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■8698 / inTopicNo.1)  Re[31]: マジモンさんへ
  
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/11/04(Wed) 17:28:49)
    No8696に返信(minoriさんの記事)
    > ■No8694に返信(マジカルモンキーさんの記事)
    >>■No8693に返信(minoriさんの記事)
    > >>マジモンさん、レスありがとうございます。
    > >>
    > >>
    > >>>>知能が高い人ほど厭世観を持つ、というのについては、どうかな。。。
    > >>>>知能と厭世観を持つか否かの相関関係があるとは、あまり思えないかな。
    >>>>
    >>>>反論いたします。
    >>>>
    >>>>人類は、
    >>>>人工知能(AI)はいつか人類を滅ぼずかもしれないと危惧しているわけですよね。
    >>>>これと同じで、知能が高い者が、厭世観を持つのは当たり前なのではなかろうか?
    >>>>と思います。
    > >>
    > >>人工知能(AI)はいつか人類を滅ぼすかもしれないという危惧。
    > >>そのことと、「知能が高い者が厭世観を持つのは当たり前」が結びつくというのが説明不足に思えます。
    > >>
    > >>ようするに。 「知能の高い者は、人工知能(AI)がいつか人類を滅ぼすかもしれないと危惧したりするので、厭世観を持ちやすい。」というのがマジモンさんの主旨なのかな。
    > >>それであれば、話の筋としては通ると思うのですが。
    > >>
    >>>>健常者が、何かを極めようしたときに、そこに喜怒哀楽、狂が必ずある。
    >>>>喜怒哀楽もなく狂もなく、何かを極めたというのなら、私は一切、信用はせず、
    >>>>仮に信用たる証拠を持ってきたのなら、私は障碍者(特殊な人)だなと判断致します。
    > >>
    > >>ちょっと分からない。。。すみません。
    >>
    >>
    >>monoriさん
    >>
    >>はい、こんにちわ、minoriさん
    >>
    >>最近思う事は女性の脳と男性の脳は大分違うんだなと思っています。
    >>
    >>まず、私が興味があるのは、minori様が行っている哲学
    >>「野生の思考」の呪術的な思考の部分です。
    >>
    >>人工知能は、もちろん頭脳が高いです。
    >>
    >>頭脳高い人工知能は、人類から危惧されています。
    >>
    >>その危惧は「人工知能はいつか人類を滅ぼすのではないか?」という内容です。
    >>
    >>では、頭の良い人間の場合は
    >>
    >>とくにIQの高い人間は、厭世観を持っていますよね。
    >>
    >>つまり、私は、
    >>
    >>人工知能が考えそうな人類滅亡計画と、IQの高い人間の厭世観は一緒ではないか?と言いたいのです。
    >
    > 人工知能が考えそうな人類滅亡計画 = IQの高い人間の厭世観
    > というふうに=で結べるのではないか? 
    > と言ってるのかな。
    >
    > とりあえず、↑で合ってるのかどうか、教えてくださいね。


    YES!

    人工知能が考えそうな人類滅亡計画 = IQの高い人間の厭世観 = 「野性の思考」の呪術的思考

    最後スレ、すまない。
引用返信/返信 削除キー/
■8696 / inTopicNo.2)  Re[30]: マジモンさんへ
□投稿者/ minori -(2020/11/04(Wed) 17:00:45)
    No8694に返信(マジカルモンキーさんの記事)
    > ■No8693に返信(minoriさんの記事)
    >>マジモンさん、レスありがとうございます。
    >>
    >>
    >>>>知能が高い人ほど厭世観を持つ、というのについては、どうかな。。。
    >>>>知能と厭世観を持つか否かの相関関係があるとは、あまり思えないかな。
    > >>
    > >>反論いたします。
    > >>
    > >>人類は、
    > >>人工知能(AI)はいつか人類を滅ぼずかもしれないと危惧しているわけですよね。
    > >>これと同じで、知能が高い者が、厭世観を持つのは当たり前なのではなかろうか?
    > >>と思います。
    >>
    >>人工知能(AI)はいつか人類を滅ぼすかもしれないという危惧。
    >>そのことと、「知能が高い者が厭世観を持つのは当たり前」が結びつくというのが説明不足に思えます。
    >>
    >>ようするに。 「知能の高い者は、人工知能(AI)がいつか人類を滅ぼすかもしれないと危惧したりするので、厭世観を持ちやすい。」というのがマジモンさんの主旨なのかな。
    >>それであれば、話の筋としては通ると思うのですが。
    >>
    > >>健常者が、何かを極めようしたときに、そこに喜怒哀楽、狂が必ずある。
    > >>喜怒哀楽もなく狂もなく、何かを極めたというのなら、私は一切、信用はせず、
    > >>仮に信用たる証拠を持ってきたのなら、私は障碍者(特殊な人)だなと判断致します。
    >>
    >>ちょっと分からない。。。すみません。
    >
    >
    > monoriさん
    >
    > はい、こんにちわ、minoriさん
    >
    > 最近思う事は女性の脳と男性の脳は大分違うんだなと思っています。
    >
    > まず、私が興味があるのは、minori様が行っている哲学
    > 「野生の思考」の呪術的な思考の部分です。
    >
    > 人工知能は、もちろん頭脳が高いです。
    >
    > 頭脳高い人工知能は、人類から危惧されています。
    >
    > その危惧は「人工知能はいつか人類を滅ぼすのではないか?」という内容です。
    >
    > では、頭の良い人間の場合は
    >
    > とくにIQの高い人間は、厭世観を持っていますよね。
    >
    > つまり、私は、
    >
    > 人工知能が考えそうな人類滅亡計画と、IQの高い人間の厭世観は一緒ではないか?と言いたいのです。

