| knowing itselfさん、あと、疑問に思ったことがあります。
「それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らに・でお話しになるのですか」。 そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。
おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。 だから、彼らには・で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。
こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。」(マタイによる福音書第13章)
これって、イエス様の話を聞こうとして集まっていた多くの群衆には、喩えで話されたということは、多くの群衆は、喩えの意味が分からない訳ですから、なんのこっちゃということで端的に救われないということですね。
弟子たちには、「天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。」ということは、弟子のようにチョッとした人しか理解できないため救われる人は「畑に隠してある宝」であり「高価で良い真珠」のように極稀だと分かります。
なぜ、神の計画というか予定というのは、不平等で選別されている階級があるのでしょうか。
ここが「マタイの法則」と言われる所以なのかなと思うのですが、knowing itselfさんは、どう思われるでしょうか。
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