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■11101 / inTopicNo.37)  Re[45]: フィロソフィア
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/18(Thu) 18:20:17)
    ■11087のつづき
    アリストテレスの『形而上学』第一章の書き始めのところを抜粋して見ます。

    【すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。その証拠としては感官知覚〔感覚〕への愛好があげられる。というのは、感覚は、その効用をぬきにしても、すでに感覚することそれ自らのゆえんにさえ愛好されているものだからである。しかし、ことにそのうちで最も愛好されるのは、眼によるそれ〔すなわち視覚〕である。けだし我々は、ただたんに行為しようとしてだけでなく全くなにごとを行為しようとしていない場合にも、見ることを、言わば他のすべての感覚にまさって選び好むものである。その理由は、この見ることが、他のいずれの感覚よりも最もよく我々に物事を認知させ、その種々の差別相を明らかにしてくれるからである。
    ところで、動物は、(1)自然的に感覚を有するものとして生まれつている。(2)この感覚から記憶力が、或る種の動物には生じないが、或る他の種の動物には生じてくる。そしてこのゆえに、これらの動物の方が、ある記憶する能のない動物よりもいっそう多く利口でありいっそう多くの教わり学ぶに適している。ただし、これらのうちでも、音を聴く能のない動物は、利口ではあるが教わり学ぶことはできない、――たとえば蜂のごときが、またはその他なにかそのような類の動物があればそれが、そうである、――しかし、記憶力のほかにさらにこの聴の感覚をあわせ有する動物は、教わり学ぶこともできる。‥‥】(A)

    このなかでわたしが気になったところは【すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する】というところと、【感官知覚〔感覚〕】っていうところ。これをわたしが受け入れるとすると、

    【すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する】の「知ることを欲する」、これをわたし〈知ることを愛する〉っていう意味と同じとして「フィロソフィア」って見たのね。【生まれつき】はわたしの言うアプリオリ(先験的)ね。

    【すべての人間は、】っていうことだから、当然赤ちゃんも含まれるはずよね。だから「赤ちゃんもフィロソフィア」って言えることになる。生まれたての赤ちゃんはおっぱいを吸うことを”すでに知っている“、これアプリオリだし、3歳ぐらになると、「これなあに?」とか「どうしてそうなるの?」って聞く。これってまさにフィロソフィア(知ることを欲する)。

    わたしのばあい、〈知ること〉を、認識論のように真正な認識(知識・判断)だけに限って見ようとしてない。

    【見ることが、他のいずれの感覚よりも最もよく我々に物事を認知させ、その種々の差別相を明らかにしてくれる】とか【利口である】とか【教わり学ぶことができるとかできない】っていうの、わたしどうかと思うけど、いずれにしても「すべての人、生、フィロソフィア」においては【感官知覚〔感覚〕】を抜きにしては考えられない、っていうことを言ってるんだと思う。

    デカルトのように「何ら感官を私はまったくもっていない」ことにしたり、「当てにならぬ記憶が表象する(ないしは、再現)するもののうちにはかつて存在していたものは何もない」ってするの、意識の働きを限局化して考えてるんじゃないかしら?

    感覚知覚記憶って、たしかに当てにならないところあるのかもしれないけど、でもそれをも含めてフィロソフィアしようというのがわたしの〈私の生の意識を知りたい〉、かな?

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■11087 / inTopicNo.38)  Re[44]: フィロソフィア
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/17(Wed) 20:09:27)
    ちょっと、カントから離れて、わたしのを。

    なんかさー、「哲学」ってかたくない?字からしてそう。

    で、〈私の生の意識(精神)のフィロソフィア〉の〈フィロソフィア〉なんだけど、じつはこれ、現象学からわたしに思われたことなのね。わたしが知りえた哲学者のなかで、いちばんわたしに親しいのはメルポンだって思ってる。っていうことで、ここでわたし物語ってるのかも?

