| 「分別」っていうの、わかんなかったからネットで調べてみたら、 1 道理をよくわきまえていること。また、物事の善悪・損得などをよく考えること。 2 仏語。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。 って、書いてあったけど、pipitさまの言う「分別」っていうの、こんな感じの意味でつかっているのですか?
だとしたら、わたしのいう「分類」とはちょっと違ってたかも。ごめん。 でも、カントの「カテゴリー(範疇)」っていうのも「分別」とは違うんじゃないかしら?
それと、 >この場合の「無」は、欠如の表言。有が前提(基準)。< 「無」=「欠如」ということみたい?ということで、ありがと。
ちょっと考えちゃった。 たとえば、生まれつき目が見えない人がいるとします。このひとの〈目が見えること〉が欠如してる、って言います?「有が前提(基準)」ってしたとき、「目が見える人」を基準にしてる、っていうことになると思うんだけど。「無」と「欠如」はなんか異なる気がする。生まれつき目が見えない人はその人にとって目が見える人の基準での「欠如」っていうことになるんで、じゃなくて、その人にとっては〈見えること〉の「無」なんじゃないかしら?
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