| こんばんは〜、いつもありがとうございます♪
> >わたしがカント哲学に執着するのも、実在に執着してる、実在を確信したいから、というところがあるんじゃないかなーと、自分では感じています。 > > > 書かれている「実在」というのは、何を指しているんだろう?という興味が出ました。 > > 認識できうるすべてのもの(人間やその他の自然物、様々な作られたもの)が実在かどうか、についてなのかな。 > それとも、実在は唯一の何かだと考えられていて、それはどこにあるのかみたいな話ですか。 > いつでもいいですので、このあたりお考えを教えていただけると嬉しいです。^^<
上記の私の発言の文脈で言えば、 日常で経験する物体や生命が実在すると言ってOKと、自分自身に言ってあげたい、という意味での実在です。 だから、みのりさんのコメントで言えば、二つの選択肢の内の最初の1番目を対象とした実在を望んでいる、執着している、ということです。
> カントは、人間の認識の限界を示してくれて、限界があるのはその通りだと思うのだけれど、それでも気にはなってしまうのが人間の性なのかもしれませんね。 > (私なんてその最たるものかも。)<
カントは、極を知りたいというのは、理性の自然な本能だ、みたいな感じのことを言っていると私は思っています。 だけど、理性に感性を超えた世界の極を知る能力はないんだよ、って、少なくとも『純粋理性批判』では、言ってるのかなとも思っています。
カントの文章は、読みにくくてややこしくて参りますけどね(^^;)
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