    「哲学」ってなあに? から始まって、わたしいろいろ調べて見たのね。
    いわゆる哲学者たちのそれぞれの哲学っていうのがあるみたい。たとえばカント哲学とか言ったりしてる。当然フッサールやメルポンも、哲学とはこういうもの、っていうのあるけど、こういうのは後にしておいて、一般的に解説されてるわたしが得たのを、書きだして見る。

    わたしの参考書から、
    〔哲学philosophy
    世界や人生が全体として何であるか、どのような意味や目的を持つものかという根本的な問題を考える学問。哲学とは、日常生活で自明の前提とされている一定の世界秩序や価値体系を主だいとし、それらを自覚的・批判的に考察する。科学がさまざまな領域の対象を実証的に研究する専門的・部分的な知であるのに対して、哲学はそのような対象を包みこみ、我われがその中に生きている世界や人生についての全体的・包括的な知を求める。我われは世界のなかに生きているのだから、外から世界を一つの固定的な対象として考察することはできない。哲学はつねに対象的なものをこえて、対象があらわれる地盤となる世界や人生の根源に迫りゆく思索の中で遂行される。哲学は、概念的に固定できる対象の真理をこえ、各自がそのつど哲学する主体的な働きの中で、世界や人生の全体的・包括的な真理を探究するのである。哲学は古代ギリシアで誕生し、知恵(ソフィアsophia)を愛すること(フィロスphilos)という意味でフィロソフィアと呼ばれ、日本では明治時代に啓蒙思想家の西周によって哲学と訳された。〕

    その参考書のなかに、カントのもちょっとあったので、
    〔哲学すること
    カントは『純粋理性批判』の冒頭で、「人は哲学を学ぶのではなく、哲学することを学べるだけである」と述べている。哲学は過去の哲学の知識のたんなる集積ではなく、一人ひとりがみずから哲学する主体的な行為そのものである。過去に形成された哲学は、哲学することが一定の歴史的状況のもとであらわれた一つの形態であり、絶対的なものと固定されると非真理におちいる。哲学は、過去の哲学の概念を手引きにしつつも、それにとらわれずに各自が真理を主体的に思索する行為の中にある。〕

    ネットから、
    〔〈哲学〉という言葉は,明治初年の段階で,西周(にしあまね)によって,英語の〈フィロソフィーphilosophy〉の訳語として作られた。〈フィロソフィー〉は,ギリシア語の〈フィロソフィアphilosophia〉に由来し,〈知恵(ソフィアsophia)を愛する(フィレインphilein)〉という意味の言葉である。そこで西周は,周濂渓(れんけい)の〈士希賢(士は賢をこいねがう)〉(《通書》志学)にならい,賢哲の明智を愛し希求するとの意で,はじめ〈希哲学〉(哲智すなわち明らかな智を希求する学)と訳し,のちに〈哲学〉と定めた(《百一新論》1874)。…〕

    だって。

    わたし、「philosophia」を、日本語で「哲学」としないで、「知を愛すること」、「知ることを愛すること」、「智愛」ってすることにしちゃったよ。

    「哲学」、そもそも「哲」ってなあに?ってなるし、こうなっていくとますますごちゃごちゃになってく。だからわたし日本語で「フィロソフィア」って表記することにした。漢字で書くと「智愛」。意味は〈知ることを愛すること〉。
    なんで西周さんは、「智愛」っていう訳語にしなかったのかしらね?こっちのほうがわたしには身近に感じるし、科学もそのなかに入ることになると思うんだけど。

    っていうことで、
    わたしの〈私の生の意識(精神)のフィロソフィア〉は、〈私の生の意識(精神)を知ることを愛する〉っていうこと。言い方を変えると〈私の生の意識(精神)を知ることを欲する〉、もっとかんたんにいうと〈私の生の意識(精神)を知りたい〉。
    〈知ることを欲する〉っていうの、じつは、アリストテレスのから来てるのね。
    次はアリストテレスのを書いてみるね。

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■11053 / inTopicNo.39)  Re[43]: What do I want to do?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/14(Sun) 16:37:53)
    ■11002のつづき
    わたし「意識」と「認識」を区別することにした。そして、「認識」の別の名を「判断」ってして見た。
    「判断」は〈それは〜である〉っていう感じかな。
    意識の働きのうちのひとつに認識作用っていうのが含まれてる、ってする。
    「認識(判断)」っていうのを〈知識〉、〈知識を得る過程〉、しかもその知識は〈真正なもの〉であること、ってする。

