| 「悪魔は神に対してもっとも広大な視野をもっている。それだから悪魔は、神からはるかに身を遠ざけているのだ。──すなわち悪魔こそは、もっとも古くからの認識の友である。(善悪の彼岸 第129番)」
アンチクリスト(反キリスト教者)であるニーチェが述べるところの神と悪魔はキリスト教的な文脈で読み込むべきではない。 キリスト教のドグマにおいて神の正反対に対峙するものが悪魔であるとすれば、ニーチェ的には、ないものねだりの創作物として全能にして善なる神に対峙するのは、現実存在としての人間である。
真理の探究に神が伴うことは、既にこの時点である固定的なドグマ(創造論)に行きつくことで思考停止する。極論すれば不完全にして善でも悪でもたりうる人間の描いた、ないものねだりの絵空事でもって結論とするということ。
哲学は懐疑であり、人間は不完全であるが故に認識には誤謬が伴うが、何の制約もない純白のキャンバスに如何様にも自らの意志で世界を描きうる能力が伴っている。認識に伴う誤謬は創造の父でもありうる。
悪魔たる人間は神の創造者であるが故に神に対してもっとも広大な視野をもっており、だからこそ人間は人間や世界の創造者とでっち上げられた信仰対象である神から身を遠ざける必要がある(これらの発想はご法度、冒涜として神から遠ざけられなければないない)。すなわち神に対峙する悪魔は、創造の源泉ともなりうる不完全で誤謬が伴う人間認識の古くからの友人(近しい者)でもあるということ。
・・・というのがパニチェ流解釈ですた。
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