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■3589 / inTopicNo.37)  言語と「真に現前している経験」
  
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/06(Mon) 05:50:02)
    > 「しかしどうしたわけか我々の言語には、そこに他と比べることのできない何か、すなわち真に現前している経験、があるということがあらわれてはこないのだ。私はそのことに甘んずるべきだと君は言いたいのか。」(おかしいことに、日常生活で日常言語を使っていて何かに甘んじなければならないと我々が感じることはまったくない。)ウィトゲンシュタイン全集6『「個人的経験」および「感覚与件」について P.323』より」

    ヴィトゲンシュタインがここでいう、人間の言語には「真に現前している経験」があるということがあらわれてはこないということ、それにはまったく同意。例えば「いま食べているバナナは甘い」「右の足がすごく痛む」といった言語表現は、真に現前している経験と交わるものをもたない。ほんと持ちようがないと思う。たまたまこの表現が拙いのではなく、天才詩人による絶妙の表現でも同じです。言語は基本的に経験の外にある記号です。
    音楽に没入して聴くとき「真に現前している経験」は聴こえている音楽それ自体でしょう。聴こえている音楽を言葉やイメージなどに置き換えることはできない。これが音楽の特殊性だと思う。そういえば永井均氏もエッセー集の中で、もっとも愛好する趣味としてクラシック音楽鑑賞をあげていたのを思い出しました。ここでカキコした理由によるかは不明ですが。
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■3574 / inTopicNo.38)  Re[38]: ウィトゲンシュタイン
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/05(Sun) 21:51:24)
    No3573に返信(knowing itselfさんの記事)
    >>特にウィトゲンシュタインは言語の限界を示すことで、語れないことを指し示しのが彼の哲学の核心だと思いますし、言葉で解説できないところが(言葉にできるところよりも)重要だと思います。

    > ここですね。まったくそのとおりでしょう。

    まぁ、でも、これは、先に言った通り私のこだわりでしかなく、人それぞれのアプローチや接し方を否定したり、批判するつもりは全くありません。(^^)v
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■3573 / inTopicNo.39)  Re[37]: ウィトゲンシュタイン
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/05(Sun) 21:39:38)
    > 特にウィトゲンシュタインは言語の限界を示すことで、語れないことを指し示しのが彼の哲学の核心だと思いますし、言葉で解説できないところが(言葉にできるところよりも)重要だと思います。

    ここですね。まったくそのとおりでしょう。
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■3572 / inTopicNo.40)  Re[36]: ウィトゲンシュタイン
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/05(Sun) 21:33:11)
    自己レスです。

    > ただ結局は、その哲学者が本当は何を考えていたかを追体験しなければ、その哲学者を選んだ意味はないので、著書以外に手がかりはないと思います。

    ショーペンハウアー、ニーチェ、ウィトゲンシュタイン。彼らの共通点は音楽への強い愛着。 彼ら一流の哲学者に限らず音楽がこれほど人に訴えるのは、心の体験をそのまま追体験できる媒体として音楽に勝るものはほとんどないからではないか。哲学者の原著を原文でどれだけ丁寧にフォローしても、それが果たして哲学者の思索を追体験することになるのだろうか?哲学者の心に起きたことは再現しようがないともいえる。これは小説でも詩でも同じです。ところが音楽の場合は、作曲家の心には、いまここで聴いている曲と構造的には同じ曲が流れていたのでなければスコアを媒介にする意味がない。


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■3571 / inTopicNo.41)  Re[36]: ウィトゲンシュタイン
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/05(Sun) 21:32:02)
    2020/07/05(Sun) 21:36:40 編集(投稿者)

    No3568に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 解説ありがとうございます。

    どういたしまして。

    > 永井均氏が講談社学術文庫から出している「青色本を掘り崩す」がいいのではないかと思っていて、いずれ読むつもりです。

    それ読んでないですね。興味はあります。
    もし読まれたら、感想を聞かせていただければ有難いです。

    > 哲学者は著書を読めというのはまさにそのとおりですが、それだけでは、投入エネルギーと時間の割には幼稚な誤読で終わるという危険性がありますね。生涯をかけてその哲学者を研究してきた人の読みを参考にしないのもったいないですね。ただ結局は、その哲学者が本当は何を考えていたかを追体験しなければ、その哲学者を選んだ意味はないので、著書以外に手がかりはないと思います。

