| 2020/08/01(Sat) 17:55:34 編集(投稿者) 2020/08/01(Sat) 17:52:15 編集(投稿者)
田秋さん、こんにちは〜。
>浄夜は世界で最も官能的な音楽のうちの一つだと思います。これに比べると例のマーラーのアダージェットの愛はずっと健康的に聴こえます。
健康的・・・そうですね。アダージェットのほうはお互いに相手を信用しきっている早朝の光のようなピュアなストレートな愛、「浄夜」は夜という設定と、罪の告白と許し(?)というどこか暗い引きずるような感情の部分がありますね。
>調性音楽の極限を聴いているようで、この後シェーンベルクが(もう行き場がなくなり)12音技法に走ったのも理解できなくなくもありません。
>この曲はデーメルさんの詩が元になっています。一言でいえば男さんが彼女から自分の子供ではない赤ちゃんを身ごもっていると告げられ、結局彼女を許しちゃうという詩です。
ドイツ語はまったく分かりませんので英訳で見ました。
>「あなたの子供ではない」と告げられるということはこの二人は既に深い仲になっているのは明らかです(そうでなければ、当たり前のこと)。問題は深い仲になる前に身ごもったのか後なのか?或いは出会いから深い仲になるまでの間という可能性もあります。
行きずりの関係を持った後に、この一緒に月夜を歩いている男性と出会った、そして自分の人生が自分に復讐するように、出会った後に妊娠が発覚した・・・
>ここがはっきりしないのです。出会う前のご懐妊なら、女さんは男さんに対してそう罪悪感は持たなくてもいい訳です。男さんと知り合ってから見知らぬ男に身を委ねた結果ならこれは罪悪感を持つのは普通の感覚です(二人は結婚していないので不倫ではなく二股をかけた)。 >詩を読む限りではどうも出会い以前の過ちだったような気がします。彼女が感じている罪悪感は、見知らぬ男に身を委ねた事に対すもの、或いはこの男さんから見れば穢れた体と思われても仕方のないことへの罪悪感。
私もそう思います。だから疑いもなく、行きずりの男の子供だとわかるのでしょう。。。罪悪感はやはり・・・行きずりの男に身をゆだねたことへの自分に対する恥、今の男性に対する恥、しかも母親としての喜びもある・・・だからすべてを告白しないと新しい男性に飛び込んでいけない自分というのがあるような・・・この詩が発表されたのが1896年ですよね。じぶんだったらどうかな・・・この新しい男性に一生頭が上がらないと思います。
>いやあ、文学って本当に面白いですね。妄想がどんどん広がります。音楽ではこうはいきません。
面白いですね。喧々諤々と想像するのもまた愉しからずやです。
P.S. 弦楽合奏版も6重奏版もどちらもやったことあります。どちらがいいかというと微妙で、二人っきりの会話ということでは6重奏版がいいです。ダイナミックな音響という面からすると弦楽合奏版が立体的です。一応、これを書いておかないとただの変態オヤジと思われますからね!
変態オヤジだなんて思いませんって!。そんなこと気にしていたら何も語れないではあ〜〜りませんか? 二人の心情を表現していくにはストリングスがベストだと感じます・・弦楽合奏版の見本ありますか?
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