    人工知能が考えそうな人類滅亡計画 = IQの高い人間の厭世観
    というふうに=で結べるのではないか? 
    と言ってるのかな。

    とりあえず、↑で合ってるのかどうか、教えてくださいね。


引用返信/返信 削除キー/
■8694 / inTopicNo.3)  Re[29]: マジモンさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/11/04(Wed) 15:23:40)
    No8693に返信(minoriさんの記事)
    > マジモンさん、レスありがとうございます。
    >
    >
    > >>知能が高い人ほど厭世観を持つ、というのについては、どうかな。。。
    > >>知能と厭世観を持つか否かの相関関係があるとは、あまり思えないかな。
    >>
    >>反論いたします。
    >>
    >>人類は、
    >>人工知能(AI)はいつか人類を滅ぼずかもしれないと危惧しているわけですよね。
    >>これと同じで、知能が高い者が、厭世観を持つのは当たり前なのではなかろうか?
    >>と思います。
    >
    > 人工知能(AI)はいつか人類を滅ぼすかもしれないという危惧。
    > そのことと、「知能が高い者が厭世観を持つのは当たり前」が結びつくというのが説明不足に思えます。
    >
    > ようするに。 「知能の高い者は、人工知能(AI)がいつか人類を滅ぼすかもしれないと危惧したりするので、厭世観を持ちやすい。」というのがマジモンさんの主旨なのかな。
    > それであれば、話の筋としては通ると思うのですが。
    >
    >>健常者が、何かを極めようしたときに、そこに喜怒哀楽、狂が必ずある。
    >>喜怒哀楽もなく狂もなく、何かを極めたというのなら、私は一切、信用はせず、
    >>仮に信用たる証拠を持ってきたのなら、私は障碍者(特殊な人)だなと判断致します。
    >
    > ちょっと分からない。。。すみません。


    monoriさん

    はい、こんにちわ、minoriさん

    最近思う事は女性の脳と男性の脳は大分違うんだなと思っています。

    まず、私が興味があるのは、minori様が行っている哲学
    「野生の思考」の呪術的な思考の部分です。

    人工知能は、もちろん頭脳が高いです。

    頭脳高い人工知能は、人類から危惧されています。

    その危惧は「人工知能はいつか人類を滅ぼすのではないか?」という内容です。

    では、頭の良い人間の場合は

    とくにIQの高い人間は、厭世観を持っていますよね。

    つまり、私は、

    人工知能が考えそうな人類滅亡計画と、IQの高い人間の厭世観は一緒ではないか?と言いたいのです。
引用返信/返信 削除キー/
■8693 / inTopicNo.4)  Re[28]: マジモンさんへ
□投稿者/ minori -(2020/11/04(Wed) 13:13:38)
    マジモンさん、レスありがとうございます。


    >>知能が高い人ほど厭世観を持つ、というのについては、どうかな。。。
    >>知能と厭世観を持つか否かの相関関係があるとは、あまり思えないかな。
    >
    > 反論いたします。
    >
    > 人類は、
    > 人工知能(AI)はいつか人類を滅ぼずかもしれないと危惧しているわけですよね。
    > これと同じで、知能が高い者が、厭世観を持つのは当たり前なのではなかろうか?
    > と思います。

