(現在 過去ログ1 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■3503 / inTopicNo.49)  Re[30]: 総合者
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/04(Sat) 20:34:20)
    2020/07/04(Sat) 20:40:09 編集(投稿者)

    No3499に返信(knowing itselfさんの記事)
    > どんな分野でもそうだと思うが、天才というのはある意味総合者でしょう。自分発のオリジナルだけなんてありえません。哲学も。カントもそうだと思う。
    > ただそうでないタイプもいて、それに当たるのはウィトゲンシュタインあたりでしょうか。

    同意です。
    17歳のウィトゲンシュタインはウィーン大学のボルツマンのもとで物理学の研究を目指していたが入学資格をとることができず、父親の専門であった工学の才能を示していたためベルリンのシャルロッテンブルクにある工科大学に入学するも三学期で退学。その後、航空工学に興味をもったことからマンチェスター大学の航空工学科の学生となる。卒業間近になりプロペラの設計に取り組んだことから数学的な面に興味を抱き、数学基礎論に魅せられるようになった。バートランド・ラッセルの「数学の諸原理」を読んだ頃に、ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』をはじめとした彼の書籍数冊読了した。ウィトゲンシュタインが読んだ哲学書はこれだけ。ラッセルとフレーゲによりもたらされた倫理学と哲学の最新の成果に興味をかき立てられ、イェーナ大学のフレーゲの推薦もあり、ケンブリッジ大学のラッセルのもとで師弟関係を結び論理学と哲学の研究に没頭する。ラッセルは当時を振り返って「ウィトゲンシュタインほどの才能のある人物に出会ったのはムーア以来のことだった」と手紙に書き記している。(参考:A・C・グレーリング著「ウィトゲンシュタイン」)

    哲学書をほとんど読んでいないことが誰の影響も受けずほぼオリジナルの哲学とも言える前期「論理哲学論考」と後期「哲学探究」を残せたのだと思います。
    『意志と表象としての世界』に感銘を受けたのはニーチェと共通しており、二人とも全く異なるジャンルの哲学であるにもかかわらず東洋哲学との共通点があるところが面白いです。

    knowing itselfさんはウィトゲンシュタインは読まれてますか?

引用返信/返信 削除キー/
■3499 / inTopicNo.50)  総合者
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/04(Sat) 19:29:18)
    どんな分野でもそうだと思うが、天才というのはある意味総合者でしょう。自分発のオリジナルだけなんてありえません。哲学も。カントもそうだと思う。

    ただそうでないタイプもいて、それに当たるのはウィトゲンシュタインあたりでしょうか。
引用返信/返信 削除キー/
■3431 / inTopicNo.51)  Re[28]: 悟りと脳科学
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/03(Fri) 12:53:50)
    2020/07/03(Fri) 12:57:22 編集(投稿者)

    No3428に返信(knowing itselfさんの記事)

    > 覚醒した人の脳状態は、五戒を犯す脳状態とは明らかに違うと思います。五戒が成立した時代には当然のことながら、現代脳科学の知見などはありませんが、直感的には洞察していたと思います。本当に深いレベルでの安息、穏やかさに何が必要であるのか。
    > どれだけ紛い物の内的体験をしようが、五戒を破ったことを自分の脳は騙せません。
    > オウムは五戒を破って鈍化に開き直っている時点で、覚醒とは無関係でしょう。

    同意です。オウムは魔境や野弧禅の典型でしょうね。
    正しい禅定にはまともな師家が必要な理由でもあると思います。
引用返信/返信 削除キー/
■3428 / inTopicNo.52)  Re[27]: 悟りと脳科学
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/03(Fri) 12:46:19)
    >>覚醒した人たちの脳をスキャンすれば、上記と同じようになると思います。動物的な回路が抑えられ、扁桃体の活動が低下し、左脳の過緊張がなくなって両脳のバランスがとれ、戦うか逃げるか反応が完全に無意味になり、などの特性は一般的に覚醒した人に伴うものだからです。脳の状態が変わったからこういった効果が生まれたというより、覚醒した人たちの心身の状態を脳として観測するとそうなるのだと思います。
    >>逆に、脳状態がこのような人たちは覚醒しているかというと、それは必ずしも言えないでしょう。
    >
    > 全くもって同感です。
    >
    >>ただ、もし脳科学などの発展によって上記の脳状態に容易に至れるようなメソッドなどが提供できれば、それは歓迎すべきでしょう。
    > そうですね。
    > 悪用した例としてはオウムが薬を使ってトリップが見性体験であるかのように驚かせ、高学歴の人たちをグルに帰依させてました。
    > アイソレーションタンクでも不思議な感覚に陥るようです。

