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■11105 / inTopicNo.13)  Re[46]: 無言
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/18(Thu) 19:41:01)
    神様は、わたしに、なにか、”言ってる”のかしら?
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■11094 / inTopicNo.14)  Re[45]: 旧約聖書は三位一体という名画
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/18(Thu) 15:03:47)
    確かに「神の選び」はありますが、それは究極的な意味(結果論)であって、
    私たちには分からないので、「全ての人」に福音を伝えるように神は仰ったのだと。

    神様は、「全ての人」が悔い改めて、救われるように願っておられますが、地獄へ行く人は、神様がそう定めておいたからではなく、自分の自由意志で救いを「拒否」するために、最終的に滅びるということ。

    神様は、このこと自体をあらかじめ知っている、というのが聖書の言う「神の予定」ということでしょうか。
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■11092 / inTopicNo.15)  Re[44]: 旧約聖書は三位一体という名画
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/18(Thu) 14:20:12)
    knowing itselfさん、なかなか分かりづらい点を解説戴きありがとうございます。

    > 「神であるわたしがあなたを選んだ」の「あなた」のところに、子である神が受肉したイエスをもってきたことが、聖書の最終結論だと理解しています。救いへと選ばれたのは、すべての人間の中でイエス一人とみることもできます。他のすべての人間は滅びへと選ばれた。
    >
    > ところがこれを逆からみると、贖罪のために十字架にかけられたのはイエス一人です。滅びへと選ばれたのは全人類の中でイエスただ一人。贖罪によって救いへと選ばれたのは、すべての人間、全人類。
    >
    > これがイエスにおける選びの意味だと考えています。おそらくこれが通説。
    >
    > 旧約聖書の中で救いと滅びに選び分けられるように、すべての人間が二分されるのではない。

    なるほど、そういうことでしたか。
    「贖罪によって救いへと選ばれたのは、すべての人間、全人類。・・・
    すべての人間が二分されるのではない。」

    やはり、難しいですね。
    これからも、よろしくお願いします。
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■11089 / inTopicNo.16)  Re[43]: 旧約聖書は三位一体という名画
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/17(Wed) 21:00:08)
    自由意志というのは、自由意志によって神に従うことに意味があるということです。滅びも、自由意志で神を拒絶したからだと。

    聖書全巻における救済のロジックが「神であるわたしがあなたを選んだ、あなたのパフォーマンスやメリットによるのではない」であることは、ほとんどすべてのキリスト教が前提にしていることです。カルバン派や少数のプロテスタントだけがそれに忠実だというのは、自説を優位におくための誇張論法に思えます。

    「神であるわたしがあなたを選んだ」の「あなた」のところに、子である神が受肉したイエスをもってきたことが、聖書の最終結論だと理解しています。救いへと選ばれたのは、すべての人間の中でイエス一人とみることもできます。他のすべての人間は滅びへと選ばれた。

    ところがこれを逆からみると、贖罪のために十字架にかけられたのはイエス一人です。滅びへと選ばれたのは全人類の中でイエスただ一人。贖罪によって救いへと選ばれたのは、すべての人間、全人類。

    これがイエスにおける選びの意味だと考えています。おそらくこれが通説。

    旧約聖書の中で救いと滅びに選び分けられるように、すべての人間が二分されるのではない。
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■11088 / inTopicNo.17)  【キリスト教】予定説はひどい!?
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/17(Wed) 20:49:36)
    とても、私と同じ意見の動画がありましたので上げておきます。

    https://www.youtube.com/watch?v=bAnHJ0YFs50

    救いは、人間の自由意思で自分の力(自力)で起きるのではなく、
    あくまで神の一方的な選びと恵み(他力)によって起きる神の計画なので
    どうしようもないものなのかなと思います。

    ただ、救われている者なら、自然とイエス様を信じて、まじめな生活をし、禁欲的に一生懸命働き出すのだと思います。






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■11086 / inTopicNo.18)  Re[44]: 旧約聖書は三位一体という名画
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/17(Wed) 19:58:23)
    出エジプト記 33 章に、アロンが金の雄牛の偶像を造ったことを怒った神は、カナンへの同行をしないと言われました。

    モーセが必死に執り成して祈ると、神は同行すると答えられました。

    モーセは「あなたの栄光をお示しください」と祈ると、神は、「『わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。
    わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ』(33:19)」と祝福を約束されたのです。

    人の意志や努力ではなく、神の憐れみによって、神の計画は遂行されるとありますから、予定説は、やはりそうなのかなと思うんですが、如何でしょうか。

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■11085 / inTopicNo.19)  Re[44]: 旧約聖書は三位一体という名画
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/17(Wed) 19:42:49)
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■11084 / inTopicNo.20)  Re[44]: 旧約聖書は三位一体という名画
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/17(Wed) 19:40:23)
    knowing itselfさん、早速、丁寧な書き込みありがとうございます。

