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■4856 / inTopicNo.49)  脳や身体性の役割
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/08/02(Sun) 09:16:39)
    〈私〉が非物質的なものでるとするなら脳や身体とはどのようにリンクするのか?

    意識が個々のニューロンの発火と全体性(身体性)との関連で生じる(マッハ原理)ように、〈私〉は身体性と世界(宇宙)の全体性によって生じているのではないか?
    意識や〈私〉は非局所的な存在であり、ニューロンや身体性によって収束される可能性。

    ロジャーペンローズが言うように意識が脳の量子的な現象から生じてくるのであれば、意識や〈私〉が非局所的存在であるのも不自然ではない。

引用返信/返信 削除キー/
■4855 / inTopicNo.50)  〈魂〉の可能性
□投稿者/ パニチェ -(2020/08/02(Sun) 08:17:06)
    2020/08/02(Sun) 08:39:05 編集(投稿者)

    以下、思いつくままに科学の定義

    1.実証性(実験や観測によって検証できなくてはならない)
    2.反証可能性(理論や仮説が誤りであることを確認するテストが可能である)
    3.計測可能性(実験や観測によって計測できる)
    4.再現性(同じ方法やメカニズムで再現することができる)
    5.自然の斉一性(自然はいつでもどこでも同じ法則に従っている)


    〈私〉は科学の対象か?→意識の超難問→「何故、私は他の誰でもなく、この私なのか?」

    1.他者にとって〈私〉は実証対象にならない。自分自身で〈私〉は実証できない。(実証する側であり対象にはなりえない)
    2.実験や観測する側であり、実験や観測する対象になりえない。
    3.機器(脳のスキャンも含め)を用いても計測不可能である。
    4.再現不可能である(再現された意識は〈私〉ではありえない)。
    5.〈私〉はいつでもどこでも同じ自然法則によって生じえない。


    意識は科学の対象か?→意識の難問→どのようにして主観的な意識体験が生じるのか?

    1.チューリングテスト
    2.チューリングテスト
    3.脳のスキャニング、脳波の計測
    4.メカニズムが解明されれば再現性は伴う。
    5.メカニズムが解明されれば自然の斉一性を伴う。


    上記のことから可能性として何が言えるか?

    意識は科学の対象であり、脳や身体性の随伴現象、または物理的に解明される可能性はあるが、〈私〉は科学の対象となりえず、脳や身体性の随伴現象として物理的に解明される可能背はない。
    〈私〉は科学の対象となりえず、脳や身体性の随伴現象として物理的に解明される可能背はないにもかかわらず、自明でかつ確たる存在である。

    故に〈私〉は非物理的な存在である。
    〈私〉は〈魂〉の可能性がある。
引用返信/返信 削除キー/
■4830 / inTopicNo.51)  第五図の認識作用
□投稿者/ knowing itself -(2020/08/01(Sat) 12:35:49)
    宇宙や世界を目の前にある一枚の絵に喩えます。一枚の絵と不二、主客なしの一体化。これをゴールにする人は少なくないと思いますが、テーラワーダは明らかに違いますね。通過点としてはこの種の体験が必須でも、ゴールは絵が生滅するプロセス、絵を観察する心が生滅するプロセスを目の当たり体験して、すべてが無くなる段階に至ること。これがゴールのようです。

    良道氏が第五図の認識作用というのも、後者のすべてが無くなる状態の中でなおも働いている作用のことです。夢を一切みない完全熟睡状態の中でそのことに気づいている作用。そのようなものだと思います。

    本質的にはそういう認識作用が目の前の現象に気づいている。内山老師のイラストの第五図の意味はそうなるでしょう。
引用返信/返信 削除キー/
■4829 / inTopicNo.52)  Re[11]: 「〈仏教3.0〉を哲学するU」3
□投稿者/ knowing itself -(2020/08/01(Sat) 11:54:38)
    > これは違うと思います。良道氏によると、体験中は目をつぶっても圧倒的な人工太陽が輝いて、自他の境界がなくなる。すべてが暖かい光に満たされる。しかもそれを意識できている状態。慈悲の語にこだわる必要はないですが、この状態から憎悪を引き出す方が不自然というか、屁理屈に近いようにも思えます。