    覚醒した人の脳状態は、五戒を犯す脳状態とは明らかに違うと思います。五戒が成立した時代には当然のことながら、現代脳科学の知見などはありませんが、直感的には洞察していたと思います。本当に深いレベルでの安息、穏やかさに何が必要であるのか。
    どれだけ紛い物の内的体験をしようが、五戒を破ったことを自分の脳は騙せません。
    オウムは五戒を破って鈍化に開き直っている時点で、覚醒とは無関係でしょう。


引用返信/返信 削除キー/
■3415 / inTopicNo.53)  Re[27]: 悟りと脳科学
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/02(Thu) 21:39:11)
    2020/07/02(Thu) 21:43:02 編集(投稿者)

    こんばんは。

    No3412に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > おじゃまします。

    > 「偏桃体」と「海馬」との関係、さらに「大脳皮質」との関係はどう見てますか?
    > 「悟り」との関係はひとまず横に置いといて。

    悪魔さんも投稿していたように脳の三重構造を支持します。
    脊椎の先端まで入れれば魚類、爬虫類、哺乳類、人間脳ということになるのではないでしょうか。
    で、扁桃体や視床下部は原初的な恐怖を司る爬虫類脳に含まれ攻撃や逃避をショートカットでもって無意識的に(反射的に)対処し、海馬は短期記憶に関連するようですね。

    『恐怖はなぜ起こるのだろう?どうしてコントロールが難しいのか?ある種の恐怖は、私たちの脳にしっかり刻みこまれている。進化の歴史を遠くさかのぼった昔、人類に危害をおよぼしていたものがかすかな記憶となって残っているのだ。人間の赤ん坊を入念に観察し、また動物を使って実験してみると、特定の刺激におびえることがわかる。その反応は、対象にはじめて遭遇した時に起こるとは限らない。だがはじめて接したときに、気をつけた方がいいと思わせる気配が少しでもあれば、恐怖が深く、しっかりと定着する。(リタ・カーター著、養老孟司監修 脳と心の地形図)』

    『怖さを意識するときにも、知識の「使いまわし」が不可欠である。情動を生みだすのは、大脳辺縁系にあって脅威的な刺激に反応する扁桃だ。扁桃が活発になると信号が送られ、逃げる、あるいは戦うといった対応が準備される。だがあなたが実際に恐怖を感じるのはこの信号の「第二波」が前頭皮質に届いたあとである。扁桃は特定の対象に反応するような遺伝子配列になっていて、まるで構造自体のなかにその対象の表現を持っているようである。霊長類の場合は、もぞもぞはいまわる虫や、高い場所、それにある種の動物に恐怖を感じるようになっていて、「ヘビ+危険」という概念が生まれる前から組み込まれている。しかしその概念が「目覚める」ためには、第二の刺激にさらされなくてはならない。それはほとんどの場合、対象におびえているほかの誰かを見ることである。サルの赤ん坊が生まれてはじめてヘビを見ても、恐怖は覚えない。しかしヘビを見ておびえる母親の姿を見ると、赤ん坊はヘビを怖がるようになる。だがそれは、母親の反応が合図になったという単純なものではない。それを示す独創的な実験がある。花に恐怖を覚えるよう条件づけされた母親を、赤ん坊といっしょにゲージに入れる。そこに、花を入れると、母親はおびえて飛びあがる。しかし、赤ん坊はヘビの時とちがって、怖がるよりむしろ当惑するだけで、花に対する恐怖心は生じないのである。人間の恐怖にはいろいろあるが、鳥や虫、ヘビ、高所といった一般的なものは、誰もが避けたがる自然界の危険と密接に結びついている。だが恐怖症にならない人がほとんどなのは、本能的な知識を理解しておらず、意識的な恐怖がうかびあがってこないからだ。(リタ・カーター著、養老孟司監修 脳と意識の地図形)』

引用返信/返信 削除キー/
■3414 / inTopicNo.54)  Re[26]: 悟りと脳科学
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/02(Thu) 21:32:33)
    レスありがとうございます。

    No3410に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 覚醒した人たちの脳をスキャンすれば、上記と同じようになると思います。動物的な回路が抑えられ、扁桃体の活動が低下し、左脳の過緊張がなくなって両脳のバランスがとれ、戦うか逃げるか反応が完全に無意味になり、などの特性は一般的に覚醒した人に伴うものだからです。脳の状態が変わったからこういった効果が生まれたというより、覚醒した人たちの心身の状態を脳として観測するとそうなるのだと思います。
    > 逆に、脳状態がこのような人たちは覚醒しているかというと、それは必ずしも言えないでしょう。

