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■8652 / inTopicNo.1)  横レス御免!
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/11/03(Tue) 10:12:45)
    おはようございます、restさん。

    No8647に返信(restさんの記事)

    >> Camen McRae - My Romannce
    >>
    >>
    >> https://www.youtube.com/watch?v=FlXVQH3MvOE
    >>
    >>
    >> 個性的結合は同時に類対立の原理における類対立は同業種の企業が生産性競争をし、その結果価格競争になることを示している。
    >>
    >> >  個性的結合は同時に類的対立である、という場合の類対立は同種の商品を扱う者同士の競争状態を示している。AとBという同業者がいて、Cという人の商品をめぐって競争するとどうなるか。AはCに対して10個の商品をCの1個に対して与える。しかしBは12個の商品を与えようとする。商品の個数を増やす競争をするのである。これが生産性競争であり、現代社会における競争政策の根本を現わしている。価格はA,Bの1個に対する交換割合、すなわち、Aの示す価格は1/10であり、Bの示す価格は1/12であり、Bの示す価格が安いということがわかる。生産性の高いほうが価格も安いのである。物々交換における競争は現代においても本質は変わらないと思う<
    >>
    >> Cの手持ちの商品を貨幣と置き換えると、Aの示す単価は1/10円であり、Bの示す単価は1/12円である。現代風にいうとCは消費者であり、一定の人数とするとA,Bの単価が等しい時にはAに50人、Bに50人と均等に来ていた客が価格競争が始まるとBに70人、Aに30人の客の移動があった。価格の安いBには客が増え、価格の高いAは客が減った。経済学の教科書に載っている需要曲線はこのことを意味している。はたして需要曲線は正しいだろうか。結論からいうと個別的事実としては正しいが一般的事実としては間違っている、ということになる。価格が安いと需要は増え、価格が高いと需要は減るというのは個別的には正しいが一般化できるだろうか。限定された需要100人をめぐる競争で価格が低下して需要が増えた分、価格の高いところから需要が減ったことになり、トータルとして需要は増えていない。需要は100人のままである。価格が低下すると需要が増えると一般的にはいえないことが分かる。航空機の切符が安くなって客が増えたとしてもそれはJRの客が減ったことを意味し全体としては需要は増えていない。航空業界の全体が需要が増えたように見えても別の業界の需要が減っていることを意味している。したがって需要曲線は成り立たない。
    >>
    >> 需要が一般的に増えるのは低価格が原因ではない。需要が一般的に増えるのはむしろ高価格が伴っている場合が多い。供給よりも需要が多く需要の側に競争要因が働くからだ。映画がヒットするのは低価格要因ではなく、映画の内容に魅力があるからだ。その時は価格が高くとも買おうとするだろう。一般的に需要が増加するのは低価格だからではない。その意味でも需要曲線は成り立たないことが分かる。
    >>
    >> 個別の事実をもって一般化できると錯覚することを合成の誤謬という。需要曲線はその典型だろう。
    >> 経済学の教科書では需要曲線は価格消費曲線から導かれる。価格が低下すると予算線の傾きが拡がり、無差別曲線との接点である消費者均衡点が右上に移動し消費財の消費が増えるという説明である。問題は価格の低下である。競争によって価格が低下すると、価格の高い方は需要を減らし、低い方は増える。低い方だけに焦点をあてれば確かに需要は増えるので、一見需要曲線が成立するように見えるが、全体として見ると需要は増えていない。すると価格の低下に伴い需要が増えるという一般化はできないことになり、需要曲線は一般性をもたない。個別的には成り立っても一般性がない、という合成の誤謬であることが分かる。

