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■1531 / inTopicNo.1)  純粋理性批判を読んでみる。2
  
□投稿者/ パニチェ -(2019/07/18(Thu) 06:41:20)
    トピ主:pipitさん

    101まで投稿できますがパート2を設置しておきます。
    引き続きよろしくお願いします
引用返信/返信 削除キー/
■1538 / inTopicNo.2)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/07/18(Thu) 23:05:52)
    No1

    こんばんは、ありがとうございます

    カント初心者ですが、いろいろな方にpipitの間違い等をご指摘いただきながら
    勉強していけたらいいな、と思います。

    引用等を続けますが、もちろん読む読まない、返信するしない等はパニチェさんの全くのご自由にされてくださいませ。

    それで、、、今の段階で私が思ってることがあって、それを書いたら、
    この先の話題の見通しが少しでもよくなるかな?と思ってることを
    書きますね。
    関連して、先にご質問いただいている内容のひとつにも触れてみるつもり
    してます。


    今の段階で思っている『純粋理性批判』の構成のイメージ(勘違いしてたらすみません)↓

    カントは人間が形而上学を欲するのは、心の本能みたいなもの、としています。
    ただ、形而上学は、例えば数学などのように、学として耐えれるような、確実さが全く確立されてない。
    みんながそれぞれ好き勝手なこといっているだけだ、と。

    学としての形而上学を誕生させるために、まず、学の土台となるものを
    明晰にする目的で書かれたのが『純粋理性批判』だと、今の私は思っています。

    それで、どのような学を作るにしても、私たちの認識の上で学はなりたちますよね。
    カントはまず、
    @私たち人間の認識の原理を考査し、
    A次にその人間の認識の原理内で確実な『知』をどのように築くか、
    の二部構成で『純粋理性批判』を記した、と私は思っています。
    (まだ本文はほとんど目を通せてなくて、微々たる読んだ本文&解説書等からそのように考えています。)


    @は、『T・超越論的原理論』
    Aは、『U・超越論的方法論』
    と名づけられている箇所です。

    @の認識の『原理論』ですが、pipitはこの論を、
    【 脳みその働き・論 】
    って考えたら、すごく理解しやすいんちゃうかな、って今考えています。

    『原理論』は〈感性論〉と〈論理学〉の二部構成なのですが、
    『脳みその働き論』〈右脳論〉と〈左脳論〉
    ってイメージしたら、全体構成が把握しやすくなるんじゃないか、と。

    (脳科学も知見は常に変化してるのでしょうけど、厳密にではなく、捉えるためのイメージとして、です
    ちなみにコトバンクでは、
    右脳:視空間性、非言語性の情報処理を行うと考えられている。左脳に比して直感的で全体把握に優れている。
    左脳:言語・文字などの情報の処理を行なっていると考えられている。右脳に比して論理的で分析的処理に優れている。)


    『原理論』のもう少し詳しい小見出しを、〈イメージ〉とともに書きます。
    (見やすくするため超越論的という言葉を省いています)

    T・原理論〈私たちの認識をつくる脳みその働き〉

    第一部門・感性論〈右脳〉・・・空間について/時間について

    第二部門・論理学〈左脳〉・・・分析論/弁証論


    です。

    そしてカントの自我論ですが、『自我論』という言葉で記されているのではなく、
    『超越論的統覚』という概念で
    第二部門・論理学〈左脳〉の分析論内に記されています。

    で、なぜ、このことを書いたかというと、
    パニチェさんから受けた質問にでてくる、カントの文章の内で、
    感性論〈右脳〉にでてくる文章のものもあって、
    説明するときにいろいろ分別しやすくなるかな、と、
    今の自分の中にあるイメージを書き込みしました。
    (いろいろ勘違いしていたらすみません)


    というわけで、書き込み予定の順番を変更して、
    明日以降に、感性論にでてくる文章についてのご質問への返信に
    チャレンジしてみますね。

    もちろん、読むのスルーするのも、どうぞ自由に決めてくださいね

    おつかれさまです




引用返信/返信 削除キー/
■1539 / inTopicNo.3)  引用番号まちがえた〜
□投稿者/ pipit -(2019/07/18(Thu) 23:10:36)
    No1531
    としなくちゃいけなかったのですね