    全くもって同感です。

    > ただ、もし脳科学などの発展によって上記の脳状態に容易に至れるようなメソッドなどが提供できれば、それは歓迎すべきでしょう。

    そうですね。
    悪用した例としてはオウムが薬を使ってトリップが見性体験であるかのように驚かせ、高学歴の人たちをグルに帰依させてました。
    アイソレーションタンクでも不思議な感覚に陥るようです。

引用返信/返信 削除キー/
■3412 / inTopicNo.55)  Re[26]: 悟りと脳科学
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/02(Thu) 20:26:08)
    おじゃまします。

    「偏桃体」と「海馬」との関係、さらに「大脳皮質」との関係はどう見てますか?
    「悟り」との関係はひとまず横に置いといて。
引用返信/返信 削除キー/
■3410 / inTopicNo.56)  Re[25]: 悟りと脳科学
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/02(Thu) 19:37:25)
    レスありがとうございます。


    > 世界的な脳科学者として知られるジル・ボルト・テイラーという人が脳卒中となり主に左脳に大きなダメージを受け8年のリハリビを経て復活した記録を「奇跡の脳」という本にまとめてます。
    > 驚くべきことに彼女が体験したのは涅槃に近い境地であったとのことでした。

    > これ以外にも脳科学関連書籍に禅宗の高僧の三昧中の脳をスキャンし分析した結果も紹介されています。参考までに以下のようなものです。
    >
    > 瞑想状態の脳は不安を作りだす扁桃体の活動が低下し、視床下部や自律神経系(戦うか逃げるかの判断の源)の働きも鈍るようです。一方、ひとつの対象に注意が固定され前頭前野の活動が活発になり、頭頂野の活動が減ることによって身体地図を担当する領域が静まり身体感覚がなくなる。身体の境界に関する意識が低下することによって自己が外部にも流れ出し周囲のものを組み込んでいき、自分が内側だけでなく外側からもじかに体験しているように感じるとのこと。
    > ラマナ・マハルシ師にせよ、クリシュナムルティにせよ、禅定や瞑想状態、所謂悟りと呼ばれる三昧時に脳がどのような状態になるのかは興味があります。


    覚醒した人たちの脳をスキャンすれば、上記と同じようになると思います。動物的な回路が抑えられ、扁桃体の活動が低下し、左脳の過緊張がなくなって両脳のバランスがとれ、戦うか逃げるか反応が完全に無意味になり、などの特性は一般的に覚醒した人に伴うものだからです。脳の状態が変わったからこういった効果が生まれたというより、覚醒した人たちの心身の状態を脳として観測するとそうなるのだと思います。

    逆に、脳状態がこのような人たちは覚醒しているかというと、それは必ずしも言えないでしょう。

    ただ、もし脳科学などの発展によって上記の脳状態に容易に至れるようなメソッドなどが提供できれば、それは歓迎すべきでしょう。
引用返信/返信 削除キー/
■3399 / inTopicNo.57)  悟りと脳科学
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/02(Thu) 08:15:25)
    レスありがとうございます。

    No3380に返信(knowing itselfさんの記事)

    >>話は変わりますが、例えばknowing itselfさんは(パニチェがそのように考えているということではなくて)「悟りはある変性意識(オルタードステイツ)のいち状態であって、実相を体得する体験ではない。」という考えについてどう思われますか?

    > 悟りを「ある変性意識のいち状態」だけに狭く限定できる根拠がまったくないと思います。悟りが「ある変性意識のいち状態」を超えるものを一切もたない・もちようがないことを論証あるいは体験することは、不可能といっていいのではないでしょうか。
    > 変性意識によって、条件づけの生の苦痛からの一時的な解放体験をすることがあり、それが実相体験を深めるきっかけになることはよくあると思います。変性意識も意味をもちえますが、悟りのきっかけの意識変容が変性意識である必要はないと思います。
    > 変性意識が重要な途中経過になることはあっても、過大評価はできないと思います。生涯ずっと強烈な変性意識が持続することもありえません。変性意識にこだわり、依存することは、条件づけの苦そのものでしょう。

    以下は念のための返信です。
    変性意識(オルタードステイツ)と言っても魔境とか野弧禅のような意識状態という意味ではありませんでした。
    世界的な脳科学者として知られるジル・ボルト・テイラーという人が脳卒中となり主に左脳に大きなダメージを受け8年のリハリビを経て復活した記録を「奇跡の脳」という本にまとめてます。
    驚くべきことに彼女が体験したのは涅槃に近い境地であったとのことでした。

