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■4645 / inTopicNo.73)  図式
  
□投稿者/ pipit -(2020/07/27(Mon) 22:36:32)
    みなさまこんばんは。

    カント哲学に出てくる意味での『図式』の参考になれば、と、
    『カント事典』弘文堂、p279.280の前半を、抜粋引用します。

    引用開始、太田伸一さんによる解説です。
    『図式[(独)Schema]

    概念(普遍的表象)は、どのようにして直観(個別的表象)およびその対象に適用されるのか、

    あるいは同じことであるが、

    直観の対象は、どのようにして概念の下に包摂されるのか。

    この問題を解決するために、概念と直観をつなぐ第三のものとして考えられるのが図式である。

    さて、概念の直観への適用が問題になるのは、直観と概念が異種的だからである。

    直観の個別性は、空間・時間の表象によって可能になる。
    これに対して、概念の普遍性は、空間・時間を捨象することによって可能になる。
    直観と概念の異種性は、空間・時間に関する異種性なのである。

    そこで、カントは、一方で空間・時間の表象と関わるものとして直観と同種的であり、他方で普遍的なものとして概念と同種的であるような「図式」を考えることによって、概念の直観に対する適用の問題を解決しようとするのである。

    ある概念の図式とは、「概念にその形象(Bild)を与える構想力の一般的なはたらき方の表象」[B179-180]である。

    (略)

    形象を描き出すために、構想力によって綜合されるべき多様な表象は、空間・時間の形式に従っている。
    したがって、図式は、空間・時間の表象と関わるのであり、その限りにおいて直観と同種的である。
    また、図式は規則としての普遍性を持つ。その限りにおいて、図式は概念と同種的である。

    このような図式が根底にあって、概念が直観の対象に適用されること(直観の対象が概念の下に包摂されること)が可能になるのである。

    (略)』
    引用終了

    (カント哲学における『図式』は、直観に純粋悟性概念を適用させる場面が最大の見せ所だと思いますが、難しいので今は横に置いて、)
    とりあえずの大枠の理解としては、

    直観と概念をつなげる、構想力の働きによる概念のイメージ的なもの、それがカント哲学の文脈での『図式』なのかな、と、今の時点では思いました。間違えてるかも。
引用返信/返信 削除キー/
■4641 / inTopicNo.74)  Re[14]: 表象
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/27(Mon) 19:36:38)
    ■4603 pipitさま、こんばんわ。

    「現象」「知覚」「表象」
    わたしのは次のようなもの。半分日本語で考えています。

    「現象」の「象」は〈意識の内のもの〉として、「現」は〈現在〉〈現前〉のような意味としてる。
    だから、「現象」は〈現在・現前の意識の内のもの〉ってしなる。〈今、私の前にあるものものの私の意識〉。

    「学」っていのは〈見えるようにすること〉ってしてるから、「現象学」は〈今、私の前にあるものものの私の意識を見えるようにする〉こんな感じになります。

    かんたんに言うと。わたしの前にある缶ビールがどのようにして意識において構成されているか、っていうこと。
    今日はわたしの前には缶ビールがあって、もう一口飲んじゃった。

    「知覚」との関係なんだけど、
    わたし「意識」を大きく〈感覚―知覚―記憶―〇―思・考〉のように分節してます。このような分節の仕方は現象学を理解しようとするなかでわたしに浮かんできたもの。このように見ることによって現象学者がなに言ってるのかがちょっと見えてきた感じです。〇について物語ろうとすると現象学について、ってなっちゃうからやめとくね。
    ところで「分節」っていうのは〈それ自体の要素的分析ではなく、全体との関連のなかでのみ問題になり得る、全体のなかの構成部分。例えば、身体における各肢の機能など〉という意味です。

    簡単に言っちゃうと、現象という意識の流れを描き出そうとし、そのなかの知覚っていう働きも見てる、っていうこと。

    ちなみに「表象」は、わたしのばあい[re-presentation]で見ています。[re-]っていうのは〈再び〉として〈再び提出されたもの〉あるいは〈再び提出すこと〉として、わたしの分節においては二つの再びの提出があって、一つは〈思・考〉に〈記憶〉から、と、〈感・知覚〉から〈思・考〉へ、と、再び提出する(される)、っていう感じ。いずれにせよ、初めてのものではない、っていうイメージ。



引用返信/返信 削除キー/
■4603 / inTopicNo.75)  表象
□投稿者/ pipit -(2020/07/27(Mon) 06:40:58)
    悪魔ちゃん、おはよう。
    そういえば、悪魔ちゃんと私の間では、表象という言葉に込める意味が違ってた気もするね。
    一つ下のpipitのコメント文中にでてくる、私の表象は、
    〈知覚〉や〈現象〉という言葉に置き換えて読んでね。

    ところで、説明はあってもなくてもOKだけど、
    悪魔ちゃんの中では、
    知覚と現象は、違うもの?
引用返信/返信 削除キー/
■4584 / inTopicNo.76)  Re[12]: 身体図式
□投稿者/ pipit -(2020/07/26(Sun) 20:45:41)