    「認識論」って、〈いかにして真正な認識(知識)が成り立つかを、その起源・本質・方法・限界などについて研究する哲学の一部門〉、そして、真正な認識(知識)の起源に関しては合理論と経験論、認識の対象に関しては観念論と実在論が対立する(あ、これ、ネットで調べたの)、ってする。

    なにが言いたいかっていうと、哲学において「認識」って言うばあい、その認識(判断)は〈真正なものであること〉、っていうことに限られたものである、っていうこと。

    カントは、信仰の深い哲学者で自然科学者で、自然科学的認識(知識)は真理であるとしていた(たぶん)。
    そしてカントのはおそらく「合理主義」。中島さんの(No10972)「ただ理性を省みさえすれば」とか「ただ理性のうちから」っていってるところを見ると、カントのもそうなんだと思う。そしてpipitさまに紹介してもらったwiki(No10870)のなかには〔そもそも根拠となる「理性」自体の規定が曖昧〕って書いてある。ってすると、〈「理性」ってなあに?〉っていう問いが生まれてくるだけど、ひとまず横に置いとく。

    わたしのしたいは、〈私の生の意識(精神)のフィロソフィア〉

    「アプリオリな総合判断」の「判断」をとっちゃっう。「真正な判断(認識)であること」っていうのを取っちゃうっていうことね。私の生の意識においては、なにも真正な認識(判断)であること、だけが意識の働きじゃないって思ってるからね。
    で、最後に残ったのが「アプリオリな総合」。当然これは私の生の意識においての、ね。

    んでね、カントの問い「先天的総合判断はいかにして可能か?」から、わたしにおいて浮かんできたのは、「私の生の意識におけるアプリオリな総合はどのようにして行われているの?」っていう問い。
    だから、カントのからはここらへんについてのを主に取り出して見てゆくことになったよ。

    なんかいまカントのなので、pipitさまのところと行ったり来たりしてる。

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■11002 / inTopicNo.40)  Re[42]: What do I want to do?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/13(Sat) 18:55:23)
    カントの「超越論的」についてなんだけど。

    素朴的(?)なわたしのを書いて見るね。

    「超越的なもの」を「神」として、「超越的」を〈神の〉、「超越論的」を〈神のような〉ってしちゃう。

    たとえば、「超越論的感性論」は〈神のような感性論〉、「超越論的統覚」は〈神のような統覚〉、「著悦論的構想力」は〈神のような構想力〉ってなる。カントの、からするとわかりやすくならない?
    ん?「超越論的仮象」は〈神のような仮象〉ってなる?「仮象」はカントにとっては「誤った現れ」だから、〈神のような誤った現れ〉ってなる。〔「神は存在する」等々の誤った結論を導き出してしまうこと〕、うんうん、あってる。

    で、「超越的」と「超越論的」っていうのは不可分っていうことみたいだから、「超越的」が存在しなければ、当然「超越論的」っていうのもなくなるよね。
    わたしのうちには「神」は”存在しない”から、〈神の〉がなくなり、〈神のような〉っていうのもなくなる。だからわたしのうちには「超越論的」っていうのが存在しなくなっちゃう。

    あ、ここで使ってる「神」っていうの、カントのに関しての話しなので、キリストっていう人が教えようとしてる「神」のことってしてるよ。

    そこで、カントのでわたしに残ったのは、〈「先天的総合判断」はいかにして可能か?〉なんだけど、「判断」っていうのがちょ〜っと気になるのね。


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■10980 / inTopicNo.41)  Re[41]: What do I want to do?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/12(Fri) 20:50:57)
    ■10977、
    こんばんわ〜、田秋さん
    なんか、わたしから見たらすごいね。


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■10977 / inTopicNo.42)  Re[40]: What do I want to do?
□投稿者/ 田秋 -(2021/02/12(Fri) 20:18:34)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    >ところで、田秋さんは楽器ひいてる人よね?なんでそれしてるの?
    5歳の時に親がバイオリンを買ってきて
    「やってみる?」
    これがバイオリンを始めたきっかけ。
    音楽高校に入って(このときビオラに替わった)つぶしの利かない人生が始まり、音大出てつぶしの利かない人生決定。
    つぶしが利かないのでずるずるとこれしてるの。