    > 自己レス。上記の、個別の事実をもって一般化できると錯覚することを合成の誤謬という、以下は追記です。

    無自覚にやってしまう牽強付会もその一種ですね。^^
引用返信/返信 削除キー/
■8647 / inTopicNo.2)  Re[30]: Camen McRae
□投稿者/ rest -(2020/11/03(Tue) 09:06:31)
    2020/11/03(Tue) 09:16:52 編集(投稿者)
    No8621に返信(restさんの記事)
    > 2020/11/03(Tue) 08:40:32 編集(投稿者)
    > 2020/11/02(Mon) 04:03:56 編集(投稿者)
    >
    > Camen McRae - My Romannce
    >
    >
    > https://www.youtube.com/watch?v=FlXVQH3MvOE
    >
    >
    > 個性的結合は同時に類対立の原理における類対立は同業種の企業が生産性競争をし、その結果価格競争になることを示している。
    >
    >  >  個性的結合は同時に類的対立である、という場合の類対立は同種の商品を扱う者同士の競争状態を示している。AとBという同業者がいて、Cという人の商品をめぐって競争するとどうなるか。AはCに対して10個の商品をCの1個に対して与える。しかしBは12個の商品を与えようとする。商品の個数を増やす競争をするのである。これが生産性競争であり、現代社会における競争政策の根本を現わしている。価格はA,Bの1個に対する交換割合、すなわち、Aの示す価格は1/10であり、Bの示す価格は1/12であり、Bの示す価格が安いということがわかる。生産性の高いほうが価格も安いのである。物々交換における競争は現代においても本質は変わらないと思う<
    >
    >  Cの手持ちの商品を貨幣と置き換えると、Aの示す単価は1/10円であり、Bの示す単価は1/12円である。現代風にいうとCは消費者であり、一定の人数とするとA,Bの単価が等しい時にはAに50人、Bに50人と均等に来ていた客が価格競争が始まるとBに70人、Aに30人の客の移動があった。価格の安いBには客が増え、価格の高いAは客が減った。経済学の教科書に載っている需要曲線はこのことを意味している。はたして需要曲線は正しいだろうか。結論からいうと個別的事実としては正しいが一般的事実としては間違っている、ということになる。価格が安いと需要は増え、価格が高いと需要は減るというのは個別的には正しいが一般化できるだろうか。限定された需要100人をめぐる競争で価格が低下して需要が増えた分、価格の高いところから需要が減ったことになり、トータルとして需要は増えていない。需要は100人のままである。価格が低下すると需要が増えると一般的にはいえないことが分かる。航空機の切符が安くなって客が増えたとしてもそれはJRの客が減ったことを意味し全体としては需要は増えていない。航空業界の全体が需要が増えたように見えても別の業界の需要が減っていることを意味している。したがって需要曲線は成り立たない。
    >
    > 需要が一般的に増えるのは低価格が原因ではない。需要が一般的に増えるのはむしろ高価格が伴っている場合が多い。供給よりも需要が多く需要の側に競争要因が働くからだ。映画がヒットするのは低価格要因ではなく、映画の内容に魅力があるからだ。その時は価格が高くとも買おうとするだろう。一般的に需要が増加するのは低価格だからではない。その意味でも需要曲線は成り立たないことが分かる。
    >
    > 個別の事実をもって一般化できると錯覚することを合成の誤謬という。需要曲線はその典型だろう。
    >  経済学の教科書では需要曲線は価格消費曲線から導かれる。価格が低下すると予算線の傾きが拡がり、無差別曲線との接点である消費者均衡点が右上に移動し消費財の消費が増えるという説明である。問題は価格の低下である。競争によって価格が低下すると、価格の高い方は需要を減らし、低い方は増える。低い方だけに焦点をあてれば確かに需要は増えるので、一見需要曲線が成立するように見えるが、全体として見ると需要は増えていない。すると価格の低下に伴い需要が増えるという一般化はできないことになり、需要曲線は一般性をもたない。個別的には成り立っても一般性がない、という合成の誤謬であることが分かる。


    自己レス。上記の、個別の事実をもって一般化できると錯覚することを合成の誤謬という、以下は追記です。

引用返信/返信 削除キー/
■8621 / inTopicNo.3)  Camen McRae
□投稿者/ rest -(2020/11/01(Sun) 21:56:06)
    2020/11/03(Tue) 09:15:06 編集(投稿者)
    2020/11/03(Tue) 08:40:32 編集(投稿者)
    2020/11/02(Mon) 04:03:56 編集(投稿者)

