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■7359 / inTopicNo.13)  Re[19]: Dizzy Gillespie
  
□投稿者/ rest -(2020/10/04(Sun) 11:57:20)
    No7327に返信(パニチェさんの記事)
    > 2020/10/04(Sun) 07:49:54 編集(投稿者)
    >
    > おはようございます。
    >
    > restさんの投稿はいつもロムしてます。
    >
    > 多様性が尊重されない集団というのは、個々のアイデンティティーが確立していないことの裏返しにようにも思います。
    >
    > 群れでは右に倣えや没個性の方が尊重されますからね。

    パニチェさん こんにちは。レスありがとうございます。
    社会全体が共同体よりに偏っている場合、差別やいじめなどいろんな弊害が生じます。これを是正するためには多様性を尊重する必要があります。
     権力の由来ですが、共同体による個の抑圧が起源とすれば共同体が強いほど権力的になります。社会共同体のルールに反するものは異質な個性として排除されることになります。ルールに反しなくとも異質ということでパージされることもあるようです。今回の日本学術会議における6名の任命を拒否した菅内閣の姿勢は保守思想の共同体の結束からくる異質な思想の持主への権力的なパージであり、多様性の拒否です。これでは権力にとって都合のいい情報しかはいらなくなり、都合の悪い正しい情報が入らなくなり、まちがった政策判断につながります。
    日本全体が共同体よりで世間体など同調圧力が強くアンバランスなので多様性の尊重へとおもいっきり舵をきる必要があるのではないでしょうか。
    >
    > 神の隷属と成り下がることもこれに同じ。
    >
    > ニーチェが嫌悪した畜群本能。
引用返信/返信 削除キー/
■7327 / inTopicNo.14)  Re[18]: Dizzy Gillespie
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/04(Sun) 07:27:18)
    2020/10/04(Sun) 07:49:54 編集(投稿者)

    おはようございます。

    restさんの投稿はいつもロムしてます。

    多様性が尊重されない集団というのは、個々のアイデンティティーが確立していないことの裏返しにようにも思います。

    群れでは右に倣えや没個性の方が尊重されますからね。

    神の隷属と成り下がることもこれに同じ。

    ニーチェが嫌悪した畜群本能。
引用返信/返信 削除キー/
■7212 / inTopicNo.15)  Dizzy Gillespie
□投稿者/ rest -(2020/09/30(Wed) 22:10:32)
    Dizzy Gillespie - A Portrait Of Duke Ellington(1960)


    https://www.youtube.com/watch?v=wlHFp7lKMK8


    自殺につながることの多いうつ病と脳の関係。脳内神経伝達物質(モノアミン)であるノルアドレナリンやセロトニンの欠乏が原因とするモノアミン仮説が主流。しかし抗うつ薬でセロトニンはすぐに増加するが改善効果が現れるのは数週間後ということや、モノアミンを減少させる薬(高血圧の治療薬)を飲んでもすべての人がうつ病になるわけではない。この仮説では十分に説明できない。

     過度な自責の念はどこからくるのだろうか。ここでも共同体原理「類的結合は同時に個性的対立」からみるとある程度説明がつく。社会的共同体のルールは類的行為によって守られているがそれに違反すると類的行為から逸脱した異質な個性として社会的共同体から攻撃を受ける。それが内面化したとき、良心の呵責となって自責の念が生じる。類意識(共同体意識)は本質的に個性を嫌っているようだ。
     差別一般でもそうだが、たとえば男性同士の共同体意識が強ければ強いほど異質な個性としての女性と対立し、その結果差別が生じる。それが女性の側に内面化すると男性に同化しようとする意識、すなわち男性の共同体意識が女性の意識内部に形成され自己の女性的であることを毛嫌いし、差別するようになる。これが「内なる差別」である。女性が女性を差別するようになる。これも自責の念だ。
     社会的に多様性が尊重されるようになればこのような状態は改善されるだろう。
引用返信/返信 削除キー/
■6981 / inTopicNo.16)  Tadd Dameron
□投稿者/ rest -(2020/09/23(Wed) 22:08:29)
    2020/09/25(Fri) 09:00:54 編集(投稿者)
    2020/09/23(Wed) 22:31:47 編集(投稿者)

