| 2021/01/05(Tue) 23:09:48 編集(投稿者)
悪魔ちゃん、こんばんは。感想書くね。
> 現象学における「現象」の意味(概念) > > 『一般的には、われわれに現れてくるものごと、感覚的な知覚に現れてくるものごと、われわれの主観的な観念の相関者としての現れを意味するが、<
↑ この部分が、カントがイメージしていた『現象』で、 (意識と知覚の関係についたはちょっと?かもだけど)
↓ 上記内容から変容した、以下のものが、悪魔ちゃんや現象学に関わる方たちイメージする『現象』なのかも、と思ったよ。それとも、悪魔ちゃんは、上記のイメージで『現象』を使ってる?(ごめん、後で出てくる[ わたし、ここに書かれているような一般的な意味としてるけど]の読み取りが私にはわからなかったから)
> 現象の学としての現象学においてその意味を変容されて重要な位置を占める概念となった。現象学は「事象そのものへ」というモットーに従って、われわれの経験の無偏見的な記述を追求する。現象学的には経験に直観的に与えられる現象は、たとえば本質と現象といった関係において捉えられる場合に見られるように、現れないものごとをその背後に隠す表層的出来事ではなく、事象そのものを「身体をそなえて」われわれに提示している。経験において現象としてそれ自体をわれわれに与えてくれる対象や世界は、自然的態度においては暗黙のうちに自体的に存在するものとして前提されてその真の現れにおいて捉えられていないのであるから、その制約性を乗り越え、それが与えられてくるその現れにおいて独自の方法論的態度をもって分析することが現象学的仕事となる。 > (略) > 現象概念をさらに展開したのはハイデガーである。それによると、現象学的意味での現象とは「己れを己れ自身に即して示すもの、露わなもの」という意味をもち、見せかけのものとして仮象(Schein)と、己れ自身を示さずに間接的に告げるものないしは己れを告げつつ隠れた他のものを暗示するものとしての現出(Erscheinung:現出は、現象という意味をもつ)からは区別される。現象学とは、「己れを示すものを、それが己れを己れ自身から示すとおりに、己れ自身のほうから見させる」ことであるから、優れた意味で現象といわれるものは、さしあたり大抵は隠れているが、己れを示すものに本質的に即するもの、存在者の存在である。』(「現象学事典」より) > > わたし、ここに書かれているような一般的な意味としてるけど、現象学のをちょっと整理して見ました。 > 「現象」(独)Phanomen(仏)phenomene(英)phenomenon > (独、仏のaの上の点々やeの上のちょんは省略しました) > 現象学における「現象」はPhanomenで、仮象Scheinや現出Erscheinungとは区別されてるみたい。(現象学ではErscheinungは「現出」と訳されています) > そして、 > 現象=おのれをおのれ自身に即して示すもの、あらわなもの > 現象学=己れを示すものを、それが己れを己れ自身から示すとおりに、己れ自身のほうから見させること<
物自体を設定するか否かも、記述中の『現象』のニュアンスに影響あるかも、と、思ったよ。
ちなみに、ドイツ語のErscheinung、Phanomen、を、 グーグル翻訳で英訳したら、Appearance、phenomenon、と出たよ。
> pipitさまが紹介してくれた『わたしたちに与えられる最初のものは現象であり、この現象がわたしたちの意識と結びつくと、知覚と呼ばれるようになる。…‥』っていうカントの見方。ここでの中山元さん訳「現象」っていうのは、現象学の「現象Phanomen」じゃなくて、Erscheinungを「現象」って訳してる、って言うことがわかりました(だから最初でつまづいちゃったのかも)。じゃあ、Erscheinungを現象学の意味での「現出」ってして見たらどうなんるんだろ?な〜んても考えてもいるよ。 > > あ、ところでErscheinungの日訳なんだけど、たしか中島義道さんも「現象」ってしてたみたいだけど、なんかあるのかしら。<
カント哲学の解説本では、Erscheinungは現象と訳されてることがほとんどな気がするよ。カント辞典でも、現象はErscheinungがドイツ語として載ってたよ。 悪魔ちゃんが説明してくれたことによると、現象学では、Erscheinung、Phanomen、二つの単語を使い分けてるみたいだけど、カントはまだ、そんなに区別してないかもだね。わからないけど。 (ごめん、まだ、純粋理性批判の4分の1も読めてないんだ(^^;))
|