    うっかりものです 汗 
引用返信/返信 削除キー/
■1540 / inTopicNo.4)  自分とかへ
□投稿者/ pipit -(2019/07/18(Thu) 23:36:42)
    ちょっとひといき

    カントは従来の形而上学を愛する人からは嫌われてることも多そうですよね 汗

    すごくつまらない範囲になっちゃうじゃないか、って。

    さっきの書き込みするために初めて目を通した、方法論の最初の文章が
    私には興味深かったです。

    引用します。
    超越論的な方法論・序(カントの文章です)

    『ここで思索に基づく純粋な理性の認識の全体を、一つの建造物のように考えてみよう。(略)
    そこで明らかになったのは、わたしたちは当初は天にとどくほどの塔を建造するつもりだったのが、
    手持ちの材料を検討してみると、やっと一軒分の住宅が建てられるほどの材料しかなかったことである。
    しかしこの住宅は、経験という平野でわたしたちが仕事をするには十分な広さがあり、
    この平野を見渡すにも適切な高さであることが、明らかになったのである。
    しかも[天にまでとどくほどの塔を建造するという]あの無謀な企ては、
    言語の混乱が起きていなかったとしても、材料不足のために失敗に終わらざるをえなかったのである。
    かつては言語の混乱のために人々は建物の設計について分裂せざるをえなかったのであり、彼らは地のすべての場所に散らばって、それぞれの自分たちの計画によって建築を進めざるをえなかったのだった。

     しかし今ここで問題にしているのは材料ではなく設計であって、わたしたちは自分のもてるすべての能力を超えるような恣意的で、盲目的な計画を立ててはならないことを警告されているのである。
    しかしそれだからといってわたしたちは、堅固な住宅を建築するという計画まで放棄することはできない。
    わたしたちがなすべきことは、自分たちに与えられていて、しかもわたしたちの必要を満たすことができる材料を使って、建物を建築することなのである。

    (略)』
    『純粋理性批判7』カント/中山元訳、p13.14より引用


引用返信/返信 削除キー/
■1541 / inTopicNo.5)  人間の認識
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/07/19(Fri) 01:06:59)
    これが難しいところで「認識」というのは「知覚」を言語で再構成した言語構成物
    ではないかと考えてます。

    そうすると時間と空間も物自体からの知覚による言語構成物。

    認識を人間の内部だけで考えるのは無理があります。

    環境と知覚と言語構成をセットにしたものが認識。

    夢のように記憶と言語構成だけだと環境情報が抜け落ちるので現実と夢は違ってきます。音や皮膚の環境情報はあるので主に視覚情報が抜け落ちるというべきかも。

    時間と空間を言語構成物とすると数学も言語構成物の一種なので数学が
    時間と空間を説明できるわけです。

    人間の認識能力についてカントが語ったことはすべて言語構成物として
    我々に理解されます。この点でカントは言語構成物から一歩も出ていません。

    環境と知覚と言語構成物のセットが認識なのに環境と知覚を切り離した言語構成物のみを認識と考えたのがカントの誤りと思ってます。
引用返信/返信 削除キー/
■1542 / inTopicNo.6)  無縁さんへ
□投稿者/ pipit -(2019/07/19(Fri) 23:41:05)
    >>1541

    無縁せんぱい、降臨 〜

    うれしいです、書き込みありがとうございます !

    >これが難しいところで「認識」というのは「知覚」を言語で再構成した言語構成物
    ではないかと考えてます。<

    カントは、

    物自体から(ある意味環境?)→

    →人間が触発され(物自体に人間が影響されてる?)→

    →人間の感性能力により人間にとっての対象が表象され(知覚の原因?)→

    →人間の思考能力により人間にとっての対象が意味づけされ(言語構成『化合』物?)→

    →客観的妥当性をもつ認識となりえる。

    と言っているのではないか、と私は今のところ思っていて、だから、

    無縁さんの、
    >環境と知覚と言語構成をセットにしたものが認識。<

    とそんなに隔たりを私は感じないのですが、どうなのかなぁ。


    それか、私が無縁さんの意見を全然理解できてないのかもしれませんね(すみません)


