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■4784 / inTopicNo.61)  直観
  
□投稿者/ pipit -(2020/07/30(Thu) 22:36:33)
    目の前にあるものを、時計と断ずる。

    この「時計」(思考)が、直観ってことかな?

    悪魔ちゃんとpipitは、認識過程同じかなぁ

    謎だね!
引用返信/返信 削除キー/
■4783 / inTopicNo.62)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/30(Thu) 22:28:41)
    悪魔ちゃんへ
    こんばんは

    > その哲学者使う用語、意味が違っていうようで、理解しようとするなんかイヤになっちゃうけど<

    うん。悪魔ちゃんは、議論とか好きじゃないかもだけど、
    僅かばかりの私の経験から言っても、何かのことを議論するのって、本当疲れるよ。

    言葉のすり合わせからやもん。

    でも、益はあるけどね。
    真剣に考えるからかもやね。


    > 「直観」の「観」を〈意識における現れ〉ってして見ます。<

    うん。


    > そして「直観」っていうの、意識における〈直接的現れ〉って見る。<

    うん。

    > ってすると、〈間接的現れ〉っていうのもあることになるんじゃないかな〜?
    > って。別の表現では「直接的判断」と「間接的判断」かな?<



    > 「概念」って、抽象・捨象作用によって〈抽象されれたもの〉。おそらくこれは類似の抽象って、いうことなんだとわたし思ってるんだけど。
    > 初めて見るものにおいてはどうなのかな?って思ってる。このことについてはひとまず保留しといて。
    >
    > わたしが思った「直観において、もうすでに分類(抽象・捨象による概念形成)してる」っていうのは、分類されたものとしてすでに記憶されているものから導き出された観(=直観)っていう意味だったみたい。だから「直観」っていうは、私が見ているものに対して”すで記憶されている概念”から直接的に現れるもの、っていうことになるのかな?<


    ごめん、まだ、わからないなぁ。

    直観、なんだけど、その直観は、間接的に直観ってこと??

    ちょっと例え話で聞いてもいい?

    悪魔ちゃんが、暗闇にあったロープを、生きてる蛇と間違えて、「うわっ!!」って発言したとするよ。

    この時、悪魔ちゃんにとっての、直観って、どんなものが挙げられるのかな?


    悪魔ちゃんの直観には、ロープの持つ特性(カタチなど)は、「蛇」と思う前には現れてないと思う?
    どう思う?

    めんどくさかったら、考えなくてもいいよ。
    考えたら、教えてくれてら、嬉しい(o^^o)


    > pipitさまが、■4683、で引用してくれた、
    > 『新版イラスト西洋哲学史』宝島社、小阪修平さん著、p249.250、251、
    > >ところで、私たちは「ポチは犬だ」という判断を下しているときに、いちいち犬の定義を思い出して判断しているのではなく、犬とはこういうものだというイメージで判断している。<
    > っていうところがわたし気になるの。
    >
    > 「統覚」っていうのはどこらへんに位置するのかな?っていうのも悩みのたねね。
    >
    > 思案中なの、を、でした。<

    ありがとう。

    思うままに書いてくれたらいいよ。

    話があちこち飛んでも気にしないよ(o^^o)
引用返信/返信 削除キー/
■4772 / inTopicNo.63)  Re[24]: 直観
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/30(Thu) 20:30:47)
    pipitさまへ

    その哲学者使う用語、意味が違っていうようで、理解しようとするなんかイヤになっちゃうけど

    「直観」の「観」を〈意識における現れ〉ってして見ます。
    そして「直観」っていうの、意識における〈直接的現れ〉って見る。
    ってすると、〈間接的現れ〉っていうのもあることになるんじゃないかな〜?
    って。別の表現では「直接的判断」と「間接的判断」かな?

    「概念」って、抽象・捨象作用によって〈抽象されれたもの〉。おそらくこれは類似の抽象って、いうことなんだとわたし思ってるんだけど。
    初めて見るものにおいてはどうなのかな?って思ってる。このことについてはひとまず保留しといて。

    わたしが思った「直観において、もうすでに分類(抽象・捨象による概念形成)してる」っていうのは、分類されたものとしてすでに記憶されているものから導き出された観(=直観)っていう意味だったみたい。だから「直観」っていうは、私が見ているものに対して”すで記憶されている概念”から直接的に現れるもの、っていうことになるのかな?

