| 〈私〉は、超越(論)的存在者である。しかし、その超越(論)性は独特であって、それを捉えるためには、現実的世界において認められている実在性・事実性を排去(遮断)すると同時に、本質性・形相性を排去(遮断)する独特の還元の操作が要求される。しかし、現実世界における自己であることをひきうけながら、その還元の操作を遂行することは不可能である。そして、その意味で自己であることをひきうけることなしに、何か意味のあることが言えるとは考えられない。〈私〉について、何かが言えた(通じた)とすれば、少なくともどちらか一方の排去が不徹底であったからでしかない。
永井均「〈私〉のメタフィジックス」p93より引用
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〈私〉は、超越(論)的存在者である。()を使うことで、超越的であると同時に超越論的であるという二義性を表現しているのでしょう。後の永井さんの仕事を知った目で見直すと、納得できます。
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