    解説書は利用、活用する手はありますが、あくまでも解説書は解説書でしかなく、哲学者の著書そのものでないことに変わりはないとは思います。本人が出版した著書が少ないことも手伝い、ウィトゲンシュタイン研究は現在も継続中で未だ確定したような読解はないと思います。

    特にウィトゲンシュタインは言語の限界を示すことで、語れないことを指し示したのが彼の哲学の核心だと思いますし、言葉で解説できないところが(言葉にできるところよりも)重要だと思います。

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■3568 / inTopicNo.42)  Re[35]: ウィトゲンシュタイン
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/05(Sun) 20:47:28)
    解説ありがとうございます。

    永井均氏が講談社学術文庫から出している「青色本を掘り崩す」がいいのではないかと思っていて、いずれ読むつもりです。

    哲学者は著書を読めというのはまさにそのとおりですが、それだけでは、投入エネルギーと時間の割には幼稚な誤読で終わるという危険性がありますね。生涯をかけてその哲学者を研究してきた人の読みを参考にしないのもったいないですね。ただ結局は、その哲学者が本当は何を考えていたかを追体験しなければ、その哲学者を選んだ意味はないので、著書以外に手がかりはないと思います。
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■3565 / inTopicNo.43)  Re[34]: ウィトゲンシュタイン
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/05(Sun) 20:11:34)
    2020/07/05(Sun) 20:26:24 編集(投稿者)

    No3556に返信(knowing itselfさんの記事)

    > 解説書のオススメはどれになりますか?
    > いま手元にあるのは、鬼原彰夫氏のですが、まだ完読していません。この本はどのように評価していますか?

    鬼界彰夫著「ウィトゲンシュタインはこう考えた」は、よく言えば一般的、悪く言えば刺激不足の解説書ではないでしょうか。

    解説書でお薦めなのは永井均著「ウィトゲンシュタイン」です。
    お薦めする理由はknowing itselfさんとレス交換した<私>を切り口としているところです。

    永井氏はウィトゲンシュタインの「語り得ないもの」のひとつとして〈私〉に関する独我論(独在論)として解説しており、私(パニチェ)もこの読解を支持します。ウィトゲンシュタインの以下のような記述に興味がおありなら、断然永井均氏をお勧めします。

    「私はこう言おう。「正直なところを言えば、たしかに、私には他の誰にもない何かがあると言わねばならない」、と。──だが、その私とは誰だ。──くそっ。私の言い方はまずいがそこに何かがあるんだ!君だって私の個人的な経験というものがあり、またそれには最も重要な意味での隣人というものがないことを否定すまい。──だが君はそれがたまたま孤独だと言うつもりではないだろう。君の言いたいのはその何かの文法上の位置が隣人のない場所にあるということだろう。「しかしどうしたわけか我々の言語には、そこに他と比べることのできない何か、すなわち真に現前している経験、があるということがあらわれてはこないのだ。私はそのことに甘んずるべきだと君は言いたいのか。」(おかしいことに、日常生活で日常言語を使っていて何かに甘んじなければならないと我々が感じることはまったくない。)ウィトゲンシュタイン全集6『「個人的経験」および「感覚与件」について P.323』より」

    以下はちょい独断っぽいので、スルーしてもらっても結構です。^^

    ただ私には独特のこだわりがあります。
    お気に入りの哲学者の本は解説書から読まずに訳本から読むということにしています。(本当は訳本ではなく原語で読むべきでしょうが。。。)

    解説書は著書の色眼鏡を通したものであって、どうしても先入観となってしまうからです。
    「論理哲学論考」は数学者出身らしく、箇条書きで、それぞれの文章の頭に大項目、中項目、小項目が分かるように小数点表示してあり、とてもユニークです。
    「哲学探究」も順序立てて論理展開しています。下手な解説書より訳本を読む方がはるかに刺激的で面白いです。

    映画解説を読んで映画を観た気になる人は少ないと思うのですが、何故か哲学書は訳本を読まずに解説書だけ読んで読んだつもりになっている人が多いのは残念なところではあります。

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■3556 / inTopicNo.44)  Re[33]: ウィトゲンシュタイン
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/05(Sun) 19:11:54)
    解説書のオススメはどれになりますか?

