| >妹よ、そう言えば昔、「超自我の奴、ボコボコにしてやる�」と言っていましたものね。
懐かしい〜〜〜♪
そしたら哥哥は
「超自我をやっつける(超自我がない)と善悪の判断がつかない?(だったかなぁ)獣のようになる・・・(「獣」はなかったかなぁ。極悪非道に近いようなことだったような。)」と言いました。
あぁ。哥哥は超自我の味方なんだと思いました。
確かに超自我は内在化された社会、その社会の社会規範の在り方の最高の到達点だとは思います。
なんというか、教育の最終目標。
今は「ぼこぼこにしちゃる〜〜」とは思っていません。
「無意識」ってなんでも入る言葉のような気がしてあまり使わないようにしていました。
だからそれについて語る人を見ると何とも不思議な気がして、
この人の「無意識」は一体どんな内容なんだろうと考えたりしていました。
「大きな海と小さな孤島」は私の中の「井戸(水が入った瓶でも可)の中に釣り糸を垂らすイメージ」と似ているんですが、 細い一本の釣り糸をたどって「言葉」が上に上ってくる。 言葉は上に上がってきて何か話すけれど(ここ。言い難い、表現しにくいです。) 言葉が糸を伝わって上ってくる前にいた場所の状態?水について知ることも語ることもできない。
だから、どうして井戸の中の水についてわかると思えるのだろうか?と思ってしまいます。
余談ですが、このイメージ(糸と井戸)すらも擦りこまれたものだなぁと。 ふと、古事記の国生み・・・が連想されたり。
とにかく私にとっては「無意識」はやややっこしい。!(^^)!
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