    Tadd Dameron & John Coltrane - Gnid


    https://www.youtube.com/watch?v=_R6b7Ll5AlY&list=PLhdwTL-BNlwHrP-MKQPyoJ4UIkEUub43d&index=8


    「汝の格率が普遍的法則となることを汝が同時にその格率によって意志しうる場合のみ、その格率に従って行為せよ」(カント著『人倫の形而上学の基礎づけ』中央公論新社p.286)

    社会的共同体のルールに逆らう個性が悪とすれば、民族共同体における異民族への対立すなわち民族紛争は悪ではないのか。共同体道徳は「類的結合は同時に個性的対立」からくる自己抑制によって成り立っている。しかし独占禁止法はその反対の「個性的結合は同時に類対立」という市場原理によって成立している。同業者間の価格協定などを禁止しているので、共同体道徳とは相反する。農村の道徳に対して都会の道徳ともいえる。紛争以外にも社会的差別も共同体の原理から派生しているとみるならば共同体道徳を全面的に支持することはできない。共同体道徳とは別の道徳があってもいいのではないか。むろん都会にも問題があることは間違いないが、要はバランスの問題なのだ。フロイトのいう自我が超自我とイドのバランスを現実原則にしたがって調節するという視点に近いかもしれない。これも道徳の一形態ではないか。

    超自我による攻撃、いわゆる良心の呵責は「類的結合は同時に個性的対立」の原理からみると共同体意識による個性への攻撃とみることができる。良心とは共同体意識のことである。カントの格率が普遍性を持つのは共同体の成員のすべてにあたはまる格率なのかどうかだろう。カントにおいては神は物自体であって理性信の対象であって道徳においてはかならずしも必要ではない。神ではなく共同体による普遍性の認識があればよい。
     イドは性的なエネルギーを表象するリビドーが異性との結合を示すのであればそれは同時に同性間の争いを誘発する。まさに「個性的結合は同時に類的対立」を意味している。
    共同体においては普遍性があるがイドにおいては普遍性はない。しかしその調節的役割を果たす中間的自我は広い意味では普遍性をもっている。我々諸個人の現実的自我は矛盾を抱えているという認識において普遍性をもっているといえる。この自我における格率すなわちバランス調節という格率は普遍的な定言命法なのである。
引用返信/返信 削除キー/
■6701 / inTopicNo.17)  Billy Taylor
□投稿者/ rest -(2020/09/16(Wed) 11:49:18)
    2020/09/16(Wed) 20:40:53 編集(投稿者)

    Billy Taylor - Uptown


    https://www.youtube.com/watch?v=28xiLbMOFHQ



     類対立で支配ー被支配の関係が決まるがこれが家族内の父権の根拠かもしれない。村落共同体の秩序も家父長による権力装置も同じかもしれない。権力の由来ははっきりしないが、ジョン・ロックの市民社会では社会契約的な法の支配を別にすれば市民と市民の関係は支配ー被支配のない対等な関係だ。
     ところがそれを破壊するものがある。それがサイコパスであり、典型的なのが強権的な独裁者タイプだ。サイコパスは支配欲のかたまりなのだ。犯罪者に多い。
     サイコパスの脳の特徴
    1)感情や欲求の調節機能のある偏桃体の体積が小さいこと。
    2)前頭前皮質は理性脳とよばれる。上部は冷たい脳と呼ばれ冷静な思考や判断を行う。下部は感情、倫理などに関する温かい脳と呼ばれる。一般にバランスをとっているがサイコパスは下部の機能低下がみられ、倫理観が欠如する。
    3)気分を調節する神経伝達物質のセロトニンを分解する酵素に異常。モノアミン酸化酵素Aを産出する遺伝子にも短径(S)と長径(L)があり、(L)は攻撃性が特徴であり、「戦士の遺伝子}と呼ばれている。これはセロトニンを分解せずシナプスにとどまるように促進する。怒りや攻撃性を抑制するようにみえるが、生体のホメオスタシス(つまり恒常性を維持しようとする基本的働き)によって過剰なセロトニンの作用を軽減するために脳のなかのセロトニン受容体(レセプター)を減少させる。つまりセロトニンに対して反応しなくなる。気分調節ができず、収まらぬ怒りへの反応として攻撃性が現れる。
    4)環境要因。セロトニンが分泌されるのは環境からの刺激を受けてのことである。

