| 「今ここで感じる事を書きなぐる」
・そもそもなんで、マジモンは農耕開始から産業革命の2万3千年に興味を持つのか?というと、人類が全然繁殖していないと思ったからです。2万3千年で人類の拠り所は、おそらく宗教であるが、その宗教は人類の発達の起爆剤にはならなかったのか?という点。じゃ、宗教はなんだったの?という事。 ・2万3千年の間、最初は農耕のために神が必要だったとは思う。そして、だんだんと数字、幾何学などが発展していって、神をトップにした組織はもう必要なくなったんじゃなかろうか?特にコペルニクス、ケプラーは数学的に夜空を観測し、科学の走りを作り出したと思う。 ・医療の始まりは、コロッセオの剣闘士。怪我をした剣闘士をなんとか治そうとした医者がいたが、この時には「神経」というものが理解できていなかったらしい。つまり人間の肉体は人形(マネキン)とくっつくと思われていた。 ・そもそも宗教、パニチェさんの言う所の禁欲主義が、人類の繁殖を妨げたのではないだろうか?そして、民衆はなぜ、それに従った?従った理由は、単にまねしたのかもしれない。 ・そもそも神様はカスタマイズできるのか? ・集団をまとめる機能をもっているのかもしれない。責任逃れのイメージが湧く。
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WIKI調べ
アメリカの心理学者であるジェームズ・リューバは宗教についての多数の定義を三つのグループに分類している。すなわち、主知的(intellectualistic)な観点からの定義、主情的(affectivistic)な観点からの定義、主意的あるいは実践的(voluntaristic or practical)な観点からの定義の3つである
● 主知的な観点からの定義 代表例で古典的な定義の例としてはマックス・ミューラーによる「無限なるものを認知する心の能力」が挙げられる。比較的近年のそれでは、クリフォード・ギアツによる「存在の一般的秩序に関する概念の体系化」がある。
● 主情的な観点からの定義 シュライエルマッハー(F.E.D.)による「ひたすらなる依存感情」。マレット(Marett, R.R.)なども他の学者などにみられる合理主義な観点を批判しつつ、宗教の原型を情緒主義(emotionalism)から論じたという。
● 主意的あるいは実践的な観点からの定義 C.P.ティーレによる「人間の原初的、無意識的、生得的な無限感覚」というものがある。
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なるへそな。
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