    人工知能(AI)はいつか人類を滅ぼすかもしれないという危惧。
    そのことと、「知能が高い者が厭世観を持つのは当たり前」が結びつくというのが説明不足に思えます。

    ようするに。 「知能の高い者は、人工知能(AI)がいつか人類を滅ぼすかもしれないと危惧したりするので、厭世観を持ちやすい。」というのがマジモンさんの主旨なのかな。
    それであれば、話の筋としては通ると思うのですが。

    > 健常者が、何かを極めようしたときに、そこに喜怒哀楽、狂が必ずある。
    > 喜怒哀楽もなく狂もなく、何かを極めたというのなら、私は一切、信用はせず、
    > 仮に信用たる証拠を持ってきたのなら、私は障碍者(特殊な人)だなと判断致します。

    ちょっと分からない。。。すみません。
引用返信/返信 削除キー/
■8688 / inTopicNo.5)  Re[27]: マジモンさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/11/04(Wed) 09:23:40)
    おはようございます、minori様

    「野性の思考」の呪術的思考はよく理解できました。
    文化の事を言っているわけですね。



    > 知能が高い人ほど厭世観を持つ、というのについては、どうかな。。。
    > 知能と厭世観を持つか否かの相関関係があるとは、あまり思えないかな。

    反論いたします。

    人類は、
    人工知能(AI)はいつか人類を滅ぼずかもしれないと危惧しているわけですよね。
    これと同じで、知能が高い者が、厭世観を持つのは当たり前なのではなかろうか?
    と思います。

    健常者が、何かを極めようしたときに、そこに喜怒哀楽、狂が必ずある。
    喜怒哀楽もなく狂もなく、何かを極めたというのなら、私は一切、信用はせず、
    仮に信用たる証拠を持ってきたのなら、私は障碍者(特殊な人)だなと判断致します。
引用返信/返信 削除キー/
■8686 / inTopicNo.6)  マジモンさんへ
□投稿者/ minori -(2020/11/04(Wed) 08:48:50)
    No8682に返信(マジカルモンキーさんの記事)

    マジモンさん、おはようございます。

    > 「野生の思考」の呪術的思想の所が非常に興味があるんですよね。

    レヴィストロースの『野生の思考』での呪術的思考というのは、呪術という言葉から現代人がイメージしやすいおどろおどろしいものとはちょっと違うものなんです。
    科学的思考は、仮説を立ててそれを検証していくという方法に際して、最初は具体物から入ったとしても、数値化されるものに信憑性を置き検証されていくに対して、
    未開といわれた地の原住民の思考(呪術的思考)は、身の回りの具体物(自然)から、目についたものを直感的に取り入れて考えていく方法だと、レヴィストロースはしたようなんです。
    呪術的思考では、具体物をどんどん増やしその具体物を通してのみ思考していく、という特徴があるとしたようです。

    ただ、レヴィストロースは、呪術的思考をけして劣ったものとだけ考えていたのではないんですね。
    そのあたりについては、これから読んで進めていこうと思っています。

    > IQの高い犯罪者っているじゃないですか?
    >
    > 例えば、飛び級で進学してしまうような人間は、
    > どこまで飛ぶの?と思うわけです。
    > 知能が高い人ほど、厭世観を持っていますよね?
    >
    > 言葉にすると難しいですが、そういう事です。

    IQの高い犯罪者、いると思います。
    完全犯罪をしそうですね。

    知能が高い人ほど厭世観を持つ、というのについては、どうかな。。。
    知能と厭世観を持つか否かの相関関係があるとは、あまり思えないかな。
    どんな環境にいるか、性格傾向、物の観方、セロトニンの量とか。
    そのあたりが関係してくるように思えるかな。

    このあたりについてのマジモンさんの思うところについて、また、マジモンさんの自論でもいいので、このトピで書いてみたいことがあればそうしてくださいね。


    『野生の思考』の読解はこれからも少しずつしていきますよ。^^
    新しい知識を知るのは楽しいし、その知ったことを記録する文章を作ってみるのも脳の活性化にいいと思うから。

    マジモンさんみたいに、ほとばしるように文章が書けたら、書くということが楽しさで一杯なんだろうな、とマジモンさんの文章を拝見して思うことがあるよ。
    私は表現力のなさに苦心するところが多々あるけれど、それでも、ネットで文章を書き始めた昔(もう、昔という言い方が合ってるかな)よりはだいぶマシになってるかな、と自分では思ってます。


引用返信/返信 削除キー/
■8682 / inTopicNo.7)  Re[25]: minoriさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/11/03(Tue) 23:54:22)
    minoriさんへ

    「野生の思考」の呪術的思想の所が非常に興味があるんですよね。

    IQの高い犯罪者っているじゃないですか?