    アプリオリな総合認識がいかにして可能か、という問いが、
    人間の内部だけ、という印象になるのかなぁ

    数学も言語構成物、って、
    ちょうど、漫画の『はじめアルゴリズム6』に(数の体系、数学の土台、土台を安定させるための数の定義としての集合などについて)の台詞の場面があって、私は数学に暗いけど、なんか数学も言語構成物ってこんなかんじのことなのかなぁと思いながら、今日その場面をもう一回読んでました。

    いろんなこと、おもしろいですね

    まんがでは、魚の1、と、肉の1、の共通の「1」に気づいてびっくりしてる原始人を小学校六年生の主人公が楽しそうに想像してました。

    またいろいろ勉強していけたらいいなと思っています

    テーマに限定されず、無縁さんの好き勝手にかきこんでくださいね!


    お疲れ様で〜す


引用返信/返信 削除キー/
■1551 / inTopicNo.7)  エフニさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/07/20(Sat) 18:00:13)
    ただいまです〜

    旧純理とぴ、101まで埋めてしまいましたね〜

    というわけで、こちらで返信
    >>1549


    わたしですね、まだカントの論も、論に対する反論も全然未勉強なんですが、
    7+5=12、がアプリオリな総合判断と言い得る可能性のかけらにならないかな、って思うもの、

    昨日、まんがで読んだんです。

    セリフ引用します。
    『たとえばある集合から何かを除いたり付け足したりした時の「変化」を認識する感覚ならば、人間以外では一部の魚や鳥には確認されているらしい。
    「数感覚」と呼ばれている。

    (略)

    しかし人間だからといってその感覚がずば抜けて高いわけじゃない
    知識によらず人間が認識できる数というのは
    視覚的には「4」以上は難しいと言われている。
    ※触覚的にはもっと少ないらしい

    (略)

    数学のない世界を仮定した場合我々の認識はせいぜい「1」「2」「3」「たくさん」
    我々も実は鳥とそう変わらんのかもしれんのだよな

    そんな感覚から数学に・・・?

    「変化」を認識する感覚・・・


    『はじめアルゴリズム6』三原和人 講談社 p98.99よりセリフ引用

    カントは、数学の場合、総合を助けているのはたしか「直観」ですよね。

    1に1を足す、時間が関わる(直観は時間形式のもと現れるしかないから)、5、に 1ずつ 直観のヘルプを使って、概念が変わる !!! 


    なんてこと、今妄想しましたけど、

    全然勉強できてないから。。。
    とんちんかんなことほざいているのかもしれませんね

    ラッセル、ウィトゲンシュタインがきちんと反論証明しているのですね
    いつか内容を理解できたらいいな!


    遠い〜〜〜

    エフニさんのおかげで、いろんな知識や考え方など、とても助かってます

    ありがとうございます^^
引用返信/返信 削除キー/
■1553 / inTopicNo.8)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/07/20(Sat) 19:43:54)
    こんばんは

    >>1491

    今の段階での私見です。勉強したら変わるかもです。

    内容空虚は、言葉にできないという意味で空虚なのではなく、直接対応する直観が空虚、という意味だと思っています。

    パニチェさんは、パーリ経典のバーヒヤというお経をご存知ですか?

    『実に、バーヒヤよ。おまえはこのように学ばなければならない。見られたものにおいて、見られただけのものがあるだろう。聞かれたものにおいて、聞かれただけのものがあるだろう。考えられたものにおいて、考えられただけのものがあるだろう。識別されたものにおいて、識別されただけのものがあるだろう。
     バーヒヤよ、それ故に、おまえはそこにいない、なぜなら、バーヒヤよ、おまえは、まさにここにいないのだから。』

    という文言がでてくるお経です。
    (石飛道子先生のサイト、マニカナ・ホームページの、心にしみる原始仏典より引用させていただきました。)

    上記は、悟りを求める人用の見方だと思いますが、一般人は普通、ぜんぶを「私の経験」としてまるめますよね。

    そのまるめる機能が、カントのいう超越論的統覚と近い概念なんじゃないかな、と今のところ考えています。
    でも、上記のように、まるめるものに直接対応する直観はない。
    直観できる対象というよりは、ある主の論理的機能ってかんじかなと思っています。
    この機能により、私の認識として体系化(?)できる。
    認識体系の頂点になるかんじかな、違ってたらすみません、勉強つづけるつもりです。


