| 2020/10/29(Thu) 12:20:04 編集(投稿者)
floraさん、こんにちは。 レスありがとうございます。 とても嬉しく思ってます。^^
>>霊性が高まる、つまりそれは、本質の自分を知るからなんですが、そのことによって叡智(洞察)は高まることはあるでしょうけれど、それはいわゆる思考力というものとは違うでしょう。 > > 私もそう思います、と言っても私は坐禅等を実践しているわけでもないのですが、以前愚さんのトピで話題になったことや、クリシュナムルティの発言などを思い出してみると、私の理解では。思考と智慧は別ですね。「私」が消え、「わたし」になったときに自然と発生するのが智慧だったと思います。 また思考は、仕事や勉学、または実生活に必要な思考ではなく、あくまでも内的思考、つまり自分の感情−あーだった、こうだった、嫌なことを言われた・・・云々だったと思います。 > > クリシュナムルティの『時間の終焉』というタイトルは素晴らしいですね、内的思考をやめる、即今しかない、瞬時、瞬時をベストで生きるってことなんでしょうか・・・ > > と、私は思いました。
クリシュナムルティは、過去の記憶への囚われと未来への闇雲な不安を内的思考・心理的思考として、人間の心理的苦悩の元をそこに観ていたのでしょうね。 そうしたものから自由な時、洞察(智慧)が生まれるということみたいですね。 たしかに「今」にないと、良い発想は生まれないと思います。
「わたし」から生みだされる芸術・文化作品は、普遍的に人の心を打つものですね。 また、そうした分野だけではなく、言動などを含めて人間の活動のすべてのところで「わたし」から生み出される智慧にあふれたものに触れる時、人は心を動かされるのだろうな、とも思います。
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