    自己レスです。

    上記の体験はジルボルトテイラーを想起する向きもあると思うが、良道氏やテーラワーダではこれは悟りでも最終ゴールでもありません。ここが出発点です。この体験からヴィパッサナーが始めて可能になる。遠大なヴィパッサナーの修行を可能にする条件に過ぎないとのこと。
引用返信/返信 削除キー/
■4810 / inTopicNo.53)  minoriさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/31(Fri) 18:31:39)
    2020/07/31(Fri) 18:59:20 編集(投稿者)

    No4808に返信(minoriさんの記事)

    > 純粋な疑問ではあるのですが、書き方に可愛さが出てなくて(出せなくて)不愉快に感じられてしまったらどうしよう、でも、どんなふうに書いたらいい? ええぃっ、これで投稿してみよう、という感じで先ほど投稿しましたので、そのようにはならなくてほっとしました。
    > パニチェさんは器が違います。(大きいのです。)

    器もケツのア〇も小さい私ですが、先のカキコは何の問題や違和感もなく読めましたよ。
    むしろ私が気づかないことを気付かされました。^^


    > ヴィトゲンシュタインの言語ゲームという観方は、ほんとその通りだと思いますし、これについては多くの人が共感すると思います。
    > それから、言語では世界を写し取れない場合もある、という理論。

    そそ。前期から後期へ、写像理論から言語ゲームへの拡張ですね。

    > (あれ? そんなこと言ってなかったかな。。。すみません、確認せずに書いてます。)

    言ってました。^^

    > レスはお気遣いなく。♪

    ミートゥー♪
引用返信/返信 削除キー/
■4808 / inTopicNo.54)  パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/31(Fri) 17:24:54)
    パニチェさん、レスありがとうございます。

    > すみません。指摘されて気付きましたが、先の私のレスって、そのように考えるに至った思考をぶっ飛ばして結論だけを一方的に書いてましたね。^^;
    > これは価値観なので無視して下さい。
    > 多分、説明するにはニーチェを説明する必要がありそうで、すみません、これはやめときましょう。
    > これまた結論から言うと、とてもおもしろ、おかしく過ごしてます。^^

    了解です。^^

    純粋な疑問ではあるのですが、書き方に可愛さが出てなくて(出せなくて)不愉快に感じられてしまったらどうしよう、でも、どんなふうに書いたらいい? ええぃっ、これで投稿してみよう、という感じで先ほど投稿しましたので、そのようにはならなくてほっとしました。
    パニチェさんは器が違います。(大きいのです。)



    > 以下もスルーでも結構ですよ。
    > 紹介した責任もあるので、カキコだけはしておきます。^^
    >
    > >> 『私はこう言おう。「正直なところを言えば、たしかに、私には他の誰にもない何かがあると言わねばならない」、と。──だが、その私とは誰だ。──くそっ。私の言い方はまずいがそこに何かがあるんだ!君だって私の個人的な経験というものがあり、またそれには最も重要な意味での隣人というものがないことを否定すまい。──だが君はそれがたまたま孤独だと言うつもりではないだろう。君の言いたいのはその何かの文法上の位置が隣人のない場所にあるということだろう。「しかしどうしたわけか我々の言語には、そこに他と比べることのできない何か、すなわち真に現前している経験、があるということがあらわれてはこないのだ。私はそのことに甘んずるべきだと君は言いたいのか。」(おかしいことに、日常生活で日常言語を使っていて何かに甘んじなければならないと我々が感じることはまったくない。)ウィトゲンシュタイン全集6『「個人的経験」および「感覚与件」について P.323』より』
    >
    >>何度か繰り返し読み、考えもしたのですが、ヴィトゲンシュタインが何を言いたいのか、わかりませんでした。
    >
    > 『私には他の誰にもない何か、つまり〈私〉があることを君(仮想の読者)に伝えようとしているのですが、言葉で伝えられないもどかしさを表明してます。