    Camen McRae - My Romannce


    https://www.youtube.com/watch?v=FlXVQH3MvOE


    個性的結合は同時に類対立の原理における類対立は同業種の企業が生産性競争をし、その結果価格競争になることを示している。

     >  個性的結合は同時に類的対立である、という場合の類対立は同種の商品を扱う者同士の競争状態を示している。AとBという同業者がいて、Cという人の商品をめぐって競争するとどうなるか。AはCに対して10個の商品をCの1個に対して与える。しかしBは12個の商品を与えようとする。商品の個数を増やす競争をするのである。これが生産性競争であり、現代社会における競争政策の根本を現わしている。価格はA,Bの1個に対する交換割合、すなわち、Aの示す価格は1/10であり、Bの示す価格は1/12であり、Bの示す価格が安いということがわかる。生産性の高いほうが価格も安いのである。物々交換における競争は現代においても本質は変わらないと思う<

     Cの手持ちの商品を貨幣と置き換えると、Aの示す単価は1/10円であり、Bの示す単価は1/12円である。現代風にいうとCは消費者であり、一定の人数とするとA,Bの単価が等しい時にはAに50人、Bに50人と均等に来ていた客が価格競争が始まるとBに70人、Aに30人の客の移動があった。価格の安いBには客が増え、価格の高いAは客が減った。経済学の教科書に載っている需要曲線はこのことを意味している。はたして需要曲線は正しいだろうか。結論からいうと個別的事実としては正しいが一般的事実としては間違っている、ということになる。価格が安いと需要は増え、価格が高いと需要は減るというのは個別的には正しいが一般化できるだろうか。限定された需要100人をめぐる競争で価格が低下して需要が増えた分、価格の高いところから需要が減ったことになり、トータルとして需要は増えていない。需要は100人のままである。価格が低下すると需要が増えると一般的にはいえないことが分かる。航空機の切符が安くなって客が増えたとしてもそれはJRの客が減ったことを意味し全体としては需要は増えていない。航空業界の全体が需要が増えたように見えても別の業界の需要が減っていることを意味している。したがって需要曲線は成り立たない。

    需要が一般的に増えるのは低価格が原因ではない。需要が一般的に増えるのはむしろ高価格が伴っている場合が多い。供給よりも需要が多く需要の側に競争要因が働くからだ。映画がヒットするのは低価格要因ではなく、映画の内容に魅力があるからだ。その時は価格が高くとも買おうとするだろう。一般的に需要が増加するのは低価格だからではない。その意味でも需要曲線は成り立たないことが分かる。

    個別の事実をもって一般化できると錯覚することを合成の誤謬という。需要曲線はその典型だろう。
     経済学の教科書では需要曲線は価格消費曲線から導かれる。価格が低下すると予算線の傾きが拡がり、無差別曲線との接点である消費者均衡点が右上に移動し消費財の消費が増えるという説明である。問題は価格の低下である。競争によって価格が低下すると、価格の高い方は需要を減らし、低い方は増える。低い方だけに焦点をあてれば確かに需要は増えるので、一見需要曲線が成立するように見えるが、全体として見ると需要は増えていない。すると価格の低下に伴い需要が増えるという一般化はできないことになり、需要曲線は一般性をもたない。個別的には成り立っても一般性がない、という合成の誤謬であることが分かる。
     
