| こんにちは、floraさん
「2回祖国を失った」、本当のことをいうとこれは正確な表現ではありません。 1度目は第1次世界大戦後のことです。敗戦国となったハンガリー王国(オーストリー=ハンガリー帝国)は、トリアノン条約(1920)で大幅に領土をけずられました(下図参照)。地図左はオーストリー=ハンガリー帝国時代の地図で一際大きい黄緑の部分がハンガリーです。右が現在のヨーロッパに地図で、ほぼ縮尺は同じです。現在図に小さな赤点が見えますか?ここがバルトークが生まれたナジセントミクローシュという町で、トリアノン条約でルーマニア領となりました。国境すぐ近くの町です。 ですからこれは祖国を失ったというよりは生地がハンガリーではなくなったということです。
2度目は1940年のアメリカへの亡命です。これも祖国を失ったというよりは祖国を見限ったという方が的を射ているかもしれません。
ボクの平和な人生に比べると激動の人生です。ボクは今、生まれた町で今暮らしていますし、幸いにも日本国です。
このトリアノン条約締結の少し前にマンダリンはほぼ完成していますが、トリアノン条約締結時、曲に手を加えていたようです(トリアノン条約が加筆修正の原因になった、或いは影響したかどうかはわかりません)。
この時代、バルトークと同じような、或いはもっと激動の人生を歩まねばならなかった人はたくさんいたと思います。
そう言えば昔ハンガリー人の知り合いが「ハンガリーは戦争に勝ったことがない」と自嘲気味に言ってました。それからもう一人 「もう一度世界大戦をしよう。今度はイタリア抜きで」と言ってたオジサンもいました。
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