    これ以外にも脳科学関連書籍に禅宗の高僧の三昧中の脳をスキャンし分析した結果も紹介されています。参考までに以下のようなものです。

    瞑想状態の脳は不安を作りだす扁桃体の活動が低下し、視床下部や自律神経系(戦うか逃げるかの判断の源)の働きも鈍るようです。一方、ひとつの対象に注意が固定され前頭前野の活動が活発になり、頭頂野の活動が減ることによって身体地図を担当する領域が静まり身体感覚がなくなる。身体の境界に関する意識が低下することによって自己が外部にも流れ出し周囲のものを組み込んでいき、自分が内側だけでなく外側からもじかに体験しているように感じるとのこと。
    ラマナ・マハルシ師にせよ、クリシュナムルティにせよ、禅定や瞑想状態、所謂悟りと呼ばれる三昧時に脳がどのような状態になるのかは興味があります。

引用返信/返信 削除キー/
■3380 / inTopicNo.58)  Re[23]: 計算と意識
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/01(Wed) 19:14:27)
    レスありがとうございます。

    > 話は変わりますが、例えばknowing itselfさんは(パニチェがそのように考えているということではなくて)「悟りはある変性意識(オルタードステイツ)のいち状態であって、実相を体得する体験ではない。」という考えについてどう思われますか?

    悟りを「ある変性意識のいち状態」だけに狭く限定できる根拠がまったくないと思います。悟りが「ある変性意識のいち状態」を超えるものを一切もたない・もちようがないことを論証あるいは体験することは、不可能といっていいのではないでしょうか。

    変性意識によって、条件づけの生の苦痛からの一時的な解放体験をすることがあり、それが実相体験を深めるきっかけになることはよくあると思います。変性意識も意味をもちえますが、悟りのきっかけの意識変容が変性意識である必要はないと思います。

    変性意識が重要な途中経過になることはあっても、過大評価はできないと思います。生涯ずっと強烈な変性意識が持続することもありえません。変性意識にこだわり、依存することは、条件づけの苦そのものでしょう。
引用返信/返信 削除キー/
■3363 / inTopicNo.59)  Re[22]: 計算と意識
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/01(Wed) 07:41:42)
    こちらこそ、レスありがとうございます。

    No3346に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 全体性そのものを示すとなると、マシン本体しかないのではという理由から、この喩えです。この喩えにはいくらでも批判ができそうですが、自我の思考や分別を「計算」とみなすのは、個人的にはかなり有効だと思います。
    > 自我を殺せ、思いを空っぽにしろ、分別を手放せ、無になれなどと力むより、計算をオフにしよう、リセットして次の機会に計算しよう、今はマシンを休ませよう、の方がやりやすいですね。「計算」が行なわるのもマシンの中であって、マシンの外のどこかで「計算」が行なわれるわけではないですからね。

    同意です。ヘタな公案より有効ですね。^^
    脳は僅かな刺激にも反応してしまう傾向がある(可塑性に支配されている)ので、目覚めている状態で思考や分別を停止することはなかなか難しいですね。

    話は変わりますが、例えばknowing itselfさんは(パニチェがそのように考えているということではなくて)「悟りはある変性意識(オルタードステイツ)のいち状態であって、実相を体得する体験ではない。」という考えについてどう思われますか?

引用返信/返信 削除キー/
■3346 / inTopicNo.60)  Re[21]: 計算と意識
□投稿者/ knowing itself -(2020/06/30(Tue) 20:57:42)
    パニチェさん、返信ありがとうございます。

    > コンピュータの喩えは的確ですね。OSではなくマシンとしての本体が純粋意識ですか。確かにOSだと時空を持ちますね。

    > 私(パニチェ)の現状の課題は電源や計算がオフになった本体が何故<私>であると言えるのか?ということになります。
    > 厄介なのは上記の喩えとは違って<私>がコンピュータ本体のような物質ではなく、非物質的なところですかねぇ〜。

    全体性そのものを示すとなると、マシン本体しかないのではという理由から、この喩えです。この喩えにはいくらでも批判ができそうですが、自我の思考や分別を「計算」とみなすのは、個人的にはかなり有効だと思います。

    自我を殺せ、思いを空っぽにしろ、分別を手放せ、無になれなどと力むより、計算をオフにしよう、リセットして次の機会に計算しよう、今はマシンを休ませよう、の方がやりやすいですね。「計算」が行なわるのもマシンの中であって、マシンの外のどこかで「計算」が行なわれるわけではないですからね。
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -