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■4021 / inTopicNo.25)  Re[46]: カント哲学について
  
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/15(Wed) 09:33:28)
    カントには自由教のようなところがある。ご本尊は唯一自由みたいな。もっともご本尊といっちゃマズい。ご本尊だと時間と空間で把捉できる現象になりかねないし、物自体として対象化することは不可能だというのがカントだ。自由は徹底的に不可視なもので、道徳法則を通じて辛うじてつながるだけ。

    すべての人間が厳格な道徳法則一本やりで、しかも死んだら終わりの一回だけの人生、それじゃ最高善の実現は不可能だ。神と霊魂の不滅がそこで必然的に要請されるということか。これはわからないけど受け入れる、信じましょうというのとは違う。
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■3918 / inTopicNo.26)  Re[45]: カント哲学について
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/13(Mon) 17:24:46)
    現代なら道徳の根拠をDNAに求めることは珍しくないが、カント哲学からはありえないかな?DNAによる解読・説明がどれだけ進んでも、それは因果律があてはまる現象の領域。カントにおける道徳律は、その遵守が直接、端的に物自体の領域への帰属となるものだからだ。
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■3888 / inTopicNo.27)  カント哲学について
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/12(Sun) 17:22:52)
    @眠りから目覚めて、客観的なる現実宇宙に対峙して個人が生きている状態。

    A眠っているが夢をみている状態。

    B完全熟睡状態。

    カントが想定していたイギリス的な経験主義や現代の科学中心主義は@重視か?

    認識論的主観主義へコペルニクス的転回をしたカントは@中心主義ではないと思う。

    「純粋理性批判」で扱っているのはAを基点にした@の領域、

    叡智界や物自体はBだと思う。

    カントは言語思考で悪戦苦闘しているが、つかんでいた真理は実はこのモデルをあてはめると上手く説明できるのではないか。
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■3717 / inTopicNo.28)  Re[12]: 科学と哲学
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/09(Thu) 16:06:02)
    > サイエンス(科学)と、哲学者研究などの人文系学問。この二つはまったく違うようでいて、大きな共通点もある。
    >
    > それは原テキストに内在する設計意図の徹底的な探求かなと思う。
    >
    > 科学の場合は、原テキストというのは自然のことです。設計意図というのは自然に内在する法則でしょう。哲学者研究では、テキストを残した哲学者の真の意図、その哲学者は本当のところ何を考えていたのかという探求。

    もう一つ、クラシック音楽もここに加えることができる。
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■3709 / inTopicNo.29)  Re[43]: 言語空間
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/09(Thu) 12:59:38)
    こんにちは

    >>例えば体験談がパソコンについてのディープな話題に触れるような場合、こちらに対応するものがないと伝わらない部分が多いでしょう。パソコンの理解力は人によってピンからキリです。確かに言語空間内に位置を占めているので、その位置について語っていることは伝わります。ボックスの所在地ですね。しかしそのボックスの内部がどこまで伝わるかとなると、ブラックボックスたらざるをえないところが必ず出てくると思います。
    >>パソコンに限らないですね。ほとんどの話題はそういうものではないですか。
    >
    >>「ハチ公前」で会うことが自然であるような人間関係や生活環境、居住場所が特定されていれば伝わるでしょう。日本語や日本の地理に疎い外国人には伝わらないかもしれない。日本人相手でも、脅しや悪ふざけのメールとわかる場合もある。
    >
    >>やはり、言語記号そのものだけの単独伝達力というより、受け手からのブラックボックスの開け方が伝わり方を決めるのかなと思います。ハチ公の事例の場合はボックスの中が比較的わかりやすいので、実際には瞬時に伝わると思いますが。
    >
    > ありがとうございます。よく分かりました。
    > 上記はウィトゲンシュタインを読まれる前にknowing itselfさんの考えとして述べられてるんですよね?
    >
    > というのも上記はまさにウィトゲンシュタインが後期の主題とした言語ゲーム的な話です。

    ヴィトゲンシュタインの著作も解説書もきちんと読んだことはありませんが、現代に生きていれば言語ゲーム論のさわり程度のことは、当然耳に入っています。それとは別に自分で言語の本質を考えてきた結論が、上記のカキコミです。どこかでつながっているところはあるかもしれません。

    > ウィトゲンシュタインかく語りき「意味を明らかにすることは言語の主要な機能ではない。意味というのは、生のさまざまな企図を背負う言語外のコンテクストに属するものだからである。」
    >
    > 言葉の意味は文化や日常生活、シチュエーションなどを含めたコンテクスト上に発生し、その言葉を使うことによって意味内容も変わり、流動的なものである。
    >
    > get953さん(Yahoo!掲示板時代の友人です)とウィトゲンシュタインの読書会をした時に、うまい例えをしていました。
    >
    > 「私はキツネ!」
    >
    > 上記はうどん屋の店内とか、電話で注文している時にメニューを聞かれての答えというコンテクストがあれば通じるみたないな話です。

