| > 人間の認識には誤謬や錯誤が伴いますが、それが創造(生成)の原動力となる。 > 認識が絶対的な認知であれば、そこで意味や価値や目的は固定化、普遍化されます。 > つまり誤謬や錯誤は果てしなき解釈によって無限の可能性を示すもので、世界は無限の解釈を内に含む魅力的なかつ好奇心の帆を上げて船出するに相応しい大海原になるというような発想です。 > > 万人がそれぞれの生や世界の創造者であり、それが人として生まれた特権でもあるというようなことへの賛歌です。 > これを委縮させ、画一化し、家畜(畜群)のような没個性を強いるキリスト教的善悪二元論道徳を破壊(否定)しました。
まさに、ハイデガーの現存在やガダマーの地平の融合の解釈学のように実存的な 解釈は、対象や他者との会話、循環の無限運動のように汲めども尽きぬもので、 ニーチェも、生きることは、固定的な意味の解釈ではない、自分が他者のテクストから働きかけられて、常に脱自し超越していく永遠回帰な無限運動だと見ていたのかもしれませんね。
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