■6177 / inTopicNo.18) |
J.J.Johnson
|
□投稿者/ rest -(2020/09/05(Sat) 22:34:59)
| 2020/09/09(Wed) 08:19:56 編集(投稿者) 2020/09/07(Mon) 09:02:51 編集(投稿者) 2020/09/06(Sun) 20:55:45 編集(投稿者)
J.J.Johnson - J is for Jazz
https://www.youtube.com/watch?v=d0ZngiezWSg
自由は責任を伴うので責任道徳だ。自由意志による選択結果に責任を負う。だから放縦や利己主義とは一線を画する。選択結果が過去への責任だとしたら、未来の選択にも責任を負う。いずれその選択は過去に結果をもたらすからだ。それがカントの趣旨だろう。 類対立。個性的結合は同時に類対立。同業種の競争的対立は同時に異業種間では親和的なのだという社会的事実からベーコン的に類推したもの。これを家庭にあてはめてみると、血縁共同体の家庭で個性を主張すると不和が生じる。いわゆる類対立だ。行き過ぎると尊属殺人に繋がるが、適度であれば自立を促す。反抗期というのも類対立の結果であり、ユングのいう個性を基盤とする人格形成のチャンスでもある。しかし必然性はない。自由意志の選択結果で少年院にいくか人格を形成するか決まる。自由に責任が伴うことを自覚できるかどうかにかかっている。
「人格とは、その行為に対して責任を帰することのできる主体である」(カント『人倫の形而上学』の「法論」Metaphyysik der Sitten S.26)
「物件とはいかなる責任も帰することのできないものである」(Ibid,S.27)
「それは単なる物体ばかりでなく、動物、子供、精神障碍者あらゆる非理性的存在者を包み込む。それに「責任」を帰することのできない存在者は、すべて物件である」(中島義道『カントの法論』筑摩書房PP.188-189)
|
|