    その例え、よくわかります。

    「私はコロナ」。一年前であればどうということもこの記号が現在であれば、世界中あらゆる言語においてほとんど全員の間で、置かれるコンテクストに応じて、重く複雑な意味を伝えてしまう。一年前との対比、戦慄を覚えます。言語の本質を垣間見るようです。
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■3671 / inTopicNo.30)  Re[42]: 言語空間
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/08(Wed) 17:24:11)
    こんにちは。

    No3669に返信(knowing itselfさんの記事)

    > 例えば体験談がパソコンについてのディープな話題に触れるような場合、こちらに対応するものがないと伝わらない部分が多いでしょう。パソコンの理解力は人によってピンからキリです。確かに言語空間内に位置を占めているので、その位置について語っていることは伝わります。ボックスの所在地ですね。しかしそのボックスの内部がどこまで伝わるかとなると、ブラックボックスたらざるをえないところが必ず出てくると思います。
    > パソコンに限らないですね。ほとんどの話題はそういうものではないですか。

    > 「ハチ公前」で会うことが自然であるような人間関係や生活環境、居住場所が特定されていれば伝わるでしょう。日本語や日本の地理に疎い外国人には伝わらないかもしれない。日本人相手でも、脅しや悪ふざけのメールとわかる場合もある。

    > やはり、言語記号そのものだけの単独伝達力というより、受け手からのブラックボックスの開け方が伝わり方を決めるのかなと思います。ハチ公の事例の場合はボックスの中が比較的わかりやすいので、実際には瞬時に伝わると思いますが。

    ありがとうございます。よく分かりました。
    上記はウィトゲンシュタインを読まれる前にknowing itselfさんの考えとして述べられてるんですよね?

    というのも上記はまさにウィトゲンシュタインが後期の主題とした言語ゲーム的な話です。

    ウィトゲンシュタインかく語りき「意味を明らかにすることは言語の主要な機能ではない。意味というのは、生のさまざまな企図を背負う言語外のコンテクストに属するものだからである。」

    言葉の意味は文化や日常生活、シチュエーションなどを含めたコンテクスト上に発生し、その言葉を使うことによって意味内容も変わり、流動的なものである。

    get953さん(Yahoo!掲示板時代の友人です)とウィトゲンシュタインの読書会をした時に、うまい例えをしていました。

    「私はキツネ!」

    上記はうどん屋の店内とか、電話で注文している時にメニューを聞かれての答えというコンテクストがあれば通じるみたないな話です。
引用返信/返信 削除キー/
■3669 / inTopicNo.31)  Re[41]: 言語空間
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/08(Wed) 17:03:56)
    こんにちは。

    > 例えば相手の体験談を聞く場合、その時々の感情など私秘性に関するものは正確には伝わりませんが、言語空間内(間主観的な時空間内)のことであれば伝わると考えていますが、knowing itselfさんはこれ以外にも伝わることと、伝わらないことがあるとお考えでしょうか?

    例えば体験談がパソコンについてのディープな話題に触れるような場合、こちらに対応するものがないと伝わらない部分が多いでしょう。パソコンの理解力は人によってピンからキリです。確かに言語空間内に位置を占めているので、その位置について語っていることは伝わります。ボックスの所在地ですね。しかしそのボックスの内部がどこまで伝わるかとなると、ブラックボックスたらざるをえないところが必ず出てくると思います。
    パソコンに限らないですね。ほとんどの話題はそういうものではないですか。


    >>話者の言語記号そのものの力で相手に内容を伝えているというのは、厳密にいえば正しくないと思います。話者と聞き手の人間関係、共有する空間的地理的状況などから、聞き手の方で、言語記号から自分の行動ターゲットを引き出したと理解すべきだと思います。
    >
    > 「右向け右」とか「1時間後にハチ公前で待ってて迎えに行くから」、「あれ見て!」の具体的にはどのような内容が伝わらない、あるいは伝わるためには、どのような人間関係や共有する空間的地理的状況が必要と考えておられますか?
    > 上記の「ハチ公前」は二人の間で共通していないと伝わらないとは思いますが。。。

    「ハチ公前」で会うことが自然であるような人間関係や生活環境、居住場所が特定されていれば伝わるでしょう。日本語や日本の地理に疎い外国人には伝わらないかもしれない。日本人相手でも、脅しや悪ふざけのメールとわかる場合もある。