    サイコパスの行為の責任についてどう問えるのか。現在欧米諸国の場合、裁判実務の多数は、サイコパスの診断がつけば刑が厳しくなる傾向にある。アメリカの心理学者John Edensらによる一般の人々を対象にした調査でもサイコパスと診断された犯罪者に対して死刑を支持する意見が大きくなることが見出されている。
     責任はアプリオリに絶対的な所与のものではなく社会的な合意によってアポステリオリに付与されるもののようである。サイコパスは再犯の可能性が高く、予防的な意味合いで刑を厳しくしているということのようだが、被害者の家族の報復感情の代弁ということも裁判の役割として機能しているようだ。カントも物件で子供を除外したように責任は大人になってから社会的に付与されるものなのだ。

引用返信/返信 削除キー/
■6177 / inTopicNo.18)  J.J.Johnson
□投稿者/ rest -(2020/09/05(Sat) 22:34:59)
    2020/09/09(Wed) 08:19:56 編集(投稿者)
    2020/09/07(Mon) 09:02:51 編集(投稿者)
    2020/09/06(Sun) 20:55:45 編集(投稿者)

    J.J.Johnson - J is for Jazz

    https://www.youtube.com/watch?v=d0ZngiezWSg


    自由は責任を伴うので責任道徳だ。自由意志による選択結果に責任を負う。だから放縦や利己主義とは一線を画する。選択結果が過去への責任だとしたら、未来の選択にも責任を負う。いずれその選択は過去に結果をもたらすからだ。それがカントの趣旨だろう。
     
     類対立。個性的結合は同時に類対立。同業種の競争的対立は同時に異業種間では親和的なのだという社会的事実からベーコン的に類推したもの。これを家庭にあてはめてみると、血縁共同体の家庭で個性を主張すると不和が生じる。いわゆる類対立だ。行き過ぎると尊属殺人に繋がるが、適度であれば自立を促す。反抗期というのも類対立の結果であり、ユングのいう個性を基盤とする人格形成のチャンスでもある。しかし必然性はない。自由意志の選択結果で少年院にいくか人格を形成するか決まる。自由に責任が伴うことを自覚できるかどうかにかかっている。

    「人格とは、その行為に対して責任を帰することのできる主体である」(カント『人倫の形而上学』の「法論」Metaphyysik der Sitten S.26)

    「物件とはいかなる責任も帰することのできないものである」(Ibid,S.27)

    「それは単なる物体ばかりでなく、動物、子供、精神障碍者あらゆる非理性的存在者を包み込む。それに「責任」を帰することのできない存在者は、すべて物件である」(中島義道『カントの法論』筑摩書房PP.188-189)

     
引用返信/返信 削除キー/
■5557 / inTopicNo.19)  Babs Gonzales
□投稿者/ rest -(2020/08/26(Wed) 10:53:09)
    2020/08/26(Wed) 11:13:17 編集(投稿者)

    Babs Gonzales - "Lullaby of the Doomed"


    https://www.youtube.com/watch?v=onUnYT7jceQ



    ここでカントやヘーゲルの名を出して引用すると、何となく私まで偉そうに見えてくるから人格形成上良くない。しかしオリジナルだけだと信憑性にかける、というのも真実だ。それにしても私の社会哲学は前例がないので引用のしようがない。困ったものだ。テンニースの社会理論に近いかもしれないが、しかしとんでもなくかけ離れている気もする。
     ヘーゲルの弁証法にしたって、矛盾対立は相異なった性質のもの同士の対立、否定の否定とは相異なったものへの変化を示しているし、平面的なのだ。同時性において類的結合があることが示されていない。矛盾対立ならぬ類対立という社会的事実も見逃されている。要するに一面的なのだ。