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■10957 / inTopicNo.43)  Re[39]: What do I want to do?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/11(Thu) 19:16:53)
    pipitさま、■10934、  
    >カントのこと気になるの? カントが何を言ってるのかほっといて、自分の考えを述べるのも、手間を省く一つの手かもしれないけど、<
    カントの、が気になるのは、現象学のから派生してきてるよ。
    そうね、カントの、ポイってなげちゃってもいいんだけど〜。
    でもね、メルポンのを知ろうとするときそうもいってられないのね。

    たとえば、今回のように「ニーチェはカントの先天的総合判断を誤った判断ってしてるけど、どうして?」って問うことは、カントのを知ろうとすることにつながってくるんだけど、と同時にニーチェのも知ることになるんだと思ってる。

    カントの、についてには、pipitさまのところで書けばいいのだろうけど、わたしここで物語ろうとしてるのは“カントの”じゃないから、ここで書かせてもらってるよ。

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■10952 / inTopicNo.44)  Re[38]: おくったがわさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/11(Thu) 18:38:22)
    ■10943、ありがと。
    了解で〜す。

    ここでのテーマはカントのじゃないけど、
    どうしても彼のに触れなくちゃならないと思ってるのね。
    こんな感じでのを、です。
引用返信/返信 削除キー/
■10943 / inTopicNo.45)  Re[37]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ おくたがわ -(2021/02/11(Thu) 08:09:17)
    No10931に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    横からごめん。

    >pipitさま、カントの言う「a prioriアプリオリ」ってどういうんだと見てるの?
    >[synthetisches Urteil a priori]における[a priori]の、ね。

    「a prioriアプリオリ」は、経験にもとづかない、経験に先んずる でいいよ。pipitさんも同じことを言ってる。
    pipitさんが反論したのは、悪魔ちゃんが以下のように書いたからじゃないかな

    >カントの言うアプリオリていうの、〈経験を超えた「超越的」真実在〉っていうことで、こういうのを「物自体」って呼んでる、って見たんだけど><

    これだとアプリオリの意味が『経験を超えた「超越的」真実在=物自体』全部を含むように見える。悪魔ちゃんはそういう意図で書いたのではないのかもしれませんが(分からんけど)

引用返信/返信 削除キー/
■10936 / inTopicNo.46)  カントの問い
□投稿者/ pipit -(2021/02/11(Thu) 00:12:21)
    先天的総合判断はいかにして可能か?

    これ、現にできていないものをどのようにしたらできるのか?という問いではなくて、

    人間が現に行ってる先天的総合判断(カントは数学などは先天的総合判断だと考えてたみたい)は、どのように可能となってるのか、その仕組みを認識することへの問い、だと、私は思ってるよ。
引用返信/返信 削除キー/
■10935 / inTopicNo.47)  カント先生の、、、
□投稿者/ pipit -(2021/02/10(Wed) 23:47:01)
    、、、ややこしいのは、、、

    カント先生のせいやね  d( ̄  ̄)

    おやすみー ☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■10934 / inTopicNo.48)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/02/10(Wed) 23:42:50)
    > 先天的総合判断はいかにして可能であるか」っていうカント根本課題(問い)の”目標”が「経験を超えた(先験的な)「超越的」真実在」なんだってわたし見たのね<

    先天的総合判断はいかにして可能か、のカントの答えとしては、
    私は今のところ、
    直観の形式としての空間と時間と、純粋悟性概念とが、一人の人間の内で共に経験の条件となることによって可能になる、なのかな、と思ってるよ。


    >pipitさま、カントの言う「a prioriアプリオリ」ってどういうんだと見てるの?
    [synthetisches Urteil a priori]における[a priori]の、ね。<

    私は、意味的には〈経験由来ではない〉だと思ってるよ。
    カント自身が説明している文章知りたい?探してみようか?


    > なんかごちゃごちゃしてる〜!。<

    カントのこと気になるの? カントが何を言ってるのかほっといて、自分の考えを述べるのも、手間を省く一つの手かもしれないけど、、

    私がごちゃごちゃ書くのが余計かもやね(^^;)
    つい、書き込んでごめんよー。


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