    > >わたしの世界には物質があってその一部分が、わたしの身体として、わたしの自由になりやすいよね<
    >
    > 「物質」と「身体」とはどいう関係?
    > <この世界には物質っていうのがあって、その一部がわたしにの身体>っていうこと?<

    うん。
    物質のうちの一部分が、自己の意志が通り易い物質ってこと。

    ワイングラスも、悪魔ちゃんの身体的腕も、同じ物質だけど、
    縁取られて、ワイングラスと腕に分離している。

    そして、ワイングラスが外のものとしての表象として表現されるように、
    悪魔ちゃんの腕は、身体図式として、悪魔ちゃんに表象され、その身分を表現される。

    そういうイメージで私の意見を書いたよ。

引用返信/返信 削除キー/
■4583 / inTopicNo.77)  Re[11]: 身体図式
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/26(Sun) 20:16:35)
    ■4580
    pipitさま
    >現象学もメルロさんのも悪魔ちゃんのも、全然わからん<
    こういうの、好き。

    >わたしの世界には物質があってその一部分が、わたしの身体として、わたしの自由になりやすいよね<

    「物質」と「身体」とはどいう関係?
    <この世界には物質っていうのがあって、その一部がわたしにの身体>っていうこと?

    ちなみに、わたし、答え持ってないし〜。ごめんね。
    わたしが問うのは、”あなた”に問うてるだけだからムシでもいい問い。
    わたしの問いは、それは真偽善悪である、っていう判断以前の問いなの。

引用返信/返信 削除キー/
■4582 / inTopicNo.78)  Re[12]: メルロポンティ
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/26(Sun) 19:48:30)
    pipitさんさん、こんばんは、レスありがとうございます。

    もちろんメルロポンティもよくわかりませんが、一枚の絵(その中に生きている世界)が目の前にある神秘に向かいあうという意味で、カントもメルロポンティにも共通性があるように思いました。カントでは物自体には対象として触れることができませんが、現象である一枚の絵は間接的には物自体の神秘の表現そのものですね。
引用返信/返信 削除キー/
■4581 / inTopicNo.79)  メルロポンティ
□投稿者/ pipit -(2020/07/26(Sun) 19:33:45)
    knowing itself さん、こんばんは。

    私にはメルロポンティは難しいです。

    悪魔ちゃんとメルロに関する話題など、私を気にせず、
    このトピでもご随意にされてくださいね。

    knowing itself さんは、本当〜に博識ですね〜 !!(・_・;
引用返信/返信 削除キー/
■4580 / inTopicNo.80)  身体図式
□投稿者/ pipit -(2020/07/26(Sun) 19:25:31)
    悪魔ちゃんへ
    > >後で、カント事典での【図式】の抜粋引用するね。<
    > 時間のあるときでいいよ。ありがと。<

    うん、ありがとう!

    現象学もメルロさんのも悪魔ちゃんのも、全然わからん

    けど、pipitの思ってること書いてみるね。

    わたしの世界には物質があって
    その一部分が、わたしの身体として、わたしの自由になりやすいよね。

    見方の一つの可能性としては、
    世界のうちにあるものを、自己の意志として、自己の身体として集結させ、
    望む結果を獲ようとしてる、とも言えるよね。
    そこにはいろんな因果関係の制約が絡み、完全に自由意志で物質をコントロールできるわけではないけど。

    そういう考え方と、

    > それにしても、自己の身体はどうしてゲシュタルトとして私に与えられるのか。メルロ=ポンティによると、それは私の身体が己の目的に達するために自分自身を結集するからにほかならない。したがって、メルロ=ポンティによれば「身体図式とは結局のところ、私の身体が世界内存在であることを表現するための一つの仕方なのである」〕<

    という文章は、言ってることは全然かぶらない?



引用返信/返信 削除キー/
■4578 / inTopicNo.81)  メルロポンティ「知覚の現象学」の序文より
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/26(Sun) 19:07:45)
    みなさんこんばんは、日曜の夜なのでもちろんレスはご随意に。


    「現象学はバルザックの作品、プルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品とおなじように、不断の労苦であるーおなじ種類の注意と驚異とをもって、おなじような意識の厳密さをもって、世界や歴史の意味をその生まれ出づる状態において捉えようとするおなじいしによって。こうした関係のもとで、現象学は現代思想の努力と合流するのである。」 メルロポンティ

    文学者はとりあえず置いて、セザンヌに限りませんが目の前にある一枚の絵画に向かいあうことに、現象学と言わず、哲学の本質が凝縮されるように思います。もちろんカント哲学も!

    それにしても、メルロポンティのこの文はすごく深い。


引用返信/返信 削除キー/
■4574 / inTopicNo.82)  Re[9]: 図式
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/26(Sun) 18:40:29)
    pipitさま
    おつかれさま

    >後で、カント事典での【図式】の抜粋引用するね。<
    時間のあるときでいいよ。ありがと。

    >メルロさんの、難しいね<
    うそ!うそ!カントのよりわかりやすいでしょ?

