| つばめさん、初めまして。田秋総合研究所のトピ主をしている田秋と申します。音楽を生業にしていたので、音関係の話題になるとついつい首を突っ込みたくなってしまいます。m(_ _)m
静寂についてつばめさんがどういうイメージをお持ちなのかは正確にはわかりませんが、人工的というのはある意味当たっていると思います。人工的というと何かマイナスのイメージがありますが、こと静寂に関しては人間的だと思っています。私はクラシック音楽出身なので恐縮ですがクラシック音楽を例にあげさせて下さい。
チャイコフスキーの交響曲第6番《悲愴》は静かに終わります。地の底へ消えていく感じです。そして完全に音が無くなり無音状態が訪れます。その時観客は物理的な音の無い状態を楽しんでいるわけではなく、消えていった音の余韻に浸っているのだと思います。何も聞こえませんが何かを感じている、そういう状態は静寂と言えると思います。
マーラーの9番も最後は静かに終わります。こちらは地の底へ消えていく感じではなく中音域で終わり、あたかも魂が昇華していくような感じです。こちらも最後の音が終わると無音状態が訪れます。その時観客はやはり音楽の余韻に浸っているのであり、音のない処で何かを感じる、こういう状態を静寂だと思うのです。人に感情があればこそのことで、そういう意味で人工的(人間的)です。
面白い話があります。レコーディングをした時のことです。ディレクターが「これから無音状態を録音しますから、皆さん、暫く静かにしていてください」というのです。そんなものレコーダーの録音レベル0にして録ればいいじゃないかと思うのですが、ディレクターが言うには「人がいて音のしない状態が欲しい」と言うのです。機械的な無音と人がいる状態の無音は違うのでしょう。きっと物凄く正確な機械で計れば人がいる場合は無音じゃないのでしょうね。
横レス、すつれいすますたぁ。。。
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