| みのりさん、ありがとうございます。
> どんなに文明が進んでも、自然の猛威の前に人間は、なかなか手出しができないでいますよね。 > コロナで大変だった今年は、昨年のような大型台風は来ずにシーズンが終わったのは何よりでした。
ホントそうでした。 災害時には、心が暗くなってしまいます。 また、仕事で嫌なことがあった時なども、そうです。
そんな時、私は、次の聖句を思い出すことにしています。
「体のともし火は目である。 目が澄んでいれば、全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。」
新約聖書『マタイによる福音書』6章22-23節
私たちは、しばしば、人生の壁にぶつかり、その暗さに絶望することがあります。
また、辛いことや苦しいことが起こると、その辛いことや苦しいことばかりに気を取られて、周りの景色が全く見えなくなってしまいます。
まるで自分一人が不幸を背負っているかのように思ってしまうのです。 けれども、本当はそうではありません。
それは、既にイエス様が十字架の上で、私たちの身代わりとなって神様の怒りを 全部お一人で引き受けて神の愛を示して下さいました。
なので、私たちの信仰の目が澄んでいて、御言葉の光を真っ直ぐに受けとることが出来たならば、自分自身は勿論のこと周りの人々をも照らすともし火となることが出来るのかなと思います。
明日も仕事だと、とかく休みたい誘惑に駆られますが、そんな時こそ、澄んだ信仰の目をもって、御言葉の光を真っ直ぐに受けとめてみようと思い直します。
そして、それは決して己の頑張りによるのではなく神の光自身が自分の内側で光輝き神の恩寵を素直に感じることが出来る時なのだと思うからです。
この光がなかったら、きっと全身が暗くなり、死にたくなるでしょうから。 (電車に飛び込んだり、ビルから飛び降りたりなど) とにかく、光の励ましによって、明日も出勤しようと思います。
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