引用返信/返信 削除キー/
■8356 / inTopicNo.4)  Re[28]: Stan Hasselgard
□投稿者/ rest -(2020/10/25(Sun) 20:51:49)
    No8290に返信(restさんの記事)
    > 2020/10/25(Sun) 20:46:23 編集(投稿者)
    > 2020/10/24(Sat) 23:35:28 編集(投稿者)
    >
    > Stan Hasselgard and his group - Cottontop
    >
    >
    > https://www.youtube.com/watch?v=chwrtgiBgtE
    >
    >
    > 多様性ということ。社会哲学とその応用としての経済学への展開をはかりたい。まず「個性的結合は同時に類的対立」という原理は市場経済から導き出されたものだが、今一度そこを掘り下げてみたい。個性的結合というのは多様性のつながり方であり、それは物々交換における異種商品同士の直接的交換であり、具体的には交換比率を現わしている。Aという人のaという商品と、Bという人のbという商品の交換比率はどのように決定されるのか。要となるのが双方の利益である。Aがaに対する評価が16、bに対する評価が19とする。つぎにBのbに対する評価が7、aに対する評価が10とする。Aの利益は19-16=3であり、Bの利益は10-7=3である。お互いに交換すればお互いに利益が生じる。ここで価値評価の点からみると、aの価値は16+10=26であり、bの価値は19+7=26となり、aの価値とbの価値は26で等しくなる。これが等価交換である。市場では等価交換になるように数量が調節される。交換比率はこのように決まる。多様性の中においてつながるのは双方の利益が成立するかにかかっている。
    >  個性的結合は同時に類的対立である、という場合の類対立は同種の商品を扱う者同士の競争状態を示している。AとBという同業者がいて、Cという人の商品をめぐって競争するとどうなるか。AはCに対して10個の商品をCの1個に対して与える。しかしBは12個の商品を与えようとする。商品の個数を増やす競争をするのである。これが生産性競争であり、現代社会における競争政策の根本を現わしている。価格はA,Bの1個に対する交換割合、すなわち、Aの示す価格は1/10であり、Bの示す価格は1/12であり、Bの示す価格が安いということがわかる。生産性の高いほうが価格も安いのである。物々交換における競争は現代においても本質は変わらないと思う。
    >
    > 上記の価値評価の数値は必要性の程度を現わしている。効用価値説の効用が事後的な満足度を現わしているのに対して消費する以前の必要性の程度である。これは欲望とは違う。なぜなら文化的価値観が反映するからだ。インドでは牛は宗教上神聖視され食用としては存在しない。ところが他国では重要な食糧なのである。必要性とは価値観が反映するものであり、逆に生理的欲望を抑制することもあるのが必要性という概念である。必要性の低いものから必要性の高いものへと自由意志による選択が行われるが、物々交換の際にも必要性の程度による選択が行われる。上記の等価交換もその結果と言える。
    >

    自己レス。上記の価値評価以下は追加です。  
引用返信/返信 削除キー/
■8290 / inTopicNo.5)  Stan Hasselgard
□投稿者/ rest -(2020/10/24(Sat) 23:28:33)
    2020/10/25(Sun) 20:46:23 編集(投稿者)
    2020/10/24(Sat) 23:35:28 編集(投稿者)

    Stan Hasselgard and his group - Cottontop


    https://www.youtube.com/watch?v=chwrtgiBgtE


    多様性ということ。社会哲学とその応用としての経済学への展開をはかりたい。まず「個性的結合は同時に類的対立」という原理は市場経済から導き出されたものだが、今一度そこを掘り下げてみたい。個性的結合というのは多様性のつながり方であり、それは物々交換における異種商品同士の直接的交換であり、具体的には交換比率を現わしている。Aという人のaという商品と、Bという人のbという商品の交換比率はどのように決定されるのか。要となるのが双方の利益である。Aがaに対する評価が16、bに対する評価が19とする。つぎにBのbに対する評価が7、aに対する評価が10とする。Aの利益は19-16=3であり、Bの利益は10-7=3である。お互いに交換すればお互いに利益が生じる。ここで価値評価の点からみると、aの価値は16+10=26であり、bの価値は19+7=26となり、aの価値とbの価値は26で等しくなる。これが等価交換である。市場では等価交換になるように数量が調節される。交換比率はこのように決まる。多様性の中においてつながるのは双方の利益が成立するかにかかっている。
     個性的結合は同時に類的対立である、という場合の類対立は同種の商品を扱う者同士の競争状態を示している。AとBという同業者がいて、Cという人の商品をめぐって競争するとどうなるか。AはCに対して10個の商品をCの1個に対して与える。しかしBは12個の商品を与えようとする。商品の個数を増やす競争をするのである。これが生産性競争であり、現代社会における競争政策の根本を現わしている。価格はA,Bの1個に対する交換割合、すなわち、Aの示す価格は1/10であり、Bの示す価格は1/12であり、Bの示す価格が安いということがわかる。生産性の高いほうが価格も安いのである。物々交換における競争は現代においても本質は変わらないと思う。