    pipitさまが、■4683、で引用してくれた、
    『新版イラスト西洋哲学史』宝島社、小阪修平さん著、p249.250、251、
    >ところで、私たちは「ポチは犬だ」という判断を下しているときに、いちいち犬の定義を思い出して判断しているのではなく、犬とはこういうものだというイメージで判断している。<
    っていうところがわたし気になるの。

    「統覚」っていうのはどこらへんに位置するのかな?っていうのも悩みのたねね。

    思案中なの、を、でした。


引用返信/返信 削除キー/
■4736 / inTopicNo.64)  日記
□投稿者/ pipit -(2020/07/29(Wed) 23:53:39)

    自らも認知症になった認知症専門医の長谷川和夫先生の共著
    『ボクはやっと認知症のことがわかった』
    KADOKAWA

    を今日購入して、読み始めた。

    p28に、
    『認知症でいちばん多いアルツハイマー型認知症の場合、
    一般的に、まず時間の見当がつかなくなり、
    次に場所の見当がつかなくなり、
    最後に人の顔がわからなくなるといわれます。』
    とあった。

    最晩年は認知症になったと思われるカント先生のことが浮かんだ。
    時間がわからなくなり、
    場所がわからなくなり、
    いろんなものがわからなくなり、
    自分の名前も書けなくなり、
    匙も見分けられなくなる。

    それでも、
    あるとき、『まだ人間性に対する感情を失っていません』と
    ベッドから立ち上がったことがあったそう。

    かなり最後まで、持ちたい感情を持てて、か、思い出せて、カント先生、よかったですね。

    晩年の様子の記述を『新・カント読本』牧野英二先生編、法政大学出版局
    p363より引用します

    『一八〇四年(79歳)(略)ワインを水で薄め、砂糖を混ぜたものを口にし、
    「Es ist gut (おいしい、これでよし)」と言ったのが最後の言葉であった。
    二月二八日、大学墓地に埋葬。(略)』

    自国から一歩も出たことないまま『自然地理学』を生き生きと講義していたらしいカント先生、ほんとは、自分の目で世界を見てみたかったでしょう?
    そうでもないのかな?

    世界はワンダーランドですね

    人生は短いなあ

引用返信/返信 削除キー/
■4732 / inTopicNo.65)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/29(Wed) 22:21:02)
    こんばんは!

    > ■4683と ■4684の引用、ありがと。
    > これを読んで見て、わたしのを書いて見るね。
    >
    > >直観を、いろんなものに分類してる<
    > じゃなくて、直観において、もうすでに分類(抽象・捨象による概念形成)してる、って、わたし見ちゃたんだけど、違うのかな〜?<


    おもしろいね〜!

    今、私の頭に2つルートが浮かぶんだけど、
    悪魔ちゃんはどの認識ルートを考えてるの?

    1.直観が現れる→抽象・捨象

    2.抽象・捨象→直観が現れる

    3.その他

    わたし、なんらかの操作を経て、顕在意識においての直観的なものとして、
    対象が現れる可能性も前に思ってたことがあるんだ。

    ちなみに、図式は、概念を作る場面の説明ではなくて、
    既知の概念に直観を適用させる場面の説明です。

    > それにしても住所が
    > >宇宙銀河系地球日本◯◯県<
    > っていうの、なんかおもしろい。
    > わたしだったらどういう住所にしようかな〜?って思っちゃった。
    > 「絶対的なここ」っていうのもいいかもしれない。なんかかたいけど。
    > あ、これ、遊び。
    >
    > pipitさま、遊ぶの、お嫌い?
    > わたし、好きだけど。<

    嫌いじゃないよ

    宇宙からはじまって、お父さんの下の名前に収束するんだ。
    哲学という学問を知った今でも面白く感じるよ。

    悪魔ちゃんの住所はどこだろうね
    心になるのかな
    空になるのかな
    時空を超えるのかな
    どこまで自由になるのかな

    おつかれさま o(^▽^)o
引用返信/返信 削除キー/
■4720 / inTopicNo.66)  Re[21]: 純粋理性批判
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/29(Wed) 19:57:05)
    pipitさま

    ■4683と ■4684の引用、ありがと。
    これを読んで見て、わたしのを書いて見るね。

    >直観を、いろんなものに分類してる<
    じゃなくて、直観において、もうすでに分類(抽象・捨象による概念形成)してる、って、わたし見ちゃたんだけど、違うのかな〜?