    > >宗教改革者たちもまた、聖書の伝える神の選びをそのように理解した上で、神の予定行為と主張したことと思います。
    >
    > 救いは神の自発的な愛の選びと理解されています。ここまでは、すべてのキリスト教で一致していると思います。問題は、滅びまでが神の自発的な選びなのかという点です。滅びまでが、天地創造以前に神によって予定されている、決められている、というのが二重予定説だとして、これはプロテスタントとしても少数派ではないでしょうか。

    仰る通り、滅びまで予定しているというのは、如何なものかということですね。
    確かに、慈愛の神であれば、救う人は、既に予定しているのだと言うことは、神の絶対性から言っても可笑しくないと思いますが、滅びる者までというのが、実は、自分自身、納得いかないところでした。

    ただ、救済の予定から漏れて救われないのなら、いったい、その人達は、どうなるのかは、分かりませんけど。

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■11083 / inTopicNo.21)  Re[43]: 旧約聖書は三位一体という名画
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/17(Wed) 19:32:28)
    No11076に返信(勿忘草さんの記事)
    > パウロの「まだ子どもらが生まれもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、(人間の)わざによらず、召した方によって行われるために」(ロマ19:11)という言葉から明らかなように、神の選びは神の自発的な、そして無動機的な愛に基づいて行われるものであって、決して人間の「わざ」に条件づけられたり、動機づけられたりするものではありません。

    これはまったくその通りでしょう。

    >宗教改革者たちもまた、聖書の伝える神の選びをそのように理解した上で、神の予定行為と主張したことと思います。

    救いは神の自発的な愛の選びと理解されています。ここまでは、すべてのキリスト教で一致していると思います。問題は、滅びまでが神の自発的な選びなのかという点です。滅びまでが、天地創造以前に神によって予定されている、決められている、というのが二重予定説だとして、これはプロテスタントとしても少数派ではないでしょうか。

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■11082 / inTopicNo.22)  Re[42]: 旧約聖書は三位一体という名画
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/17(Wed) 19:25:38)
    勿忘草さん こんばんは。

    >>神の愛と、人間の神への愛の関係について、トマスアクィナスはおもしろいことを言っています。人間の神への愛は、神の愛の徴だと。例えば、煙があがっていれば、煙は原因としての火を指し示します。人間の神への愛は火に対する煙のようなものだということです。人間の神への愛が原因となって、神の愛が生まれたということはありえない。人間の神への愛と神の愛は、対価関係、条件関係に立つことはない。
    >
    >>あるのは無条件で一方的な神の愛だけ。人間の愛は徴だと。無償の愛に応えて愛し返す、それは火に対する煙のようなものだと。
    >
    > これって親鸞の歎異抄の阿弥陀様から戴いた信心の記載と似ていて興味深いです。
    > 神仏から戴かないと人って愛することも出来ないように思えます。
    >
    > 神から貰わないと駄目ということは、やはり二重予定説が正しいということなのでしょうか。


    トマスアクィナスはもちろんカルバン派ではないですね。

    神から貰わない駄目ということなら、ほとんどのキリスト教がそうなので、二重予定説が正しいという帰結にはつながらないと思います。

    二重予定説はむしろ少数派であると認識しています。一つには、自由意志否定という点が、キリスト教の根幹と両立しがたいとみなされるからだと思います。三位一体の神とは、100パーセントの自由意志に基づいて、愛による天地創造を行なった主体です。その三位一体の神の似姿である人間に、肝心の自由意志がないとなれば、三位一体の似姿であるはずがなく、それはおかしいという批判でしょう。
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■11077 / inTopicNo.23)  Re[43]: 旧約聖書は三位一体という名画
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/17(Wed) 15:39:01)
    訂正します。ローマの信徒への手紙第 9 章11節でした。

    「11 まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、
    12 わざによらず、召したかたによって行われるために、「兄は弟に仕えるであろう」と、彼女に仰せられたのである。」
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■11076 / inTopicNo.24)  Re[42]: 旧約聖書は三位一体という名画
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/17(Wed) 14:57:21)
    パウロの「まだ子どもらが生まれもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、(人間の)わざによらず、召した方によって行われるために」(ロマ19:11)という言葉から明らかなように、神の選びは神の自発的な、そして無動機的な愛に基づいて行われるものであって、決して人間の「わざ」に条件づけられたり、動機づけられたりするものではありません。宗教改革者たちもまた、聖書の伝える神の選びをそのように理解した上で、神の予定行為と主張したことと思います。

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