     社会哲学の生態学への応用。ほとんどの生物が同種族で群生している。魚は同種で群れをなして泳いでいる。類愛が強いのだ。そこで私の発見した原理「類的結合は同時に個性的対立」によると、異種間には対立感情が働き、すなわち警戒心が働きしまいにはかみ殺すという所作に出る。いわゆる食物連鎖だ。食物連鎖は基本的に異種間で行われる。この異種間の対立は弁証法も何もないのだ、というのが真実。どこに止揚があるというのだ。

     テンニースもゲゼルシャフトとげマインシャフトでは利害関係ばかりで、質的な様相は何ら示されていない。市場がゲゼルシャフトなら、直接交換すなわち物々交換において異種間の結合は相互利益の発生ということで利害関係が生じる。農村共同体では相互扶助の利他的つながりが示せるかもしれない。ゲマインシャフトの非利益的性質だ。ただこれらも一面的。別の質的側面が見えていない。それは同時性において認識されるものだ。
引用返信/返信 削除キー/
■5497 / inTopicNo.20)  Coleman Hawkins
□投稿者/ rest -(2020/08/23(Sun) 20:59:49)
    2020/08/24(Mon) 08:22:07 編集(投稿者)

    Coleman Hawkins - What is there to say?


    https://www.youtube.com/watch?v=pipcG-nhgpA



    私の社会哲学。個性的結合は同時に類対立。個性的結合とは違った個性が結合すると、それは同時に似た個性は対立する、という意味。同業種の企業が対立競争するとき、同時に異業種の企業は競争せず仲がいい。市場を基盤とする資本主義の都市型社会の有り様である。
     しかし逆もある。類的結合は同時に個性的対立。類的結合とは似たもの同士が仲が良く、それは同時に異質なものをパージすることを意味している。これは農村における地縁あるいは血縁共同体の有り様を示している。
     一般に道徳は農村共同体を基盤としている。秩序としてのルールは類的行為として守られ、それと異なった行為をすると異質な個性としてパージされる。村八分だ。同調圧力が働くのは世間という共同体意識が働いて、異質な行為を禁止するからである。
     悪とは何か。それは共同体からみた異質な個性をいう。個性は悪なのだ。
     異民族間で戦争が起こるのはお互いに自民族共同体からみると相手が異質だから対立が起きるということを意味している。
     差別や集団的いじめも一種の共同体から個性への攻撃を示している。
     
引用返信/返信 削除キー/
■5461 / inTopicNo.21)  ワクチンについて
□投稿者/ rest -(2020/08/22(Sat) 22:11:07)
     ワクチンは通常、4年はかかる。1年というのは拙速すぎる。
     アメリカでの話。保健当局には臨床試験の工程短縮を製薬大手に認めるように大変大きな圧力がかかっており、間違いが起こりかねない。近道をたどれば、公衆衛生上の危険を生む可能性がある。ことに基礎疾患のあるひとへの影響は無視できない。
     ワクチンで根絶に成功しているのは天然痘ぐらいであとはすべて不完全だ。
     アメリカの最近の世論調査によれば新型コロナ・ワクチンが開発されたら、必ず接種すると回答したひとは半分しかいなかった。イギリスでも同じ結果が出た。別の調査によれば4分の1から3分の1が予防接種は絶対に受けないと答えている。
     ワクチンにも限界がある以上、社会政策的な全数検査のほうが社会の安全度を飛躍的に高める唯一の方法だ。
引用返信/返信 削除キー/
■5455 / inTopicNo.22)  Re[10]: Thelonius Monk
□投稿者/ rest -(2020/08/22(Sat) 20:03:28)
    No5444に返信(restさんの記事)
    > 2020/08/22(Sat) 10:38:07 編集(投稿者)
    >
    > Thelonius Monk - Monk's Dream
    >
    >
    > https://www.youtube.com/watch?v=icFRHJ9VZaw
    >
    >
    >
    > 8/1付 東京都内の新規感染者が472人、感染経路不明は305人に上った。感染経路不明は64%、全国でも5割を超えた。都内の経路判明167人のうち経路判明は家庭50人が最多で、夜の繁華街27人を上回った。クラスター(感染者集団)による感染者追及は限界をむかえている。
    >
    > 市中感染の拡がりは保健所の限界を意味している。
    > 社会の安全度を飛躍的に高めるためにはそろそろPCRの全数検査が必要なのではないか。
    >
    > 感染経路不明5割超ということはそれだけ市中感染が手に負えないほどに拡がっていることを意味している。どうするか。保健所の仕事を民間にアウトソーシングし、PCR検査のできる民間検査センターをふやすしかない。それにあわせて医療提供体制もかえていかなければならない。ことに無症状の感染者による感染は4割を超えているので早急の対応が求められている。その人たちを隔離保護する施設がホテルがなければ自衛隊施設を活用するなど柔軟に対応する必要がある。


