浮かんだのがあるんだけど、ついでに。

    わたしの名前、年齢、住所って、他者の私。
    わたしのじゃない。

引用返信/返信 削除キー/
■4776 / inTopicNo.74)  祝!9合目♪〈私〉について 20(補足)
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/30(Thu) 21:23:15)
    minoriさん、レスありがとうございます。

    No4773に返信(minoriさんの記事)
    > パニチェさん、レスありがとうございます。

    > >では、再び質問です。

    > >よく言われる物心がつくとはどういう状態だと思いますか?

    > 物心がつく時期というのは、自意識が芽生えてくる頃に該当するのではないでしょうか。

    同意です。以下は〈私〉に関する公案とは無関係で単なるパニチェの考えです。
    言葉を覚えることによってエピソード記憶(言語的記憶)が可能となり、思い出が蓄積されるようになる。
    記憶によって自己同一性が担保されることで自意識、所謂物心がつくのだと思います。

    > >物心がついた私と〈私〉との関係はどういうものでしょうか?

    > 幼少の子どもがはっきりと独在的私である〈私〉を自覚しているとは思えません。
    > しかし、幼少の子どもが自覚しているいないに関わらず、その子自身が〈私〉であることには変わりはないと思います。

    素晴らしい!もう〈私〉を理解されてますね。
    その通りで、言語を習得する以前、自意識が生じる以前に〈私〉が無ければ物心をつく主体が不在となりますから、子自身が〈私〉であることに気づいている、気づいていないに関わらず〈私〉は存在します。
    これは大人にも言えることで、その人が〈私〉を理解してようが、理解してまいが、独在性的な〈〈私〉〉であることは多分、揺るぎのない事実だと思います。

    言語化不可能なことと、言語習得に先んじて存在すること、独在的(私秘性を伴い、何人も何物も並び立つことのできない、そこから世界が開闢する地点であるところのマッハ的光景の手前に独我論的に存在する唯一無二性)な存在を「比類なき先言の<私>」と、今から19年ほど前に掲示板の友人であるKIDAMASAさんに名づけてもらいました。

    ここが9合目です。お疲れ様でした。
    今のminoriさんなら「〈仏教3.0〉を哲学する U」は、以前よりも面白く読めるかもしれません。

    今後も何なりと疑問や質問、異論、反論があればいつでもレス下さい。
    今日はパニチェにとっても記念すべき日となりました。
    ありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■4774 / inTopicNo.75)  ピピットさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/30(Thu) 21:01:11)
    返信ありがとうございます。

    No4770に返信(pipitさんの記事)
    > 返信ありがとうございます!

    > >とこでピピットさんって、〈私〉はもう既に理解されているんですよね?
    > ニークラに来る前から既に知ってたとかですか?<
    >
    > パニチェさんの伝えたい通りに、pipitが理解できてるか、誤解してるかは、
    > pipitにはわかりませんm(_ _)m

    > わかってないかもしれません。

    > でも、pipit側から言えば、
    > パニチェさんはpipitの思ってる、この感覚とか、
    > 気持ちとか、わかってもらえてるかも、って思ってます。

    いやぁ〜。正直、これまでのピピットさんとの〈私〉に関してのレス交換だけでは分かりませぬ。^^;
    でも2001年からYahoo!掲示板やってましたが〈私〉を理解してた人はKIDAMASAさん、転法祖師、エフニさんの3人くらいでした。
    永井さんがまだ有名でなかったこともあり、ほとんど〈私〉に興味を抱く人はいなかったです。

    レス交換で理解してもらった経験はなくて、KIDAMASAさんや転法祖師は既に知ってたし、エフニさんにはなんと映画マトリックスで気付かれたってことでした。
    ここにきて既にご存知だったknowing itselfさん、レス交換で初めて伝わったかもしれないminoriさんやおくったがわさん、ピピットさん?と増えつつあることにパニチェが驚いてます。

    > ありがとうございます(o^^o)♪♪♪

    こちらこそ、ありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■4773 / inTopicNo.76)  Re[11]: 〈私〉について 19(補足)
□投稿者/ minori -(2020/07/30(Thu) 20:50:47)
    パニチェさん、レスありがとうございます。

    >では、再び質問です。

    >よく言われる物心がつくとはどういう状態だと思いますか?

    物心がつく時期というのは、自意識が芽生えてくる頃に該当するのではないでしょうか。

    >物心がついた私と〈私〉との関係はどういうものでしょうか?

