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■5106 / inTopicNo.1)  触発
  
□投稿者/ pipit -(2020/08/11(Tue) 22:04:19)
    触発、をイメージするとき、
    わたしは十二因縁の『触』(パッサ)と重ねることが多い。

    触(パッサ)、によりて、受(ヴェーダナ)、が生じる。
    を、
    触発、により、感受、が生じる。とイメージする。

    悪魔ちゃんは、ウィキの文章を引用してくれたけど、
    『純粋理性批判』の最初では、
    【心(ゲミュート)】を触発する、という表現で記述されている。

    十二因縁の触も、心に触れるみたいな意味を持ってた気もするんだけど、
    調べ直していません。(怠け)

    今の段階で、触発について思うことでした。

引用返信/返信 削除キー/
■5105 / inTopicNo.2)  Re[69]: 物自体
□投稿者/ pipit -(2020/08/11(Tue) 21:00:57)
    悪魔ちゃんへ

    > >カント哲学においては、物自体に触発されて、私たちは光なるものを感じてる、とするのだと私は思ってる。<
    >
    > わたしカントの「物自体」っていうのな〜んかひっかかちゃてる。
    >
    > ウィキで
    > 〔「物自体」は、理性を触発し、感性と悟性にはたらきかける〕
    > って書いてあった。もしそうなのだとしたなら、人間理性を触発する「物自体」っていうのが<光>?それとも「理性」? それとも、「物自体」は神が創造したものって見て、その創造主である「神」を<光>ってみているのかしら?<


    わたしは、カントがどう言ってるのか、まだちゃんと知らないです。


    > あと、>私たちは<っていうの、ひっかかるのね。
    > 「カント哲学においては、物自体に触発されて、私は光なるものを感じている。」
    > っていうのだったら、わたし、こんなこと書いてないよ。<

    ごめん。



    > >knowing itselfさんがオススメしていた現象学についての新書を読んでみようと思ってます<
    > っていうことだから、ここもしばらくお休みね。<

    まだ、本は頼んでないし、読解は続けるつもりだよ。
引用返信/返信 削除キー/
■5104 / inTopicNo.3)  Re[68]: 物自体
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/11(Tue) 20:23:26)
    ■5101 、pipitさま

    >カント哲学においては、物自体に触発されて、私たちは光なるものを感じてる、とするのだと私は思ってる。<

    わたしカントの「物自体」っていうのな〜んかひっかかちゃてる。

    ウィキで
    〔「物自体」は、理性を触発し、感性と悟性にはたらきかける〕
    って書いてあった。もしそうなのだとしたなら、人間理性を触発する「物自体」っていうのが<光>?それとも「理性」? それとも、「物自体」は神が創造したものって見て、その創造主である「神」を<光>ってみているのかしら?

    あと、>私たちは<っていうの、ひっかかるのね。
    「カント哲学においては、物自体に触発されて、私は光なるものを感じている。」
    っていうのだったら、わたし、こんなこと書いてないよ。

    >knowing itselfさんがオススメしていた現象学についての新書を読んでみようと思ってます<
    っていうことだから、ここもしばらくお休みね。




引用返信/返信 削除キー/
■5102 / inTopicNo.4)  印象
□投稿者/ pipit -(2020/08/10(Mon) 23:13:44)
    多分の感想なんだけど、
    現象学では、物自体を設定しないんだろうな、と思いました。

    だから、触発、も、キチンと追える、具体的な事象としての意味を担うのではないかと。

    潔いかんじだね。

    といっても、現象学のイメージとか全然外してるかもだから、
    knowing itselfさんがオススメしていた現象学についての新書を読んでみようと思ってます。

    おつかれさまです。
    おやすみなさい ☆彡

    悪魔ちゃん、応えてくれて、ありがとう(*^_^*)
引用返信/返信 削除キー/
■5101 / inTopicNo.5)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2020/08/10(Mon) 22:36:42)
    こんばんは。

    カント哲学においては、
    物自体に触発されて、私たちは光なるものを感じてる、とするのだと私は思ってる。
    だけど、その定義では、悪魔ちゃんと話がズレそうだから、
    カント哲学における『触発』から、この場で離れて、
    悪魔ちゃんと下記のことについて話すね。



    > 「ことばくん」の
    > 2見たり聞いたりしたことに刺激されて、事を始めること。
    > の「刺激」っていうのは〈私にとっての対象〉って見ました。<

    うん。興味あるものが対象となり刺激するもの、私にとっては刺激されるものとなる、ということかな?