    はい。そのあたりはなんとなく(微かになんとなく)感じたのですが・・・

    >で、「隣人というものがない」というのはマッハ的光景の手間の位置(何かの文法上の位置が隣人のない場所にある)には如何なる物や人も並び立てないということの別の言い方です。

    なるほど。「隣人というものがない」というのは、マッハ的光景の手前の位置には如何なる物や人も並び立てない、という意味なのですね。
    だから〈私〉であるわけで。

    >でも言葉にすると唯一無二性があられてこない。そんなの気にする必要ないと君(仮想の読者)は言いたいのか?(そんなこと言われなくても日常生活で交わす言葉では〈私〉を感じることなどまったくない、ってことも伝えたかったんだけど。。)』ってな話です。


    あ〜そうか。「そんなこと言われなくても日常生活で交わす言葉では〈私〉を感じることなどまったくない」、というのも、ヴィトゲンシュタインは伝えたいとパニチェさんは読み込まれていたのですね。

    ヴィトゲンシュタインの言語ゲームという観方は、ほんとその通りだと思いますし、これについては多くの人が共感すると思います。
    それから、言語では世界を写し取れない場合もある、という理論。
    (あれ? そんなこと言ってなかったかな。。。すみません、確認せずに書いてます。)

    レスはお気遣いなく。♪
引用返信/返信 削除キー/
■4806 / inTopicNo.55)  おくったがわさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/31(Fri) 17:18:17)
    こんにちは、おくったがわさん

    No4805に返信(おくったがわさんの記事)

    > こんにちは。
    > パニチェさんのこの投稿におそらくつながったと思われる自分の記述を編集で削除しました。
    > そのため、パニチェさんがこれを投稿された理由が分かりにくくなりました、すみません。
    > 削除の理由は多重人格と思われたくないため…ではなく(^^)
    > もともと前後の話題と不整合で自己満足に過ぎない記述ではないか。悪魔ちゃんにとっても、何故そういうレスが付くのか分からないだろうと反省・再認識したからです。紛らわしいことをしてすみません。

    全然、大丈夫です。
    私も削除してPanietzsche Roomに追記しておきました。
    むしろ気を遣っていただき、ありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■4805 / inTopicNo.56)  Re[18]: 解離性同一障害
□投稿者/ おくったがわ -(2020/07/31(Fri) 17:14:57)
    No4796に返信(パニチェさんの記事)
    > 2020/07/31(Fri) 12:46:53 編集(投稿者)

    こんにちは。
    パニチェさんのこの投稿におそらくつながったと思われる自分の記述を編集で削除しました。
    そのため、パニチェさんがこれを投稿された理由が分かりにくくなりました、すみません。
    削除の理由は多重人格と思われたくないため…ではなく(^^)
    もともと前後の話題と不整合で自己満足に過ぎない記述ではないか。悪魔ちゃんにとっても、何故そういうレスが付くのか分からないだろうと反省・再認識したからです。紛らわしいことをしてすみません。
引用返信/返信 削除キー/
■4802 / inTopicNo.57)  Re[18]: カニッツァの三角形>minoriさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/31(Fri) 15:50:31)
    minoriさん、レスありがとうございます。

    No4798に返信(minoriさんの記事)
    > 〈私〉について、パニチェさんに導いていただいて理解はできたと思うのですね。
    > ただ、その唯一無二性であるということがなぜ大切なのか、という点においては、minori自身としてはわからないんですよね。
    > パニチェさんにとってそれは大切なのだというのはとてもわかります。
    > そこで質問なのですが。
    > なぜそこまで唯一無二性の独我論的〈私〉というのがそもそも大切なのですか?
    > なぜそこが人間の尊厳に関わるのでしょう?
    > ケチをつけようとしているのではなく、純粋にわからないんです。