    いま手元にあるのは、鬼原彰夫氏のですが、まだ完読していません。この本はどのように評価していますか?
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■3549 / inTopicNo.45)  ウィトゲンシュタイン
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/05(Sun) 17:22:47)
    No3544に返信(knowing itselfさんの記事)

    >>knowing itselfさんはウィトゲンシュタインは読まれてますか?

    > ちゃんと読んだことはないですが、時間があるならこれから読み込んでみようかなと思っています。ヴィトゲンシュタインは読むときは徹底していて、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は最低50回は精読したとか言っています。

    カント、ショーペンハウアー、ワーグナーと当初は傾倒していたにもかかわらず掌返しで批判に転じるのが常であったニーチェが珍しく生涯を通して尊敬していた数少ない一人がドフトエフスキーです。

    『ドフトエフスキーこそ、私が何ものかを学びえた唯一の心理学者である。すなわち、彼は、スタンダールを発見したときにすらはるかにまさって、私の生涯の最も美しい幸運に属する。浅薄なドイツ人を軽蔑する権利を十倍もっていたこの深い人間は、彼が長いことその仲間として暮らしたシベリアの囚人たち、もはや社会へ復帰する道のない真の重犯罪者たちを、彼自身が予期してのとはきわめて異なって感じとった(偶像の黄昏 或る反時代的人間の遊撃45)』

    ウィトゲンシュタインは独我論とか<私>と隣接する数少ない哲学者であったことから一時、読み漁りましたが、ニーチェ以上に難解です(笑)。

    訳本は大修館書店ウィトゲンシュタイン全集の「1巻.論理哲学論考」「6巻.青色本・茶色本」「8巻.哲学探究」「9巻.確実性の問題・断片」、後に出版された講談社「ウィトゲンシュタイン宗教哲学日記」を、解説書は永井均著「ウィトゲンシュタイン入門」、AC・グレーリング著岩坂彰訳「ウィトゲンシュタイン」、鬼界彰夫著「ウィトゲンシュタインはこう考えた」、入不二基義著「ウィトゲンシュタイン」、黒崎宏著「ウィトゲンシュタインから龍樹へ 私論『中論』」、講談社「『語りえぬもの』からの問いかけ」を読みました。

    もし読まれる機会があれば、いろいろとレス交換できれば有難いです。私も再度読み直してみます。

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■3547 / inTopicNo.46)  Re[33]: 弁証法とソナタ形式
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/05(Sun) 16:25:23)
    カントとそれを受けたヘーゲルの関係は、古代ギリシアにおけるプラトンとアリストテレスの関係を再現反復したようなところがあると言われますが、同意です。
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■3546 / inTopicNo.47)  弁証法とソナタ形式
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/05(Sun) 16:21:48)
    個人的にはヘーゲリアンでもなんでもないないですが、やはりヘーゲルは凄いと思います。世界中の大図書館のあらゆるジャンルの書物に書き込まれている全内容も、哲学的な真理言説としてはヘーゲルを超えていないのかもしれない。そのヘーゲル哲学の核心が弁証法として、クラシック音楽における重要な形式であるソナタ形式と弁証法の類似性・同内容性は、学者や評論家によって指摘されることがあります。ヘーゲルとベートーベンは同年生まれですしね。


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■3544 / inTopicNo.48)  Re[31]: 総合者
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/05(Sun) 15:31:45)
    > バートランド・ラッセルの「数学の諸原理」を読んだ頃に、ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』をはじめとした彼の書籍数冊読了した。ウィトゲンシュタインが読んだ哲学書はこれだけ(参考:A・C・グレーリング著「ウィトゲンシュタイン」
    > 哲学書をほとんど読んでいないことが誰の影響も受けずほぼオリジナルの哲学とも言える前期「論理哲学論考」と後期「哲学探究」を残せたのだと思います。
    > 『意志と表象としての世界』に感銘を受けたのはニーチェと共通しており、二人とも全く異なるジャンルの哲学であるにもかかわらず東洋哲学との共通点があるところが面白いです。
    >
    > knowing itselfさんはウィトゲンシュタインは読まれてますか?

    ちゃんと読んだことはないですが、時間があるならこれから読み込んでみようかなと思っています。ヴィトゲンシュタインは読むときは徹底していて、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は最低50回は精読したとか言っています。
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