| > >>@目覚めている時の、精神と物質が対峙する活動の状態 > >>A夢の伴う睡眠の状態 > >>B夢をまったくみない完全熟睡状態 >> > >>現代の普通の人にとって、リアリティがあるのは@だけでしょう。A以下はお休みの状態であって、@の活動の残滓として夢という現象があるという程度。最優先は@以外ありえない。リアリティ度100は@だけ。 > >>ラマナマハルシ的なアドヴァイタはこれを完全に逆転させます。 >> > >>上記@ABはすべて、リアリティ度100です。しかし最優先はBの「夢をまったくみない完全熟睡状態」(あくまで喩えですが)としての真我(本当の自己といっても、<私>といっても同じ)。Bからリアリティを与えられるので、@の目覚めの時の活動もリアリティをもちうる。
> 玄人の方のカキコミに触発されたのですが、音楽は@ABのいずれを本拠地とするのかというトピックです。科学の発達とともに、音楽を脳状態に還元する立場があり、それだと音楽はBですね。しかしどうしてこの曲のこの演奏だけが特別の意味をもちうるかということは、脳状態だけでは説明できないと思います。knowing itself としては、まずはA、究極的にはBです。
マーラーの交響曲9番は、上記の@ABモデルの例証そのものだと感じます。他のトピックでも取り上げられた第4楽章が最後に溶け込んでいく全き静寂は、Bの夢をまったくみない完全熟睡状態をあらわしています。
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