    例えば、飛び級で進学してしまうような人間は、
    どこまで飛ぶの?と思うわけです。
    知能が高い人ほど、厭世観を持っていますよね?

    言葉にすると難しいですが、そういう事です。


引用返信/返信 削除キー/
■8676 / inTopicNo.8)  minoriさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/11/03(Tue) 21:52:30)
    minoriさんへ

    私、正直、楽しんで貴方様の論読んでますよ。

    「呪術」の部分に興味津々。
引用返信/返信 削除キー/
■8580 / inTopicNo.9)  Re[23]: 「場所的論理と宗教的世界観」
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/31(Sat) 21:36:21)
    No8555に返信(minoriさんの記事)
    > ■No8551に返信(knowing itselfさんの記事)
    >
    > knowing itselfさん、レスありがとうございます。
    >
    >>>>引用開始
    >>>>
    >>>>我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。これは我々の自己の自覚的事実である。自己自身の自覚の事実について、深く反省する人は、何人も此に気附かなければならない。鈴木大拙はこれを霊性という(日本的霊性)。而して精神の意志の力は、霊性に裏附すけられることによって、自己を超越するといっている。(「場所的論理と宗教的世界観」『西田幾多郎哲学論集V』
    >>>>
    >>>>引用終わり
    >>>>
    >>>>西田幾多郎の代表作とされる論文からの引用だが、これは第五図に相当すると思う。
    > >>
    > >>
    >>>>我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。
    > >>
    > >>これは、スクリーンという言葉で表されるものと同じものを指していると考えていいのでしょうか?
    > >>
    > >>スクリーンに映し出されるものではなく、スクリーンそのものが文中の「意識的自己を超えたもの」に当たるのだと思うのですが、いかがでしょう。
    >>
    >>
    >>西田幾多郎はもちろんスクリーンという語を使っていませんが、自己の根底にあるものを「絶対無の場所」と呼んでいます。そして、「我々の心は最後に於いて唯、映す鏡と考えられる」といっています。「映す無」が西田哲学の独自性だと思います。
    >
    > 自己の根底にあるものを「絶対無の場所」と呼んだ、ということですね。

    カント以降の哲学者は、カントの「物自体」を乗り越えるチャレンジをせざるをえなくなったといわれますが、「絶対無の場所」にもそういうところがあります。

    西田幾多郎はカントよりはわかりやすいと思います。


    > >>そして。第五図=スクリーンでもあるということで。
    >>
    >>第五図=スクリーン=絶対無の場所。西田幾多郎的にはこうなるでしょう。
    >
    > はい。
    >
    > 西田幾多郎の文章は見る限り難しすぎて、私が自分一人で読んだとしても理解できる部分はごくわずかだと思います。
    > というわけで、自分で本を買って読もうとはとてもとても。。。
    > 純粋経験と主客未分のあたりはなんとか理解できますが・・・。
引用返信/返信 削除キー/
■8555 / inTopicNo.10)  Re[22]: 「場所的論理と宗教的世界観」
□投稿者/ minori -(2020/10/31(Sat) 11:48:21)
    No8551に返信(knowing itselfさんの記事)

    knowing itselfさん、レスありがとうございます。

    > >>引用開始
    > >>
    > >>我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。これは我々の自己の自覚的事実である。自己自身の自覚の事実について、深く反省する人は、何人も此に気附かなければならない。鈴木大拙はこれを霊性という(日本的霊性)。而して精神の意志の力は、霊性に裏附すけられることによって、自己を超越するといっている。(「場所的論理と宗教的世界観」『西田幾多郎哲学論集V』
    > >>
    > >>引用終わり
    > >>
    > >>西田幾多郎の代表作とされる論文からの引用だが、これは第五図に相当すると思う。
    >>
    >>
    > >>我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。
    >>
    >>これは、スクリーンという言葉で表されるものと同じものを指していると考えていいのでしょうか?
    >>
    >>スクリーンに映し出されるものではなく、スクリーンそのものが文中の「意識的自己を超えたもの」に当たるのだと思うのですが、いかがでしょう。
    >
    >
    > 西田幾多郎はもちろんスクリーンという語を使っていませんが、自己の根底にあるものを「絶対無の場所」と呼んでいます。そして、「我々の心は最後に於いて唯、映す鏡と考えられる」といっています。「映す無」が西田哲学の独自性だと思います。