    上記の価値評価の数値は必要性の程度を現わしている。効用価値説の効用が事後的な満足度を現わしているのに対して消費する以前の必要性の程度である。これは欲望とは違う。なぜなら文化的価値観が反映するからだ。インドでは牛は宗教上神聖視され食用としては存在しない。ところが他国では重要な食糧なのである。必要性とは価値観が反映するものであり、逆に生理的欲望を抑制することもあるのが必要性という概念である。必要性の低いものから必要性の高いものへと自由意志による選択が行われるが、物々交換の際にも必要性の程度による選択が行われる。上記の等価交換もその結果と言える。
     
引用返信/返信 削除キー/
■7961 / inTopicNo.6)  Re[2]: 感謝
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/18(Sun) 12:25:50)
    No7960に返信(restさんの記事)
    > パニチェさん トビ設定の更新ありがとうございます。毎回のことですが深く感謝しております。

    どういたしまして、というか…こちらこそニーチェクラブを利用いただき感謝です。
    restさんの投稿はいつもロムさせていただいてます。^^

    >  ニーチェと親鸞の悪人正機説との関連性も見えてきたように思います。パニチェさんの鋭い指摘にはいつも驚かされます。

    そんな。。大したことはないのですが、ありがとうございます。^^;

    > できれば宗教上の対立も乗り越えられたらいいなと思っています。自力、他力の争いも乗り越えられたらいいなと思っています。

    完全に同意します。
    「宗旨の争い釈迦の恥」ですし、道のりや乗り物の違いだけですからね。

    > もっとも独我論では他の存在は不確かだからあてにならない、ということかもしれませんが、超越的存在に頼らなくとも、隣近所の共同体の相互扶助は必要ではないでしょうか。その意味での他力なら自力と両立すると思いますが。返信はお気兼ねなく。

    私はダブルスタンダードと言われようとも自然的態度(日常的態度)も重視します。
    ですから上記の「隣近所の共同体の相互扶助は必要」「他力と自力の両立」は何ら異論なく同意です。
引用返信/返信 削除キー/
■7948 / inTopicNo.7)  Re[25]: Don Byas
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/18(Sun) 10:22:46)
    2020/10/18(Sun) 10:26:51 編集(投稿者)

    おはようございます、pipitさん。レスありがとうございます。

    No7939に返信(pipitさんの記事)
    > restさん、パニチェさん、おはようございます

    > 横の横レス、失礼します。

    > ニーチェの文章の中の
    > >それによると「善」と「悪」という判断は「目的に適う」と「目的に適わない」ということについての諸経験の蓄積の結果である。<

    > おもしろくかんじました。

    > パーリ経典の言語、パーリ語では、善悪の言葉の1つとして、クサラ(善)・アクサラ(不善・悪?)というそうで、
    > クサラは、巧み、という意味があり、
    > アは否定で、アクラサは、巧みではない、という意味にわたしは捉えていました。

    なるほど、おもしろいですね。

    > 解脱という目的を置き、《目的に適う・適わない》で、心所を分類する、というイメージがわたしに起こりました。

    同意です。
    仏教の場合、三毒(貧欲・瞋恚・愚癡)とか十悪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・邪見)など、煩悩や執着、虚妄分別が戒められるのは涅槃への妨げになるからでしょうね。

    > 引用文の後半もおもしろいですやね。

    > 貪瞋痴、と、不貪不瞋不痴。
    > 煩悩即菩提を大乗仏教のことをよく知らないなりに思い起こしました。

    動物は自他の境界認識が人間ほど明瞭ではなく、時間を過去と未来に言語的に分別することで後悔や不安に悩まされることなく而今(今に生きている)ということもり、その意味において涅槃であるが、言葉や煩悩を知らないために菩提(仏智)には至らない。

    人間は煩悩を知るからこそ菩提へと至ることができるし、これが人として生まれた特権。

    「天上天下唯我独尊」

    煩悩即菩提を私はこのように解釈しています。
    それは悪人を自覚することによって救われる悪人正機にも相通じるような感じがします。
引用返信/返信 削除キー/
■7939 / inTopicNo.8)  Re[24]: Don Byas
□投稿者/ pipit -(2020/10/18(Sun) 08:32:29)
    restさん、パニチェさん、おはようございます