    >世界の内に私の身体が存在することを表現するための一つの仕方が<
    っていう中で現象学的な重要キモが略されている。ここはわたしスルーできない。
    >存在することを<
    じゃなくて「世界内存在であることを」なのね。

    ハイデガーは「世界内存在」、メルロは「世界における(への)存在」って言ってる。

    わたしね「世界における(への)存在としての私」って見てる。
    わたしにとって、わたしの「生活世界」は私とわたしが暮らす環境(外界)との関係がが問題になってる。私だけじゃなくてまして世界だけじゃない。この関係性がわたしにとっては問題なのね。

    あ、かなり現象学が入ってきてるから、もうやめる。





引用返信/返信 削除キー/
■4573 / inTopicNo.83)  図式
□投稿者/ pipit -(2020/07/26(Sun) 18:08:23)

    > 連休中はずっと引きこもっていろいろ考えていた。明日からお仕事。<

    おつかれさま。
    わたしも明日からお仕事。
    でも、わたしの場合、職があるだけありがたいね。
    がんばってくるよp(^_^)q

    現象学でも「図式」使うんだね!
    でも、身体図式、なんだ。
    しかもメルロさんのになると、すごく繊細な世界にみえるね。
    カントの図式は、現象学での図式より素朴なかんじだよ。
    後で、カント事典での【図式】の抜粋引用するね。


    > それにしても、自己の身体はどうしてゲシュタルトとして私に与えられるのか。メルロ=ポンティによると、それは私の身体が己の目的に達するために自分自身を結集するからにほかならない。したがって、メルロ=ポンティによれば「身体図式とは結局のところ、私の身体が世界内存在であることを表現するための一つの仕方なのである」〕<

    メルロさんの、
    難しいね。

    世界の内に私の身体が存在することを表現するための一つの仕方が、身体図式。


    > これについてもいろいろ考えてる<

    うん。
    引用ありがとうね!
引用返信/返信 削除キー/
■4572 / inTopicNo.84)  Re[7]: subject主-体(観)とobject客-体(観)
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/26(Sun) 17:45:34)
    この連休中の主のテーマは、
    [subject]日訳「主-体(観)」[object]日訳「客-体(観)」。

    これについてここで物語ちゃうね。

    [subject] [object] をネットの「ことばくん」で調べて見ました。一部書き写してみます。

    A.[subject](日訳で主観)
    客観に対する語。ギリシア語 hypokeimenon,ラテン語 subjectumに由来し,アリストテレスやスコラ哲学においては「根底にあるもの」「基体」の意味で用いられ,今日の「客体」に近いものであった。これが知識作用の主体,意識主観の意味において主観−客観の対立として把握されたのは近代以降,ことにカントにおいてである。彼は G.バークリーの主観的観念論に反対して,先験的観念論の立場から認識論的主観としての先験的主観を確立した。以後,主観−客観の思惟図式はドイツ観念論においてそれぞれの立場から独自の展開が示され,また新カント学派においてはカントの意味における主観が継承,発展せしめられた。しかし経験論,実証主義,プラグマティズムの立場では個人的主観,内的主観は否定され,主観は感覚要素の複合にすぎないとされる。主観と主体に該当する西欧語は subject (英) ,Subjekt (独) ,sujet (仏) という同一の言葉であるが,日本では通常,主観は認識論的用語として,主体は実践,行為との関連において区別して使用されている。

    B.[object](日訳で客観)
    主観に対するもの。客体ともいう。ラテン語 objectumに由来するが,中世スコラ哲学では,その意味は今日とは逆で,意識内容,表象の意であった。この傾向は 17世紀まで続き,デカルトにおいても realitas objectivaは観念的実在の意であり,realitas actualis (現実的実在) または realitas formalis (形相的実在) と区別された。スピノザにおいても同様で,esse objectivumは観念的存在の意であり,esse formaleと区別された。このスコラ的用語法が逆転し,主観の意識の向けられる対象の意味でこの言葉が用いられるようになったのは,イギリス経験論,ことにロックにおいてであり,そしてカントにおいて初めて主観との対立概念として客観という言葉が明確に規定された。  

    C.「ことばくん」のなかには他に、
    主観:自分ひとりの考え方。
    客観:自分の直接的な関心から離れて、第三者の立場で、物事を見たり考えたりすること。
    というのもあった。
    これまでのわたしはこっちだった気がする。

    D.また、英和辞典で調べて見ると。
    subject:(sub-:下位、次)支配される、従属する。〔哲〕主体。主観。
    object:物、もの、対象。〔哲〕客観、対象。

    な〜んかいろいろな意味(あるいは日訳)があってごちゃごちゃになっちゃう。

    でもね、なにもこれに囚われる必要があるのかな〜?って思たりもする。

    いや、それは主観(自分ひとりの考え方)だよ。客観的(自分の直接的な関心から離れて、第三者の立場で、物事を見たり考えたりすること)でなきゃだめだよ。って言いう人もいるかもしれないけど、まいいわ。

    つづく。

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