    自己の根底にあるものを「絶対無の場所」と呼んだ、ということですね。


    >>そして。第五図=スクリーンでもあるということで。
    >
    > 第五図=スクリーン=絶対無の場所。西田幾多郎的にはこうなるでしょう。

    はい。

    西田幾多郎の文章は見る限り難しすぎて、私が自分一人で読んだとしても理解できる部分はごくわずかだと思います。
    というわけで、自分で本を買って読もうとはとてもとても。。。
    純粋経験と主客未分のあたりはなんとか理解できますが・・・。
引用返信/返信 削除キー/
■8551 / inTopicNo.11)  Re[21]: 「場所的論理と宗教的世界観」
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/31(Sat) 10:46:03)
    No8527に返信(minoriさんの記事)
    > 2020/10/31(Sat) 07:38:59 編集(投稿者)
    >
    > ■No8523に返信(knowing itselfさんの記事)
    >>こんばんは。
    >>
    >>引用開始
    >>
    >>我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。これは我々の自己の自覚的事実である。自己自身の自覚の事実について、深く反省する人は、何人も此に気附かなければならない。鈴木大拙はこれを霊性という(日本的霊性)。而して精神の意志の力は、霊性に裏附すけられることによって、自己を超越するといっている。(「場所的論理と宗教的世界観」『西田幾多郎哲学論集V』
    >>
    >>引用終わり
    >>
    >>西田幾多郎の代表作とされる論文からの引用だが、これは第五図に相当すると思う。
    >
    >
    >>我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。
    >
    > これは、スクリーンという言葉で表されるものと同じものを指していると考えていいのでしょうか?
    >
    > スクリーンに映し出されるものではなく、スクリーンそのものが文中の「意識的自己を超えたもの」に当たるのだと思うのですが、いかがでしょう。


    西田幾多郎はもちろんスクリーンという語を使っていませんが、自己の根底にあるものを「絶対無の場所」と呼んでいます。そして、「我々の心は最後に於いて唯、映す鏡と考えられる」といっています。「映す無」が西田哲学の独自性だと思います。


    > そして。第五図=スクリーンでもあるということで。

    第五図=スクリーン=絶対無の場所。西田幾多郎的にはこうなるでしょう。

    > ・・・・・
    >  スクリーン、スクリーン言ってるけどそれ何?って思って見てる人もいるかもしれないので、この投稿で書いてみます。
    > 私たち・世界が存在していると見えていることの基盤、がスクリーンの意味です。
    > 基盤は変わらず主体(言い表すに主体という言葉を使えばですが。)として在り、そこに世界・私たちが見えている、ということを言い表すにスクリーンという言葉を使っています。
    >
引用返信/返信 削除キー/
■8527 / inTopicNo.12)  Re[20]: 「場所的論理と宗教的世界観」
□投稿者/ minori -(2020/10/30(Fri) 21:06:48)
    2020/10/31(Sat) 07:38:59 編集(投稿者)

    No8523に返信(knowing itselfさんの記事)
    > こんばんは。
    >
    > 引用開始
    >
    > 我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。これは我々の自己の自覚的事実である。自己自身の自覚の事実について、深く反省する人は、何人も此に気附かなければならない。鈴木大拙はこれを霊性という(日本的霊性)。而して精神の意志の力は、霊性に裏附すけられることによって、自己を超越するといっている。(「場所的論理と宗教的世界観」『西田幾多郎哲学論集V』
    >
    > 引用終わり
    >
    > 西田幾多郎の代表作とされる論文からの引用だが、これは第五図に相当すると思う。


    > 我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。

    これは、スクリーンという言葉で表されるものと同じものを指していると考えていいのでしょうか?

    スクリーンに映し出されるものではなく、スクリーンそのものが文中の「意識的自己を超えたもの」に当たるのだと思うのですが、いかがでしょう。

    そして。第五図=スクリーンでもあるということで。

    ・・・・・
     スクリーン、スクリーン言ってるけどそれ何?って思って見てる人もいるかもしれないので、この投稿で書いてみます。
    私たち・世界が存在していると見えていることの基盤、がスクリーンの意味です。
    基盤は変わらず主体(言い表すに主体という言葉を使えばですが。)として在り、そこに世界・私たちが見えている、ということを言い表すにスクリーンという言葉を使っています。

引用返信/返信 削除キー/

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