    > いま問題となっているのは「触発」の意味だと思ってます。<

    うん。

    > わたしがいまこの文を打ち込んでいるとき、潜在的地平として電灯の光っていうの、たしかにある。でも、わたし、いまは電灯の光は、わたしにとっての対象(わたしが触発されるもの)とはなっていない。<

    電灯の光は興味の外、で、言い方はどうかな?

    > 私の志向性によって「それ」が現前全体(地平)のなかから際立って現れ、”対象”となる。この私の対象となっているものが私にとって触発する(させる)もの。
    > こんな感じなんだけど、どうかな〜?<

    うん。
    フォーカス、という言い方はどう?

    > メルロのは、メルロの見方が触発されるかどうか、っていうことでためしに書いて見ました。ひょっとしたら「私」について考えている人にとっては触発される見方じゃないかな〜?って思っただけ。<

    その内容に関して興味あるものがすでに内にある人が、その文章に触発される、ってことかな?

    世界は自分の内の表れの面がある、ってかんじかな?
    違ったらごめん。
引用返信/返信 削除キー/
■5100 / inTopicNo.6)  『カント『純粋理性批判』入門』続き
□投稿者/ pipit -(2020/08/10(Mon) 22:23:22)
    p150から152までは、第一版について。

    黒崎先生は、第一版で構成力を語るカントはいつでも迷い、不安などが感じられ、歯切れも悪い、と述べる。
    例えば『きわめて奇妙だが、』や、『ほとんど我々は気づかないのだが』の連発だ、と言う。
    第一版においては、構成力は統覚に先行して、すべての認識を可能にする根拠とまでカントは発言してるが(関連するカントの文章を後に引用する予定してますが、引用しなかったらすみません。)、だからといって、構成力が認識の最高原理にまで高められてるわけではない、と言う。

    特に、構成力とは何なのか、それは認識能力のうちでどのような位置を占めるか、という点になると、はなはだ心もとない、と言う。

    その理由として、黒崎先生は、
    構成力それ自体が感性的な面と、悟性的な面を未分化の形で有しているからだた思われる、と言う。

    この点をはっきり示すのが、超越論的図式論での構成力な役割だと言う。

    ここをちょっとだけのぞいてみよう、だって。

    次は、p153から。
引用返信/返信 削除キー/
■5099 / inTopicNo.7)  Re[65]: 電灯の光と触発
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/10(Mon) 22:21:07)
    pipitさま

    「刺激」一般、で見ると、電灯の光も刺激のひとつになってるのかもしれない。

    でも、pipitさまは〈電灯の光〉に”触発された”わけじゃないないよね?

    「ことばくん」の
    2見たり聞いたりしたことに刺激されて、事を始めること。
    の「刺激」っていうのは〈私にとっての対象〉って見ました。

    いま問題となっているのは「触発」の意味だと思ってます。

    わたしがいまこの文を打ち込んでいるとき、潜在的地平として電灯の光っていうの、たしかにある。でも、わたし、いまは電灯の光は、わたしにとっての対象(わたしが触発されるもの)とはなっていない。

    私の志向性によって「それ」が現前全体(地平)のなかから際立って現れ、”対象”となる。この私の対象となっているものが私にとって触発する(させる)もの。
    こんな感じなんだけど、どうかな〜?