    幼少の子どもがはっきりと独在的私である〈私〉を自覚しているとは思えません。
    しかし、幼少の子どもが自覚しているいないに関わらず、その子自身が〈私〉であることには変わりはないと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■4771 / inTopicNo.77)  カント哲学について
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/30(Thu) 20:01:30)
    カントについて先回りして一言いっておくと、

    永井哲学における<私>と「私」を<自由>と「自由」に置き換えたものがカント哲学だといえば、カント哲学にまつわる色々なことがわかってくるように思います。

    永井哲学はこればっかりの金太郎飴という感じですが、難解なカント哲学体系の中心軸は、<自由>と「自由」でしょう。永井哲学が超越論的であれば、カント哲学も当然、超越論的ということになる。
引用返信/返信 削除キー/
■4770 / inTopicNo.78)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/30(Thu) 19:57:12)
    返信ありがとうございます!

    >とこでピピットさんって、〈私〉はもう既に理解されているんですよね?
    ニークラに来る前から既に知ってたとかですか?<

    パニチェさんの伝えたい通りに、pipitが理解できてるか、誤解してるかは、
    pipitにはわかりませんm(_ _)m

    わかってないかもしれません。

    でも、pipit側から言えば、
    パニチェさんはpipitの思ってる、この感覚とか、
    気持ちとか、わかってもらえてるかも、って思ってます。

    ありがとうございます(o^^o)♪♪♪
引用返信/返信 削除キー/
■4769 / inTopicNo.79)  レスその2
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/30(Thu) 19:51:11)
    同書p171の終わりからp174まで、表面的な言葉使いで対立するように見えるほどには三人の対立は小さい印象です。良道氏は二重構造をとるから、上が下に命令指図するとか、下が上を仰ぎ見るとかではまったくありません。

    永井氏は「ただ見ているだけ、観察しているだけで、それ以外のことが一切なければ、それは超越論的ですよね。良道さんの場合は、それだけではすまない、それ以降の仕事があるんですよね?」と質問しているが、この質問自体が良道説を誤解しています。第五図的主体が観察以降に第四図に降りてきて成り代わって仕事するなどということはありません。あくまで二重構造です。
引用返信/返信 削除キー/
■4768 / inTopicNo.80)  ピピットさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/30(Thu) 19:42:01)
    No4766に返信(pipitさんの記事)
    > 私の質問は、
    > パニチェさんの行為として区分けするかではなく、
    > 〈〈私〉〉の存在の是非で区分けしてるか、というつもりでした。

    なるほど。

    > pipitは、牛にも〈〈私〉〉はあると推測しながら、
    > 焼肉を美味しいなと欲張る存在が、自分だと思っています。

    上記も含めてほとんど同じですね。^^

    > 対等という言葉が浮かんで、次に、仏教用語の『同時』(うろ覚え(^_^;))が思い浮かびました。

    なるほど。パニチェが〈私〉や〈〈私〉〉から思い浮かぶのは。。。
    スッタニパータの「犀の角のようにただ独り歩め」、ダンマパダの「160.自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主でろうか?自己をよくととのえたならば、得難き主を得る」&「6.『われらは、ここにあって死ぬはずもものである』と覚悟しよう。─このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。」です。

    No4763に返信(pipitさんの記事)
    > 犬や猫やゴキちゃんにも〈〈私〉〉はあると希望込みで推測してる。
    > 〈〈私〉〉はありながらもら〈私〉は他を殺して生きる。
    > と、思ってます。

    同じですね。

    > パニチェさん、いろんなことを、お互いの仮共通土台として、
    > 話せるの、本当に嬉しいです。
    > 心より感謝します。

    こちらこそ、光栄です。ありがとうございます。
    とこでピピットさんって、〈私〉はもう既に理解されているんですよね?
    ニークラに来る前から既に知ってたとかですか?

引用返信/返信 削除キー/
■4766 / inTopicNo.81)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/30(Thu) 18:23:43)
    返信ありがとうございます!
    考えを聞かせていただいて、とても嬉しいです。
    >>わたしの興味は、パニチェさんがどう考えてるか、どう推測されてるか、です。
    >
    > パニチェがどう推測しているかに興味をもってもらえるのは光栄です。
    >
    >>パニチェさんは、パニチェさんの奥さんや犬や猫にも、〈〈私〉〉は存在すると思いますか?
    >
    > はい。<