    横の横レス、失礼します。

    ニーチェの文章の中の
    >それによると「善」と「悪」という判断は「目的に適う」と「目的に適わない」ということについての諸経験の蓄積の結果である。<

    おもしろくかんじました。

    パーリ経典の言語、パーリ語では、善悪の言葉の1つとして、クサラ(善)・アクサラ(不善・悪?)というそうで、
    クサラは、巧み、という意味があり、
    アは否定で、アクラサは、巧みではない、という意味にわたしは捉えていました。

    解脱という目的を置き、《目的に適う・適わない》で、心所を分類する、というイメージがわたしに起こりました。

    引用文の後半もおもしろいですね。

    貪瞋痴、と、不貪不瞋不痴。
    煩悩即菩提を大乗仏教のことをよく知らないなりに思い起こしました。




引用返信/返信 削除キー/
■7936 / inTopicNo.9)  Re[23]: Don Byas
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/18(Sun) 07:58:41)
    おはようございます。restさん。横レス失礼します。

    No7926に返信(restさんの記事)
    > Don Byas - Stardust
    > https://www.youtube.com/watch?v=33slptvcVGA
    > 言語は共同体的といったが、社会共同体的ルールから逸脱した個性も思考は共同体的言語でできているのでその個性に基づいた共同体を形成する。たとえば暴力団や暴走族のようにグループをつくる。これも異質な共同体なのだ。そこには独自のルールがある。善は共同体を前提とするが共同体は必ずしも善とは限らない。
    >  異民族間の紛争は異なる民族共同体の間の争いであるが共同体が善の基準である限り、どちらも善となり共同体から逸脱した個性として悪が定義づけられるなら他の民族は異質な個性であり悪とみなされる。ここにおいては絶対的な善悪は存在しない。紛争の解決は相互理解しかない。
    >  異なる宗教間の争いはもともとは信者をめぐる同業者の同質の争いであるが言語の対立が異なる宗教の共同体を形成し、差異をめぐる共同体間の争いに変質する。精神の二重構造すなわち超自我とイドいいかえれば共同体と個性の投影であり、自我のバランス感覚の働きではあるがそのバランスはアンバランスであり、微妙な差異に対して肥大化した共同体寄りという構図になる。だから争いは共同体的なのだ。このような争いに対して最も有効なのが相互に多様性を尊重するという機運なのだ。

    同意です。
    神による審判でも信じない限り、絶対的な善悪は人間には判定不能だと思います。
    何故、人を殺してはいけないのに牛や豚や魚、細菌は許されるのか?などなどの問いへの回答は無いに等しい。

    「ある企業の常識が世間の非常識」
    「ある宗教団体の善行が世間の悪行」
    より広範囲で通用する倫理観が正しいとしか言えない。

    さらに上記の倫理観はあくまでも人間中心であるということ。
    人間という種族を維持発展させるものが善であり、その反対が悪であるということ。
    但し、善のみでは種族の耐性を弱体化させることにもなりかねず悪も必要とされる。
    その意味において以下のニーチェのアフォリズムは現実的な善悪を心理学的に解体しており的を射ていると思います。

    『あらゆる時代の善人とは、古い思想の土を掘り起こし、それで収穫をあげる人間であり、精神の土百姓である。しかしついにはあらゆる土地が利用しつくされる、かくてくりかえし悪の犂頭が到来しなければならなくなる。──こんにちでは、とくにイギリスで名声嘖々たる道徳の根本誤謬があらわれている。それによると「善」と「悪」という判断は「目的に適う」と「目的に適わない」ということについての諸経験の蓄積の結果である。それによれば、善と呼ばれるものは種属を維持するもののことであるし、悪と称されるものは種属に有害なもののことである。だが実際には、悪の諸衝動は善のそれらとそっくり同様に高度に合目的のものであり、種属を維持するもの不可欠のものである、──違うのはそれらの機能の点だけである。(悦ばしき知識 第3番)』
引用返信/返信 削除キー/
■7926 / inTopicNo.10)  Don Byas
□投稿者/ rest -(2020/10/17(Sat) 23:12:08)
    Don Byas - Stardust


