| 悪魔ちゃん、こんばんは。
> 「地中に埋められてるジェット機」 > もうすでに見えないものとしてジェット機である、が提示されているよね。 > たとえば、わたしがある地平に立っているとするね。私が立っている地中にわたしは何が”存在している”か知らない。そう、ジェット機が埋まっているかもしれないし、水道管が埋まっているかもしれないし、ひょっとっして人骨が埋まっていあるかもしれない。<
私が骨を先に埋めてて、悪魔ちゃんはそのことを知らない。 私が、掘ったら骨出てくるよ、と言って、悪魔ちゃんが骨を掘り出す。
骨は、いつ、どこに、存在するのだろうか?
> カントの『純粋理性批判』って、人間の認識、言いかえると「それは〜である」っていう判断を問題としてるってわたし見てるんだけど、どうなのかしら? > たとえばわたしが立っている地面の下に埋まっていたとして「それはジェット機である」っていう判断みたいな。わたしそもそもわたしが立ってる地面の下に何が埋まってるかなんて”知らない”し。<
カントは、超越論的観念論者は経験的実在論者でもありうる。(デュアリスト) って言ってたと思う。 私見いうね、 カントは、ある種の判断は、人間にとって普遍妥当なものとして、存在している、実在している、としてるんじゃないかと思ってる。 現象は、人間にとって、存在する、みたいに言ってるのかなーって。
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