    私は、あってほしい、存在してほしい、
    という気持ち込みで、
    私も『はい』です。

    >>〈〈私〉〉に関して、人間と動物を分けますか?
    >>※聞いてるのは真偽ではなく、パニチェさんが行為する時の心境です。
    >
    > 牛や豚を食べていることからして人間と動物を分けていないと言えば嘘になります。
    > 私たちは毎日食事でもって、命をいただいています。
    >
    > 可愛らしいカルガモ親子の引っ越しを警官までが出て誘導する光景を報道番組で見て微笑ましく思いますが、その一方で鴨南蛮をおいしくいただき、引き取り手のない野犬や野良犬の殺処分を悲しむ一方で、牛や豚はこれまたおいしくいただいてます。
    >
    > 自分に近しい存在ほど情が入り、自分から遠い存在には無情になっています。
    > 見知らぬ遠い国で餓死する子どもがいても駆けつけることはありませんが、我が子が餓死しかけているなら、何を置いても駆けつけるでしょうね。そいう意味では人間も分けています。
    > 自分に近いものほど大きく、遠いものは小さいという、遠近法の価値観であり、要は自分が一番大きい存在だということです。<

    私の質問は、
    パニチェさんの行為として区分けするかではなく、
    〈〈私〉〉の存在の是非で区分けしてるか、というつもりでした。

    pipitは、牛にも〈〈私〉〉はあると推測しながら、
    焼肉を美味しいなと欲張る存在が、自分だと思っています。



    >>それとも、他に〈〈私〉〉があるかないかを自らに問わずに、是非に左右されずに、パニチェさんが主体として行為するのですか?
    >>実際問題として、どんな気持ちで生活を送っているのですか?
    >>どんなふうに考えられるのかを、議論というよりは、興味から聞いてみたいんです。
    >>もしよろしければ、
    >>考えてることを教えていただけたら、喜びますo(^▽^)o
    >
    > 私なんかでよければ、喜んで(炉端か!w)<

    考えてることを教えていただいて、本当に嬉しいです
    喜びますo(^▽^)o

    > 以前もカキコしたことと重複しますが、もし仮に他者から見て、パニチェに他者に向けての何らかの優しさや思いやりが観察されるとすれば(ないかもしれませんがw)、その源泉は「〈私〉と同じく他者も絶対的に孤独で隔絶されている存在である」というところからです。<

    対等という言葉が浮かんで、次に、仏教用語の『同時』(うろ覚え(^_^;))が思い浮かびました。



    >
    > ■No4763に返信(pipitさんの記事)
    >>特に興味あるのは、
    >>犬や猫やゴキちゃんにも
    >>〈〈私〉〉があると、パニチェさんは推測してるのかどうかってとこです。
    >
    > こんな答えでよかったでしょうか?
    > 差し支えなければピピットさんが同じ質問について、どう考えておられるか教えていただければ有難いです。<

    犬や猫やゴキちゃんにも〈〈私〉〉はあると希望込みで推測してる。
    〈〈私〉〉はありながらもら〈私〉は他を殺して生きる。
    と、思ってます。

    パニチェさん、いろんなことを、お互いの仮共通土台として、
    話せるの、本当に嬉しいです。

    心より感謝します。
引用返信/返信 削除キー/
■4765 / inTopicNo.82)  Re[10]: 興味
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/30(Thu) 17:24:26)
    2020/07/30(Thu) 18:29:37 編集(投稿者)

    ピピットさん、こんにちは。レスありがとうございます。

    No4762に返信(pipitさんの記事)
    > パニチェさん、返信ありがとうございます(o^^o)

    > 了解です。〈〈私〉〉の表記、いいですね!

    これパニチェが考えた表記ではなく、永井さんが用いてるのをパクってます。^^

    > わたしの興味は、パニチェさんがどう考えてるか、どう推測されてるか、です。

    パニチェがどう推測しているかに興味をもってもらえるのは光栄です。

    > パニチェさんは、パニチェさんの奥さんや犬や猫にも、〈〈私〉〉は存在すると思いますか?

    はい。

    > 〈〈私〉〉に関して、人間と動物を分けますか?
    > ※聞いてるのは真偽ではなく、パニチェさんが行為する時の心境です。

    牛や豚を食べていることからして人間と動物を分けていないと言えば嘘になります。
    私たちは毎日食事でもって、命をいただいています。

    可愛らしいカルガモ親子の引っ越しを警官までが出て誘導する光景を報道番組で見て微笑ましく思いますが、その一方で鴨南蛮をおいしくいただき、引き取り手のない野犬や野良犬の殺処分を悲しむ一方で、牛や豚はこれまたおいしくいただいてます。