    メルロのは、メルロの見方が触発されるかどうか、っていうことでためしに書いて見ました。ひょっとしたら「私」について考えている人にとっては触発される見方じゃないかな〜?って思っただけ。
引用返信/返信 削除キー/
■5097 / inTopicNo.8)  電灯の光と触発
□投稿者/ pipit -(2020/08/10(Mon) 19:31:41)
    悪魔ちゃん、ありがとう。
    難しいね。


    > あるものが、私にとって刺激となるのは、すでに私のうちに”それが刺激である”というものがあるはず。
    > あるものが、偶然にせよ必然にせよ、あるものが私にとって刺激(触発するもの)となるときには、私のうちにそれへ私の「志向」が”すでにあるは、っていうのがわたしの見方。<

    例えば、今、電灯の光、目に当たってる?

    悪魔ちゃんのうちに、電灯の光が刺激であるというものがあるはず、ってこと?

    電灯の光、と、悪魔ちゃん、との関係のうちで、
    『> あるものが、私にとって刺激となるのは、すでに私のうちに”それが刺激である”というものがあるはず。
    > あるものが、偶然にせよ必然にせよ、あるものが私にとって刺激(触発するもの)となるときには、私のうちにそれへ私の「志向」が”すでにあるは、っていうのがわたしの見方。<』
    を説明できる?


    > ちょとためしに、
    > メルロの『知覚の現象学』のなかに次のようなことが書かれてあります。
    > 【私は私の身体の前にいるのではない。私は私の身体のなかにいる。いやむしろ私は私の身体である。】
    > この見方に、反感・同感関わりなく、触発されるかどうか、っていうこと。<

    まずは、電灯の光の例にて、

    電灯の光、と、悪魔ちゃん、と、触発、と、志向 、と、身体、などの関係性を説明してもらっていいかな?
引用返信/返信 削除キー/
■5094 / inTopicNo.9)  Re[63]: 触発
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/10(Mon) 18:42:06)
    pipitさまへ
    >悪魔ちゃんは、触発について、どんな感想もってるの?<
    わたしの、ちょっと書くね。

    わたし、日本語で考えてる。「触発」っていうの、ネットの「ことばくん」によると、
    1物に触れて、発動・発射したり爆発したりすること。
    2見たり聞いたりしたことに刺激されて、事を始めること。
    3なんらかの刺激を与えて、行動の意欲を起こさせること。
    みたいです。
    3はなんか客観的見方かな?

    「物に触れる」っていうことは、すでに「触れる」っていう行為がある。
    その物に触れて見よう、っていう意志がすでに私のうちにあるのでなければ、その物に触れようっていう行動も発生しないことになるのだと思う。
    ん?じゃ地雷に触れちゃった、ったいうのはどうなっちゃんだろう。
    触れようと思ってふれるわけじゃないし、ましてそこに地雷があるなんて知らなかった場合。「物(地雷)に触れて爆発したりすること」は触発?ん?でも爆発するのは地雷の方であって私じゃない。でも、私の身体も壊れちゃう。ん〜ん、これはちょっと、横に置いとこっと。

    あるものが、私にとって刺激となるのは、すでに私のうちに”それが刺激である”というものがあるはず。
    あるものが、偶然にせよ必然にせよ、あるものが私にとって刺激(触発するもの)となるときには、私のうちにそれへ私の「志向」が”すでにあるは、っていうのがわたしの見方。

    ちょとためしに、
    メルロの『知覚の現象学』のなかに次のようなことが書かれてあります。
    【私は私の身体の前にいるのではない。私は私の身体のなかにいる。いやむしろ私は私の身体である。】
    この見方に、反感・同感関わりなく、触発されるかどうか、っていうこと。
引用返信/返信 削除キー/
■5065 / inTopicNo.10)  Re[62]: 触発
□投稿者/ pipit -(2020/08/09(Sun) 18:34:18)
    ども!