    それにしても住所が
    >宇宙銀河系地球日本◯◯県<
    っていうの、なんかおもしろい。
    わたしだったらどういう住所にしようかな〜?って思っちゃった。
    「絶対的なここ」っていうのもいいかもしれない。なんかかたいけど。
    あ、これ、遊び。

    pipitさま、遊ぶの、お嫌い?
    わたし、好きだけど。



引用返信/返信 削除キー/
■4685 / inTopicNo.67)  夜明けと蛍
□投稿者/ pipit -(2020/07/28(Tue) 23:35:20)
    ♪ 夜明けと蛍

    初音ミク

    ナブナさん

    https://m.youtube.com/watch?v=EpFxTXgElLA

    地球のみなさまおやすみなさい

    そういえば、実父の辞書に、住所と名前が記されてて、
    宇宙銀河系地球日本◯◯県、、、と書いてあったな〜
引用返信/返信 削除キー/
■4684 / inTopicNo.68)  人間とか
□投稿者/ pipit -(2020/07/28(Tue) 23:25:44)
    人間に限らず、犬だって、いろんな生物だって

    直観を、いろんなものに分類してる。

    これってすごいね。

    ロボットに、見たものを犬と判断するように仕上げるの、
    ものすごく大変そうだよね。

    いろんなプログラムが要りそう。
    ここらへんは、メビリンの地下水さんの得意分野かもね。
    もし教えてもらっても、さっぱり理解できないやろうけど(^_^;)

    今日はもうすぐ寝るね、おやすみなさい。
    おつかれさまです ☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■4683 / inTopicNo.69)  図式
□投稿者/ pipit -(2020/07/28(Tue) 23:15:04)
    『新版イラスト西洋哲学史』宝島社、小阪修平さん著、p249.250、251より引用

    『*14 図式(シェーマ)

    たとえば、私たちが目の前にポチという犬を見て、
    「ポチは犬だ」と判断するとき、この犬という観念は、
    どの現実の犬を指しているわけでもない。
    このことは私たちがプラトンの章で見てきたことだ。

    ところで、私たちは「ポチは犬だ」という判断を下しているときに、
    いちいち犬の定義を思い出して判断しているのではなく、
    犬とはこういうものだというイメージで判断している。
    だから、私たちが犬だと思って見たものが猫だったりすることもある。

    この犬という概念と現実の犬を結びつけるイメージのことを
    図式(シェーマ)とカントは言った。
    (略)』


    『*15 構想力

    構想力とは、私たちの心の自発的な働きをいう。
    つまり、イメージを生み出す力のことだ。
    カントの哲学の中では、感性と悟性を結びつける
    重要な役割を果たしている。

    だが、構想力は悟性ほど厳密なものではなく、
    奔馬のような、「盲目の力」である。
    だが、この構想力をうまく使って、
    概念の図式を現実の判断の際に利用することを
    カントは「人間の心の内奥に潜む隠された技術」と呼んだ。
    構想力は使いようなのだ。』
    引用終了。

    そういえば悪魔ちゃんの、現象の中に、記憶があったね。
    カント的には記憶も構想力の働き、かも。

    目下の知覚内にないものを、現前にイメージとしてあらわすからかな?

引用返信/返信 削除キー/
■4680 / inTopicNo.70)  Re[17]: 図式
□投稿者/ pipit -(2020/07/28(Tue) 22:53:37)
    悪魔ちゃんへ
    こんばんは

    >考えちゃったよ。
    >
    > 「これは犬である」
    >
    > っていう判断のとき、
    > 「犬」って概念(分類)語よね。
    > で「これ」って個別的なもの(カントの言う直観)よね。
    >
    > カントの問いの出発点は
    > 「犬」が「これ」に適応できるのはなぜか?
    > あるいは「これ」はどのようにして「犬」の下にに包摂されるのか?
    >
    > っていうことだと思ったんだけど、どうかしら?<

    うん。カントは上記の『犬』のような経験由来の概念と直観の適応からもう一段階進んで、
    アプリオリな概念(とカントが考える概念)と直観の適応についても考察して、
    それが私から見たら奇人変人レベル(褒め言葉のような、微妙なような)の考察に
    みえるんだけどね、まだ未勉強なんだけど、ちゃんと勉強すればおもしろそうな予感してるよ。

    ★カントの『図式』について、解説してる文章を引用するね。

    『新版イラスト西洋哲学史』宝島社、小阪修平さん著、p249より
    引用開始
    『(略)三角形の概念は現実の三角形なしには無意味に等しい。
    しかし、私たちが純粋なものとして思い描く三角形は、現実のどの三角形とも異なる。
    これは哲学を悩まし続けてきた難問であった。