    この超越論的統覚や、自我論の問題を発すると同時に対象のすり替えが生じるという考え方から、根源的実在を主張する方向へ転じてる哲学者たちもいるようですが、中島義道先生はそれはカント解釈として誤りだ、と主張されているようです。


    このコメントを書くにあたり、手元に中島義道先生の『カントの読み方』をおきました。
    私のコメントと関連する箇所引用してみて、という所があればおっしゃってください。
    引用してみようと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■1554 / inTopicNo.9)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/07/20(Sat) 19:57:05)
    >>1498


    この文章は、感性論にでてくるところで、感性の働きを考査しているところです。


    誤解してたらすみませんが、
    もし、何もかんがえていない人が「無為の真人」、
    何もかんがえていない時の経験が「純粋経験」
    だとすると、

    考えていなくても、その人にとっての経験は空間にあらわれて、経験をとりのぞいても「空間という像」だけ残る、という思考実験をしている箇所だと思っています。

    かなり独断的で恣意的に思える記述かもしれませんね^^;
     
引用返信/返信 削除キー/
■1555 / inTopicNo.10)  Re[9]: パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/07/20(Sat) 20:05:16)
    >>1554

    > 考えていなくても、その人にとっての経験は空間にあらわれて、経験をとりのぞいても「空間という像」だけ残る、という思考実験をしている箇所だと思っています。<

    空間の像だけ『残る』、というのは思考実験だから言えることであって、
    実際の認識としては、
    表象の形式が空間、ということで、経験とともにじゃないと「空間の像」はあらわれなくて(というか、カント的には、経験するために「空間の像」がいる、経験があらわれてるなら「空間の像」使ってる、ってかんじかと思っています。)

    実際に、これが空間の像だよ、って単独で取り出すのは無理って言ってると理解してます。 

引用返信/返信 削除キー/
■1556 / inTopicNo.11)  7+5=12
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/07/20(Sat) 23:27:15)
    これをアプリオリで総合的な真理と考えてしまうのがカント。

    しかしこれは数とプラスの定義をすれば自動的に生成される。

    そもそも数の概念やプラスという演算自体が全然アプリオリではない。

    記号の集まりに経験から捨象した様々な操作を行うのが数学。

    数学とは記号の集合に有限(あるいは無限)の操作を行う生成的な記号活動。

    この操作は環境に対する働きかけや活動を起源に持つ。

    時間や空間も環境刺激に対して脳が生成した知覚構築物。
    だから仮想現実が可能であり、マジックで偽の空間をつくったり
    幻覚剤で時間を延長させたりできる。

    そんでもってメイヤスー他の思弁的実在論やエピステモロジーが
    カント流相関主義を拒絶し物自体に直接アプローチする方向に行ってるんですな。
引用返信/返信 削除キー/
■1557 / inTopicNo.12)  Re[11]: 7+5=12
□投稿者/ pipit -(2019/07/21(Sun) 00:20:13)
    >>1556

    無縁さん、こんばんは

    >時間や空間も環境刺激に対して脳が生成した知覚構築物。<

    ここ、いま、考えてるんです。

    刺激、を、なぜ、いつも、空間上に刺激とは別の形であらわすの ?

    目が見えない人も、様々な刺激から、頭の中に、空間、を作る。


    なんで、いつも、空間なのかなー、って。

    カントが正しいと擁護したくて(幼稚な私はその傾向はいつもでてしまいがちですけど)

    疑問がでておききしてるのではなく、


    自分の中の疑問として、生じるのです。


    なんで、物事が、空間に、位置を持つのか、って


    無縁さんは空間って、、、自分にとって、あるいは哲学的に(?)どんなものって、思われてますか ?

    私は、考え出すと、きちんとわからなくなります !

    あ、カントの算術問題は、、、なんとか言葉転がしできないか、完全に諦めきってませんよお〜
    (まあ、でも、、、ixtlanさんも、ここは数学者から言わせれば噴飯モノ、っぽいことおっしゃってたなあ しみじみ )

    噴飯、きちんと、意味知らなかったから、今、電子辞書みてみたら、

    『おかしくてたまらず、口の中の飯をふき出すこと。』
    とありました。

    むき〜っ

    書き込みありがとうございます、おやすみなさいです !
引用返信/返信 削除キー/

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