| 悪魔ちゃんへ こんばんは
> その哲学者使う用語、意味が違っていうようで、理解しようとするなんかイヤになっちゃうけど<
うん。悪魔ちゃんは、議論とか好きじゃないかもだけど、 僅かばかりの私の経験から言っても、何かのことを議論するのって、本当疲れるよ。
言葉のすり合わせからやもん。
でも、益はあるけどね。 真剣に考えるからかもやね。
> 「直観」の「観」を〈意識における現れ〉ってして見ます。<
うん。
> そして「直観」っていうの、意識における〈直接的現れ〉って見る。<
うん。
> ってすると、〈間接的現れ〉っていうのもあることになるんじゃないかな〜? > って。別の表現では「直接的判断」と「間接的判断」かな?<
> 「概念」って、抽象・捨象作用によって〈抽象されれたもの〉。おそらくこれは類似の抽象って、いうことなんだとわたし思ってるんだけど。 > 初めて見るものにおいてはどうなのかな?って思ってる。このことについてはひとまず保留しといて。 > > わたしが思った「直観において、もうすでに分類(抽象・捨象による概念形成)してる」っていうのは、分類されたものとしてすでに記憶されているものから導き出された観(=直観)っていう意味だったみたい。だから「直観」っていうは、私が見ているものに対して”すで記憶されている概念”から直接的に現れるもの、っていうことになるのかな?<
ごめん、まだ、わからないなぁ。
直観、なんだけど、その直観は、間接的に直観ってこと??
ちょっと例え話で聞いてもいい?
悪魔ちゃんが、暗闇にあったロープを、生きてる蛇と間違えて、「うわっ!!」って発言したとするよ。
この時、悪魔ちゃんにとっての、直観って、どんなものが挙げられるのかな?
悪魔ちゃんの直観には、ロープの持つ特性(カタチなど)は、「蛇」と思う前には現れてないと思う? どう思う?
めんどくさかったら、考えなくてもいいよ。 考えたら、教えてくれてら、嬉しい(o^^o)
> pipitさまが、■4683、で引用してくれた、 > 『新版イラスト西洋哲学史』宝島社、小阪修平さん著、p249.250、251、 > >ところで、私たちは「ポチは犬だ」という判断を下しているときに、いちいち犬の定義を思い出して判断しているのではなく、犬とはこういうものだというイメージで判断している。< > っていうところがわたし気になるの。 > > 「統覚」っていうのはどこらへんに位置するのかな?っていうのも悩みのたねね。 > > 思案中なの、を、でした。<
ありがとう。
思うままに書いてくれたらいいよ。
話があちこち飛んでも気にしないよ(o^^o)
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