    https://www.youtube.com/watch?v=33slptvcVGA


    言語は共同体的といったが、社会共同体的ルールから逸脱した個性も思考は共同体的言語でできているのでその個性に基づいた共同体を形成する。たとえば暴力団や暴走族のようにグループをつくる。これも異質な共同体なのだ。そこには独自のルールがある。善は共同体を前提とするが共同体は必ずしも善とは限らない。
     異民族間の紛争は異なる民族共同体の間の争いであるが共同体が善の基準である限り、どちらも善となり共同体から逸脱した個性として悪が定義づけられるなら他の民族は異質な個性であり悪とみなされる。ここにおいては絶対的な善悪は存在しない。紛争の解決は相互理解しかない。
     異なる宗教間の争いはもともとは信者をめぐる同業者の同質の争いであるが言語の対立が異なる宗教の共同体を形成し、差異をめぐる共同体間の争いに変質する。精神の二重構造すなわち超自我とイドいいかえれば共同体と個性の投影であり、自我のバランス感覚の働きではあるがそのバランスはアンバランスであり、微妙な差異に対して肥大化した共同体寄りという構図になる。だから争いは共同体的なのだ。このような争いに対して最も有効なのが相互に多様性を尊重するという機運なのだ。
引用返信/返信 削除キー/
■7695 / inTopicNo.11)  Charlie Ventura
□投稿者/ rest -(2020/10/11(Sun) 23:00:23)
    Fats Navarro ,Charlie Ventura ,Buddy Rich High On Open Mike


    https://www.youtube.com/watch?v=BlpEC1ian28


    差異化はどうやって生じるのだろうか。政治家は同質のものが議席を争うのだが争うときは異質な政策を掲げて争う。異質な政策で共同体をつくりあたかも異質を競っているように見える。市場競争と同じで同質のものが生産性競争(価格競争)をするが、差異は価格差である。差異で競争しているように見える。この微妙な差異で共同体をつくり会社組織ができあがり、異質な看板で争っているように見える。なぜ同質な対立が隠され、異質な争いにすりかえられてしまうのか。
     それは言語に原因がある。言語は社会共同体の共通の概念を前提にしており、言語による争いは同じ政策という共同体を必然的に生む。我々の思考自体が言語によって構成されており共同体的なのだ。言語による対立は差異化した共同体を構成しやすい。そこで政党が生まれる。異なる政策による異なる政党だ。
     それはある意味人間の精神構造の投影かもしれない。秩序を守る共同体意識と個性化しようとするイドの意識の二面性において通常は共同体意識が優先されるので政党間の対立は異質間の対立になるが選挙にみられるように政治家同士の類対立も隠れているのである。市場における同質企業間の競争と同じである。
     中間的自我がバランスをとって両立させているということかもしれない。
引用返信/返信 削除キー/
■7362 / inTopicNo.12)  Re[20]: Dizzy Gillespie
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/04(Sun) 14:20:08)
    レスありがとうございます。

    No7359に返信(restさんの記事)

    > パニチェさん こんにちは。レスありがとうございます。
    > 社会全体が共同体よりに偏っている場合、差別やいじめなどいろんな弊害が生じます。これを是正するためには多様性を尊重する必要があります。
    >  権力の由来ですが、共同体による個の抑圧が起源とすれば共同体が強いほど権力的になります。社会共同体のルールに反するものは異質な個性として排除されることになります。ルールに反しなくとも異質ということでパージされることもあるようです。今回の日本学術会議における6名の任命を拒否した菅内閣の姿勢は保守思想の共同体の結束からくる異質な思想の持主への権力的なパージであり、多様性の拒否です。これでは権力にとって都合のいい情報しかはいらなくなり、都合の悪い正しい情報が入らなくなり、まちがった政策判断につながります。
    > 日本全体が共同体よりで世間体など同調圧力が強くアンバランスなので多様性の尊重へとおもいっきり舵をきる必要があるのではないでしょうか。

    大方の論旨に同意します。
    私が今もっとも問題だと思うのは、マスゴミによる弊害とこれに右往左往する哲学なき盲目的国民性です。

    ネットのニュースやSNSの発言を裏付けもとらずに大手マスコミはそのまま電波に乗せる、自社報道でないだけに責任が軽減される。

    で、結果的に袋叩きにする、きわめてヒステリックな対応。
    かつての神国日本が戦争へと本暴走した歴史やカルトに洗脳される構図と瓜二つです。
引用返信/返信 削除キー/

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