| 〈ニーチェは、どうして、どのようなことから、「先天的総合判断は、最も誤った判断に属する」って思ったの?〉についてはちょっと横に置いといて。
No10810の(善悪の彼岸3)で出てきた「本能」、途中になっていた、本能と先天的の関係なんだけど。
pipitさまが紹介してくれたwikiによると、カントの言うアプリオリていうの、〈経験を超えた「超越的」真実在〉っていうことで、こういうのを「物自体」って呼んでる、って見たんだけど、わたしの言う「先験的」っていうの、どうやらカントのと違うみたい。
わたし[a priori]を〈より先にあるもの〉ってして、ひとまず〈経験より先にあるもの〉→「先験的」(あるいは先天的)ってして見てる。でも、わたしのうちには神は存在してないから、神に対する人間の経験を“超える”っていう見方はしない。(「神」って言う語のわたしの意味をを見えるようにしなくちゃならないのかもしれないけど、いまはカントのと比較してなので。おそらくカントはキリストっていう人が言う「神」のことを信仰してるみたいだから、そのようなみたいな「神」として使ってるよ)
わたしのは〈人(私)の生のフィロソフィア〉だから、あくまでも〈人(私)において経験より先なるもの〉、人(私)の、このうちでのみ見ようとしてる。
わたしの言う「先験的」なものっていうのは、一般的に、〈経験しなくてもできちゃう〉こと、〈誰かに教わったわけではないのにできちゃう〉こと、人に〈生まれつき備わっているもの〉っていう意味。
たとえば、人って、一般的に、一歳ぐらいになると、”自然と”立てるようになるよね。誰からも立ち方を教わったわけではないのに。わたしの先験的っていうのはこういうの。
「本能」をネットで調べて見たら、 〔動物(人間を含む)が生まれつき持っていると想定されている、ある行動へと駆り立てる性質のことを指す。現在、この用語は専門的にはほとんど用いられなくなっているが、類似した概念として情動、進化した心理メカニズム、認知的適応、生得的モジュール(システムを構成する要素)などの用語が用いられる。〕(wikiより)ってあった。 わたしのなかでは、「本能」っていうの「自然」とも結びついてる。
ほら、わたしの意味での「先験的」と「本能」って、同じような感じゃない? こんなんでわたしのうちで本能と先験的(先天的)とが結びついてるのかも。
「アプリオリ」っていうの、〈○○より先にあるもの〉って見ると、この○○にいろんなのを入れることができる。たとえば、〈思考より先にあるもの〉みたいな。
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