    自分に近しい存在ほど情が入り、自分から遠い存在には無情になっています。
    見知らぬ遠い国で餓死する子どもがいても駆けつけることはありませんが、我が子が餓死しかけているなら、何を置いても駆けつけるでしょうね。そいう意味では人間も分けています。
    自分に近いものほど大きく、遠いものは小さいという、遠近法の価値観であり、要は自分が一番大きい存在だということです。

    > それとも、他に〈〈私〉〉があるかないかを自らに問わずに、是非に左右されずに、パニチェさんが主体として行為するのですか?
    > 実際問題として、どんな気持ちで生活を送っているのですか?
    > どんなふうに考えられるのかを、議論というよりは、興味から聞いてみたいんです。
    > もしよろしければ、
    > 考えてることを教えていただけたら、喜びますo(^▽^)o

    私なんかでよければ、喜んで(炉端か!w)
    以前もカキコしたことと重複しますが、もし仮に他者から見て、パニチェに他者に向けての何らかの優しさや思いやりが観察されるとすれば(ないかもしれませんがw)、その源泉は「〈私〉と同じく他者も絶対的に孤独で隔絶されている存在である」というところからです。


    No4763に返信(pipitさんの記事)
    > 特に興味あるのは、
    > 犬や猫やゴキちゃんにも
    > 〈〈私〉〉があると、パニチェさんは推測してるのかどうかってとこです。

    こんな答えでよかったでしょうか?
    差し支えなければピピットさんが同じ質問について、どう考えておられるか教えていただければ有難いです。

引用返信/返信 削除キー/
■4764 / inTopicNo.83)  Re[10]: 〈私〉について 19(補足)
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/30(Thu) 17:06:45)
    レスありがとうございます。

    No4761に返信(minoriさんの記事)
    >>多少のブレはあるかもしれませんが多分大丈夫です。^^
    >>よかった。^^

    > 大筋では理解していそうだ、ということでしょうか。

    大筋ではなく理解されていると想像しますが、その確信度合いが多少ブレるような時があるのは自然だと思うということです。

    > 言語によって一般化される「私」 → 脳科学などで説明可能な私
    > 言語によって表現できない〈私〉 → 「意識の超難問」につながる
    > このような関係性が浮かんだのですが、的外れだったかもしれません。

    なるほど。
    脳科学などで説明可能な私は、言語によって一般化される「私」であり、これに関する問いは「意識の難問」ということですね。
    よく分かりまあした、その通りです。的外れではなく、的を射抜いてます。

    >>あるのは今だけだからです、過去の「今」であった時間と未来に来るであろう「今」と区別するために、今しかない今を〈今〉と表記することにします。
    >>他者の〈〈私〉〉と〈私〉の違いは、「今」と〈今〉の関係と同じです。

    > なるほど。〈今〉しかないのだというのはとてもとてもわかるんです。
    > それと同じなんですね。

    そうです。

    >>他者の〈〈私〉〉と〈私〉の違いは、「今」と〈今〉の関係と同じです。

    > 他者の〈〈私〉〉も、過去や未来の「今」も、想像上でしか存在しえないということですよね。

    そうです。どちらも直接経験から知り得ません(不可知)。

    >>そして「気が遠くなるほど多くの〈〈私〉〉が存在する中で、何故、minoriさんはminoriさんの〈〈私〉〉を他の誰でもない〈私〉として認識可能なのでしょうか?」と「何故、今は、今として認識できるのでしょうか?」は同様の問いです。
    >>どちらの答えも「それしかない」からです。
    >>「それしかない」ということは「それ以上確かな存在がない」とも言えますし、「それ以上自明な存在はない」とも言えます。
    >>〈私〉や〈今〉はそういう存在だと思いますが、ここまで如何でしょうか?

    > 〈今〉の話で、別方向から深まった気がします。
    > それしかない、それ以上確かな存在がない、それ以上自明な存在はない、ということですね。

    そうです、その通り!

    > では、9合目目指してついて行ってもいいですか。

    はい、喜んで!(炉端かい!w)
    もう目と鼻の先ですよ。


    では、再び質問です。
    よく言われる物心がつくとはどういう状態だと思いますか?
    物心がついた私と〈私〉との関係はどういうものでしょうか?

引用返信/返信 削除キー/
■4763 / inTopicNo.84)  Re[9]: 興味
□投稿者/ pipit -(2020/07/30(Thu) 17:01:19)
    特に興味あるのは、
    犬や猫やゴキちゃんにも
    〈〈私〉〉があると、パニチェさんは推測してるのかどうかってとこです。
引用返信/返信 削除キー/

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