    やはり、言語記号そのものだけの単独伝達力というより、受け手からのブラックボックスの開け方が伝わり方を決めるのかなと思います。ハチ公の事例の場合はボックスの中が比較的わかりやすいので、実際には瞬時に伝わると思いますが。
引用返信/返信 削除キー/
■3650 / inTopicNo.32)  Re[40]: 言語空間
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/08(Wed) 08:39:26)
    2020/07/08(Wed) 08:45:13 編集(管理者)

    おはようございます。

    No3634に返信(knowing itselfさんの記事)

    > >>他者の私秘性が私の認識の地平の彼方であることはもちろんですが、もっと一般的普遍的な思考内容などであっても、言語記号に他者が盛り込んだ内容は私の認識の外にあらざるをえないのではないかと思っています。私の方から他者の発した言語記号に、想像や常識などで内容を盛り込まなければ、私の内に入ってこない。

    >>ここもう少し詳しくお願いします。思考内容とは具体的にはどのようなものでしょうか。

    > 概念が伴う精神内容ですね。赤い・痛いのような感覚体験それ自体の伝達より抽象性のある話を聞いたり、文字情報を受け取る場合、ほとんどがそうだと思います。人の体験談を聞くことなど。

    例えば相手の体験談を聞く場合、その時々の感情など私秘性に関するものは正確には伝わりませんが、言語空間内(間主観的な時空間内)のことであれば伝わると考えていますが、knowing itselfさんはこれ以外にも伝わることと、伝わらないことがあるとお考えでしょうか?

    >>以下は全く論点が違うのかもしれませんが。。。
    >>例えば「右向け右」とか「1時間後にハチ公前で待ってて迎えに行くから」、「あれ見て!」という言葉は話者の盛り込んだ内容は相手に伝わり、指示通りのことができると思うのです。

    > 話者の言語記号そのものの力で相手に内容を伝えているというのは、厳密にいえば正しくないと思います。話者と聞き手の人間関係、共有する空間的地理的状況などから、聞き手の方で、言語記号から自分の行動ターゲットを引き出したと理解すべきだと思います。

    「右向け右」とか「1時間後にハチ公前で待ってて迎えに行くから」、「あれ見て!」の具体的にはどのような内容が伝わらない、あるいは伝わるためには、どのような人間関係や共有する空間的地理的状況が必要と考えておられますか?
    上記の「ハチ公前」は二人の間で共通していないと伝わらないとは思いますが。。。

    それともknowing itselfさんさが述べているのは、認識プロセスと同じように相手の言葉を聞いて、自分の記憶(知識も含)と照合させることによって、相手の言葉を自分なりに再構成することによって意味をくみ取っているというようなことでしょうか?

引用返信/返信 削除キー/
■3634 / inTopicNo.33)  Re[39]: 言語空間
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/07(Tue) 19:35:42)
    こんばんは。

    >>他者の私秘性が私の認識の地平の彼方であることはもちろんですが、もっと一般的普遍的な思考内容などであっても、言語記号に他者が盛り込んだ内容は私の認識の外にあらざるをえないのではないかと思っています。私の方から他者の発した言語記号に、想像や常識などで内容を盛り込まなければ、私の内に入ってこない。
    >
    > ここもう少し詳しくお願いします。思考内容とは具体的にはどのようなものでしょうか。

    概念が伴う精神内容ですね。赤い・痛いのような感覚体験それ自体の伝達より抽象性のある話を聞いたり、文字情報を受け取る場合、ほとんどがそうだと思います。人の体験談を聞くことなど。

    > 以下は全く論点が違うのかもしれませんが。。。
    > 例えば「右向け右」とか「1時間後にハチ公前で待ってて迎えに行くから」、「あれ見て!」という言葉は話者の盛り込んだ内容は相手に伝わり、指示通りのことができると思うのです。

    話者の言語記号そのものの力で相手に内容を伝えているというのは、厳密にいえば正しくないと思います。話者と聞き手の人間関係、共有する空間的地理的状況などから、聞き手の方で、言語記号から自分の行動ターゲットを引き出したと理解すべきだと思います。


    > 言語と間主観的な事物や出来事(時空内)が対応関係(ウィトゲンシュタイン的には前期の写像理論)にある事柄については意味や意図などが相手に伝わり、痛みや<私>は言語空間の外にあるため言語では伝わらない。

    同意です。
引用返信/返信 削除キー/
■3621 / inTopicNo.34)  Re[38]: 言語空間
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/07(Tue) 07:57:52)
    2020/07/07(Tue) 15:38:12 編集(投稿者)

    おはようございます。

    No3608に返信(knowing itselfさんの記事)