    自己レス。ウィズ コロナ という標語が気にくわない。ウイズ ゴキブリといっているようで気持ち悪い。コロナと闘うという姿勢がまったく感じられない。
     PCR検査の感度が70%といったが最低70%という意味で実際は80%、90%と精度は高いといわれている。特異度も岩手県では100%であり、偽陽性はほとんどゼロといわれている。検査回数を増やせば偽陰性も限りなくゼロに近づく。全数検査は必要だ。
     政府は徹底的に闘う姿勢を示してほしいものだ。
引用返信/返信 削除キー/
■5444 / inTopicNo.23)  Thelonius Monk
□投稿者/ rest -(2020/08/22(Sat) 10:26:41)
    2020/08/22(Sat) 10:38:07 編集(投稿者)

    Thelonius Monk - Monk's Dream


    https://www.youtube.com/watch?v=icFRHJ9VZaw



    8/1付 東京都内の新規感染者が472人、感染経路不明は305人に上った。感染経路不明は64%、全国でも5割を超えた。都内の経路判明167人のうち経路判明は家庭50人が最多で、夜の繁華街27人を上回った。クラスター(感染者集団)による感染者追及は限界をむかえている。

    市中感染の拡がりは保健所の限界を意味している。
    社会の安全度を飛躍的に高めるためにはそろそろPCRの全数検査が必要なのではないか。

    感染経路不明5割超ということはそれだけ市中感染が手に負えないほどに拡がっていることを意味している。どうするか。保健所の仕事を民間にアウトソーシングし、PCR検査のできる民間検査センターをふやすしかない。それにあわせて医療提供体制もかえていかなければならない。ことに無症状の感染者による感染は4割を超えているので早急の対応が求められている。その人たちを隔離保護する施設がホテルがなければ自衛隊施設を活用するなど柔軟に対応する必要がある。
引用返信/返信 削除キー/
■5399 / inTopicNo.24)  Aaron Sachs
□投稿者/ rest -(2020/08/19(Wed) 09:33:55)
    Aaron Sachs - Blue Sophisticate


    https://www.youtube.com/watch?v=FcEMNsgDNAY



    感度とはコロナ感染者のうち検査で陽性を示す割合。70%といわれている。特異度とはコロナ感染していない者のうち検査を正しく陰性と出す割合。
     無作為に10万人にPCR検査すると、(仮に感染者を5%とすると)感度70%、特異度99.4%とすると、
    1・感染者5000人のうち陽性が3500人、偽陰性が1500人
    2・非感染者95000人のうち陰性が94430人、偽陽性が570人
    偽陰性は要注意を呼びかけるとともに検査頻度を多くすることによって減らすことができる。偽陽性は何らかの補償金が必要だろう。完全ではないが全数検査のほうが飛躍的に社会の安全度を高めることは間違いない。

    政府の分科会によると(7/6付)

    1・有症状者
    2・無症状者+事前確率が高い
    3・無症状者+事前確率が低い

    1,2はPCR検査するけれども3はするかどうかは社会的コンセンサスが必要ということらしい。なお事前確率とは検査を受ける段階での予想される陽性率であり、その集団の感染者の割合をいう。
     全数検査の立場からいうと事前確率が低いというのはゼロではないのでまだ不明な状況では検査したほうがよい。
引用返信/返信 削除キー/

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