| 2020/08/02(Sun) 12:10:32 編集(投稿者)
横レス、失礼します。 実存主義については講談社現代新書「現代哲学事典」では以下のように定義されています。
********** 以下、「現代哲学事典」より引用 **********
実存主義 実存主義の系譜を過去に辿れば、パスカル、アウグスティヌス、古くはソクラテスまで遡ることができる。しかし実存ということばが現代的意味で強調されたのは、十九世紀中葉、ゼーレン・キルケゴールからであった。実存とは、中世以降、本質と対峙されたことばである。理性は事物の定まった本質を、普遍的概念によって把握することができる。しかし現実に存在する具体的個体は、どうしても普遍的なものに還元しつくされないところがある。近代哲学を大成したヘーゲルにおいては、一見すべては理性の絶対知に吸いつくされ、合理的概念の大系に解消されるかのようであった。キルケゴールはこれに反発し、人間固有の存在を、合理化し得ない単独者の実存として擁護したのである。キリスト教者であったキルケゴールは信仰に救いをもとめたが、上の意味での実存の単独性・唯一性の自覚は、同時代のヘーゲル左派シュティルナーや後のニーチェにも無神論的な形でみとめられる。そこで実存主義には有神論的なそれと無神論的なそれとが区別され、今世紀の実存主義についても、ヤスパースやマルセルの場合は有神論的であり、ハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティは、場合によっては必ずしも明確ではないが、無私論的であるといわれた。それぞれ個性的なこれらの思想に共通の定義をあたえること自体、あまり好ましいことでないが、少なくとも上にのべた意味で本質にたいする実存の優位をみとめ、あるいはこれを出発点とした諸思想を実存主義とよぶことができる。さらにいえば、合理主義的機械文明のもとで平均的大衆と化す近代人の在り方にたいする批判という面でも、これらの思想には共通点がある。
******************* 引用終わり *******************
上記の定義の後に「ドイツの実在哲学「」フランンスの実在哲学」の説明があり、フランスの実在哲学としてフッサール〜サルトル、フッサール〜メルロ=ポンティが紹介されています。もし必要であれば言ってもらえれば引用します。(フッサールはオーストリア人ですが、フランス実存哲学のルーツとして紹介されているということです)
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