    >>言葉に感覚は乗せることはできないが、同様の感覚があるであろうことは、親は自分の経験上分かるので「痛い」を表現することができる。でも、子供はひょっとすると「痛痒くて」泣いているのかもしれない。他者の私秘性は私の認識の地平の彼方である。

    > 他者の私秘性が私の認識の地平の彼方であることはもちろんですが、もっと一般的普遍的な思考内容などであっても、言語記号に他者が盛り込んだ内容は私の認識の外にあらざるをえないのではないかと思っています。私の方から他者の発した言語記号に、想像や常識などで内容を盛り込まなければ、私の内に入ってこない。

    ここもう少し詳しくお願いします。思考内容とは具体的にはどのようなものでしょうか。

    以下は全く論点が違うのかもしれませんが。。。
    例えば「右向け右」とか「1時間後にハチ公前で待ってて迎えに行くから」、「あれ見て!」という言葉は話者の盛り込んだ内容は相手に伝わり、指示通りのことができると思うのです。

    言語と間主観的な事物や出来事(時空内)が対応関係(ウィトゲンシュタイン的には前期の写像理論)にある事柄については意味や意図などが相手に伝わり、痛みや<私>は言語空間の外にあるため言語では伝わらない。

    > この点、絵画や音楽などは言語記号を媒介しませんね。音楽のスコアもスコア自体に意味があるのではなく、作曲家に真に現前している直接体験を聴取と共有するためですね。

    同意です。

引用返信/返信 削除キー/
■3608 / inTopicNo.35)  Re[37]: 言語と「真に現前している経験」
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/06(Mon) 20:09:41)
    こんばんは。

    > 言葉に感覚は乗せることはできないが、同様の感覚があるであろうことは、親は自分の経験上分かるので「痛い」を表現することができる。でも、子供はひょっとすると「痛痒くて」泣いているのかもしれない。他者の私秘性は私の認識の地平の彼方である。

    他者の私秘性が私の認識の地平の彼方であることはもちろんですが、もっと一般的普遍的な思考内容などであっても、言語記号に他者が盛り込んだ内容は私の認識の外にあらざるをえないのではないかと思っています。私の方から他者の発した言語記号に、想像や常識などで内容を盛り込まなければ、私の内に入ってこない。

    この点、絵画や音楽などは言語記号を媒介しませんね。音楽のスコアもスコア自体に意味があるのではなく、作曲家に真に現前している直接体験を聴取と共有するためですね。
引用返信/返信 削除キー/
■3592 / inTopicNo.36)  Re[36]: 言語と「真に現前している経験」
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/06(Mon) 08:25:10)
    おはようございます。

    No3589に返信(knowing itselfさんの記事)
    >>「しかしどうしたわけか我々の言語には、そこに他と比べることのできない何か、すなわち真に現前している経験、があるということがあらわれてはこないのだ。私はそのことに甘んずるべきだと君は言いたいのか。」(おかしいことに、日常生活で日常言語を使っていて何かに甘んじなければならないと我々が感じることはまったくない。)ウィトゲンシュタイン全集6『「個人的経験」および「感覚与件」について P.323』より」

    > ヴィトゲンシュタインがここでいう、人間の言語には「真に現前している経験」があるということがあらわれてはこないということ、それにはまったく同意。例えば「いま食べているバナナは甘い」「右の足がすごく痛む」といった言語表現は、真に現前している経験と交わるものをもたない。ほんと持ちようがないと思う。たまたまこの表現が拙いのではなく、天才詩人による絶妙の表現でも同じです。言語は基本的に経験の外にある記号です。

    同意です。ウィトゲンシュタインも痛みや感覚に対する言語をテーマとして論じます。後期哲学の「探究」で、私的言語は主たるテーマのひとつでもあり、これについての見解は現在も定まってないですね。

    無痛症の子供がいたとすれば「痛い」を理解できない。「痛い」を学習するのは、子供が道路でこけて不快な感覚(痛み)で泣いている時に、親が「痛いね」と話しかけることによって痛みの感覚を学ぶ。

    言葉に感覚は乗せることはできないが、同様の感覚があるであろうことは、親は自分の経験上分かるので「痛い」を表現することができる。でも、子供はひょっとすると「痛痒くて」泣いているのかもしれない。他者の私秘性は私の認識の地平の彼方である。

    > 音楽に没入して聴くとき「真に現前している経験」は聴こえている音楽それ自体でしょう。聴こえている音楽を言葉やイメージなどに置き換えることはできない。これが音楽の特殊性だと思う。そういえば永井均氏もエッセー集の中で、もっとも愛好する趣味としてクラシック音楽鑑賞をあげていたのを思い出しました。ここでカキコした理由によるかは不明です。

    考えてみれば楽譜は言語より伝わりますね。
    楽譜の指示に従えば同じ体験を再現することができます。

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