    これは、私たちが実際どのように考えているのかにも関わる問題だから、
    少し詳しく紹介してみよう。
    カントは私たちが思い描くイメージのうちで、
    現実の三角形に対応しているものを形象(要するに普通のイメージのこと)と呼び、
    純粋なものを図式(シェーマ)と呼んだ。
    図式とは概念に対応するイメージというくらいのものである。

    たとえば、私たちは3とか5を点の集まりとして現実にイメージすることはできるが、
    千を実際の点の集まりとしては普通イメージしない。
    しかし、私たちは千という量を位取りによってイメージすることができる。

    このような、現実の対象そのものではないが、概念に対応したイメージを
    私たちの構想力は生み出すことができる。

    悟性が使用する概念は、そのままでは空虚なものでしかないが、図式を通じて、
    現実のさまざまな三角形と関係していくのである。
    つまり、私たちの頭の中に純粋な(経験に左右されない)三角形のイメージ(図式)がある。
    これが、プラトンでいえばイデアに相当するだろう。
    このイメージを使って私たちは現実のもろもろの、さまざまな三角形を
    三角形という概念へまとめあげていくのだ。
    それは一つの技術と呼んでもさしつかえない。
    (略)』
    引用終了

    あと、脚注で、『図式』と、図式を生み出す『構想力』の説明があったから、
    あとで、引用するね。

    いったんここで投稿します。





引用返信/返信 削除キー/
■4667 / inTopicNo.71)  Re[16]: 図式
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/28(Tue) 19:47:19)
    pipitさんへ ■4645。考えちゃったよ。

    「これは犬である」

    っていう判断のとき、
    「犬」って概念(分類)語よね。
    で「これ」って個別的なもの(カントの言う直観)よね。

    カントの問いの出発点は
    「犬」が「これ」に適応できるのはなぜか?
    あるいは「これ」はどのようにして「犬」の下にに包摂されるのか?

    っていうことだと思ったんだけど、どうかしら?
引用返信/返信 削除キー/
■4646 / inTopicNo.72)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/27(Mon) 22:50:48)
    悪魔ちゃん、こんばんは

    > 「現象」「知覚」「表象」
    > わたしのは次のようなもの。半分日本語で考えています。
    >
    > 「現象」の「象」は〈意識の内のもの〉として、「現」は〈現在〉〈現前〉のような意味としてる。
    > だから、「現象」は〈現在・現前の意識の内のもの〉ってしなる。〈今、私の前にあるものものの私の意識〉。<

    うん。


    > 「学」っていのは〈見えるようにすること〉ってしてるから、「現象学」は〈今、私の前にあるものものの私の意識を見えるようにする〉こんな感じになります。<

    うん。
    すごくスッキリするね!

    > かんたんに言うと。わたしの前にある缶ビールがどのようにして意識において構成されているか、っていうこと。
    > 今日はわたしの前には缶ビールがあって、もう一口飲んじゃった。<

    うん。

    > 「知覚」との関係なんだけど、
    > わたし「意識」を大きく〈感覚―知覚―記憶―〇―思・考〉のように分節してます。このような分節の仕方は現象学を理解しようとするなかでわたしに浮かんできたもの。このように見ることによって現象学者がなに言ってるのかがちょっと見えてきた感じです。〇について物語ろうとすると現象学について、ってなっちゃうからやめとくね。<


    > ところで「分節」っていうのは〈それ自体の要素的分析ではなく、全体との関連のなかでのみ問題になり得る、全体のなかの構成部分。例えば、身体における各肢の機能など〉という意味です。<

    うん。
    バラバラなものじゃないんだね。


    > 簡単に言っちゃうと、現象という意識の流れを描き出そうとし、そのなかの知覚っていう働きも見てる、っていうこと。<

    うん。

    > ちなみに「表象」は、わたしのばあい[re-presentation]で見ています。[re-]っていうのは〈再び〉として〈再び提出されたもの〉あるいは〈再び提出すこと〉として、わたしの分節においては二つの再びの提出があって、一つは〈思・考〉に〈記憶〉から、と、〈感・知覚〉から〈思・考〉へ、と、再び提出する(される)、っていう感じ。いずれにせよ、初めてのものではない、っていうイメージ。<

    うん。

    すごくおもしろいよ、説明をありがとう。

    記憶と思考の間の、◯が気になるけど、こうやって話してる間に、なんとなくわかったり、
    わからなかったり、とかなんだろうね。

    悪魔ちゃんの考えてること聞くの、とても楽しいよ。

    話してくれてありがとう。
引用返信/返信 削除キー/

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