    No4799に返信(minoriさんの記事)
    > @とAの両立というのが、あくまでminoriにとっては不思議にも感じるのです。
    > 主客未分であるならば、唯一無二性にそこまでこだわる必要もないのではないか?
    > なぜこだわるのだろう? という疑問です。
    > もちろん。主客未分であるなら、没個性でなければおかしいという論理もそれはそれでおかしいとは思うのです。
    > 主客未分であることと、現象世界に生きる人間たちが個性豊かであることに矛盾はないと思うからです。
    > うまくまとめられなくて申し訳ないのですが、このような疑問は感じています。

    No4800に返信(minoriさんの記事)
    > 何度もすみません。
    > 自分らしくありたいと願う。
    > また、他者にもそのようでありたい自分を尊重してほしい。
    > (もちろん、他者のそれも尊重する。)
    > この願望が強すぎると逆に苦しみに繋がりませんか?
    > こんなふうに考えるのはあくまで私の思考の範囲内での思いなのだとは思うのですが。
    > 率直なほうがおもしろくないですか、ってことで。

    すみません。指摘されて気付きましたが、先の私のレスって、そのように考えるに至った思考をぶっ飛ばして結論だけを一方的に書いてましたね。^^;
    これは価値観なので無視して下さい。
    多分、説明するにはニーチェを説明する必要がありそうで、すみません、これはやめときましょう。
    これまた結論から言うと、とてもおもしろ、おかしく過ごしてます。^^


    以下もスルーでも結構ですよ。
    紹介した責任もあるので、カキコだけはしておきます。^^

    >> 『私はこう言おう。「正直なところを言えば、たしかに、私には他の誰にもない何かがあると言わねばならない」、と。──だが、その私とは誰だ。──くそっ。私の言い方はまずいがそこに何かがあるんだ!君だって私の個人的な経験というものがあり、またそれには最も重要な意味での隣人というものがないことを否定すまい。──だが君はそれがたまたま孤独だと言うつもりではないだろう。君の言いたいのはその何かの文法上の位置が隣人のない場所にあるということだろう。「しかしどうしたわけか我々の言語には、そこに他と比べることのできない何か、すなわち真に現前している経験、があるということがあらわれてはこないのだ。私はそのことに甘んずるべきだと君は言いたいのか。」(おかしいことに、日常生活で日常言語を使っていて何かに甘んじなければならないと我々が感じることはまったくない。)ウィトゲンシュタイン全集6『「個人的経験」および「感覚与件」について P.323』より』

    > 何度か繰り返し読み、考えもしたのですが、ヴィトゲンシュタインが何を言いたいのか、わかりませんでした。

    『私には他の誰にもない何か、つまり〈私〉があることを君(仮想の読者)に伝えようとしているのですが、言葉で伝えられないもどかしさを表明してます。で、「隣人というものがない」というのはマッハ的光景の手間の位置(何かの文法上の位置が隣人のない場所にある)には如何なる物や人も並び立てないということの別の言い方です。でも言葉にすると唯一無二性があられてこない。そんなの気にする必要ないと君(仮想の読者)は言いたいのか?(そんなこと言われなくても日常生活で交わす言葉では〈私〉を感じることなどまったくない、ってことも伝えたかったんだけど。。)』ってな話です。

引用返信/返信 削除キー/
■4801 / inTopicNo.58)  Re[20]: 第五図と第四図への二重帰属
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/31(Fri) 15:21:46)
    レスありがとうございます・

    No4797に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 良道氏のテーラワーダ体験については、同書第一章で語られていますね。p46とか。

    P.38〜P.51を読み返してみました。特にP.40〜P.42で詳しく語られていましたね。なるほど、P.40の最初に書かれてましたが、まずは心を落ち着けるために呼吸に集中し、慈悲をやしなうんですね。その後は内観っぽいところから入っていく。
    かなり黙照禅とは違いますね。