    > pipitさま、ありがと!
    > 調べてくれて、うれしい。
    >
    > pipitさまも”気になった”のね?<

    うん。触発される、触発する、
    受容、能動、
    考えてみればいろんな側面があるね。

    悪魔ちゃんのおかげだよ、ありがとう。

    触発する、される、とかに戻るけど、
    なんだろね?
    言葉の問題になるのかな。
    思考の問題になるのかな。
    どの立ち位置から表現するか、だけど、
    表現する=思考の世界、なのかな。

    言葉は書いた瞬間、ウソになる。

    これ、私の学生時代の恥ずかし日記。
    恥ずかしすぎて数年前に捨てたよ。
    その時に読み返してたけど、、、


    > 「触発」という語に触発してるなのかな、って。
    >
    > >つまりカントの言う触発とは、触発する対象が何であるにせよ、きっかけとして主観の内に感覚を生じさせるに過ぎず、どのような感覚が生じるかは主観自身によって決定されている<
    >
    > 〈主観の内に感覚を生じさせるに”過ぎず”〉なのかしら?<

    これは、山下和也先生の意見なんだと思うけど、

    悪魔ちゃんは、触発について、どんな感想もってるの?
    教えてくれたら嬉しい
引用返信/返信 削除キー/
■5064 / inTopicNo.11)  Re[61]: 触発
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/09(Sun) 17:59:02)
    pipitさま、ありがと!
    調べてくれて、うれしい。

    pipitさまも”気になった”のね?
    「触発」という語に触発してるなのかな、って。

    >つまりカントの言う触発とは、触発する対象が何であるにせよ、きっかけとして主観の内に感覚を生じさせるに過ぎず、どのような感覚が生じるかは主観自身によって決定されている<

    〈主観の内に感覚を生じさせるに”過ぎず”〉なのかしら?







引用返信/返信 削除キー/
■5061 / inTopicNo.12)  Re[60]: 触発
□投稿者/ pipit -(2020/08/09(Sun) 16:53:13)
    ここから、pipitの気になった、触発に関する文章を引用していきますね。

    『カントとオートポイエーシス』山下和也先生著、晃洋書房、p83〜87からの抜粋引用です。

    『(略)
    つまりカントの言う触発とは、触発する対象が何であるにせよ、きっかけとして主観の内に感覚を生じさせるに過ぎず、どのような感覚が生じるかは主観自身によって決定されている。

    このように見てくると、感覚は確かに表象に客観への関係を与え、客観の実在を保証し、
    現象としての客観がその質料としての感覚的性質をもち、
    それ自身客観の触発によって生じるなどの客観性をもつ。
    感性は受容性であるから、何らかの原因の存在なしに表象を生じることはないからである。

    しかし、同時にこうした客観性は感覚の内容に関する主観性を否定するものでないことも明らかになった。
    のみならず、感覚をそれだけで見れば主観の虚構である空想と区別できないことすらカントは認めている。
    次節から、感覚の主観性と客観性をどのように理解するか、オートポイエーシス論の観点から考察して見たい。
    (略)

    ここで注目するのはオートポイエーシス論における攪乱概念である。
    (略)オートポイエーシス・システムはその環境と相互作用することができる。
    ただし、前述した通り環境からの影響はシステムの作動の変化を決定しない。
    それはただシステムにある変化を引き起こすだけであって、どのような変化が生じるかはシステム自身によって決定される。
    (略)

    カントの言う

    知覚判断とは
    感覚表象同士を 直接に 意識システムが接続して生じる意識表象(これは意識システムをもつ動物には可能と思われる)が言語化されたものを、

    経験判断とは
    それを自覚することによって客観化された認識表象を

    指すのであろう。

    感覚の主観性はシステムの自律性に対応し、
    感覚の客観性はそれが環境による攪乱の結果であることを意味する。
    (注釈22:ここでは、クレメの言う「同時に能動的で受動的である主観」(略)が、厳密な意味で成り立っている。)

    触発とは、環境からの影響がシステムに生じる変化のきっかけに過ぎないことの表現と見ることができる。
    (略)
    フリーマンの言葉で言えば、
    「ヒトは対象に働きかけ、それを変化させること」ができても、「対象はその地平を超えて脳に入り込むことも、感覚皮質の地平にその特徴を刻み込むことも」できない。(フリーマン:156)。




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