    > 永井哲学と禅宗の相性はどうかについては、曹洞宗で永井氏と話しがあうのは一照氏と良道氏が少数派かなという印象をもっています。良道氏は安泰寺では異端派で、一照氏は安泰寺から外れてはいませんが、それを超えている国際的な仏教知識人ですね。グーグル本社でマインドフルネスの講習をしたりしています。安泰寺の伝統に原理主義的につながるのはネルケ氏だと思いますが、永井哲学に真っ向から反対しているように見受けられます。

    ほんとんどの仏教者は永井さんとは話が合わないのではないでしょうか。〈私〉なんてものを探究しているというか、興味を持っている仏教者は一照さんと良道さんくらいじゃないですかねぇ〜。
    だから3.0なんだと思いますが。

    > ご存知だと思いますが、曹洞宗は見性にあまり重きを置きませんね。とくに安泰寺は。見性を求めるのは臨済宗の影響を受けている曹洞宗ですね。

    そうですね。只管打座と修証一等です。

    > あと、永井氏は地橋秀雄さんからウィパッサナーの指導を受けていて、瞑想の師と呼べるのは地橋さんだけだと語っていました。ちょっと地橋さんのツィッターをみてみると、
    > 慈悲の瞑想について熱く語る書き込みは続いていて、驚かされます。

    そうなんですね。ここのところは私とは全く違うところです。^^

引用返信/返信 削除キー/
■4800 / inTopicNo.59)  Re[17]: カニッツァの三角形>minoriさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/31(Fri) 14:24:53)
    何度もすみません。

    自分らしくありたいと願う。
    また、他者にもそのようでありたい自分を尊重してほしい。
    (もちろん、他者のそれも尊重する。)

    この願望が強すぎると逆に苦しみに繋がりませんか?
    こんなふうに考えるのはあくまで私の思考の範囲内での思いなのだとは思うのですが。
    率直なほうがおもしろくないですか、ってことで。

     以上です。


引用返信/返信 削除キー/
■4799 / inTopicNo.60)  Re[16]: カニッツァの三角形>minoriさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/31(Fri) 14:15:59)
    @ > 生体は呼吸や新陳代謝してるし、身体や物体、気体や液体などの最小単位である量子は空間に広がってる波であって境界が明確な粒子ではない。私たちの物体としての身体は空間的にも独立した存在ではないにもかかわらず、言葉によるラベリング効果でもって周囲の物や人との自他の境界認識を強め、バラバラにしてしまう。

    ええ、そういうことなんですよね。


    A >さらに最も身近で最も自明な唯一無二性も失われる。それは属性でしかない個性を謳う「世界にひとつだけの花」どころではない、人間の尊厳にもかかわる存在論的な対象を隠してしまう。

    〈私〉について、パニチェさんに導いていただいて理解はできたと思うのですね。
    ただ、その唯一無二性であるということがなぜ大切なのか、という点においては、minori自身としてはわからないんですよね。
    パニチェさんにとってそれは大切なのだというのはとてもわかります。
    そこで質問なのですが。
    なぜそこまで唯一無二性の独我論的〈私〉というのがそもそも大切なのですか?
    なぜそこが人間の尊厳に関わるのでしょう?
    ケチをつけようとしているのではなく、純粋にわからないんです。

    ・・・・・・

    @とAの両立というのが、あくまでminoriにとっては不思議にも感じるのです。

    主客未分であるならば、唯一無二性にそこまでこだわる必要もないのではないか?
    なぜこだわるのだろう? という疑問です。

    もちろん。主客未分であるなら、没個性でなければおかしいという論理もそれはそれでおかしいとは思うのです。
    主客未分であることと、現象世界に生きる人間たちが個性豊かであることに矛盾はないと思うからです。

    うまくまとめられなくて申し訳ないのですが、このような疑問は感じています。

引用返信/返信 削除キー/

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