| ■10670、パニチェさま
>実存主義(人間の存在や生を哲学の中心におく思想)、生の哲学と呼ばれる所以でもある。< っていうところわかりやすいです。ありがとうございます。 わたしなりにすると、〈人間の存在や生を哲学の中心におく思想――生の哲学〉。
ニーチェは【最も誤った判断(それには《先天的》綜合判断も属する)】(わたしが持ってる本では「先天的」に《 》がついてます。もっともこれは訳者が付けたのかもしれませんが。)って言っていますが(「先天的総合判断」っていうのはカントのだと思うけど)、これをわたしが言いかえると「《先天的》総合判断は、最も誤った判断に属する」ってなります。 でもいまのところ、どこがどのようにどのようなことからカントの《先天的》総合判断が誤った判断であると、ニーチェが判断しているのか、っていうところがわたしにはわかんない。私(ニーチェ)は、実存主義で生の哲学をしたいと思っているから、っていうんじゃないとは思うんだけど。 「先天的」っていうのが問題なんかな?この「先天的」については「哲学者の先入観について4」の前の「3」から見て見ようと思ってます。
パニチェさまが「哲学者の先入観について4」で「−―」で省いたところ、わたしの本では【或る判断の誤りは、われわれにとってなお判断に対する抗議ではない。こう言えば、われわれの新しい言い方は恐らく極めて異様に響くかもしれない。問題になるのは、それがどれほど生を促進し、生を保持し、種族を保持し、のみならず恐らくは種族を訓育しさえするか、ということである。そこで、われわれは原則的にこう主張したいのだ。すなわち、】ってなってる。 このところから見ると、「カントの《先天的》総合判断が誤った判断ではあるが、その誤りはわれわれにとってなお判断に対する抗議ではない。」って言ってるようにもわたしには見える。
「哲学者の先入観について4」でわたしが注目したのは、ニーチェにとって【問題になるのは、それがどれほど生を促進し、生を保持し、種族を保持し、のみならず恐らくは種族を訓育しさえするか、ということである。】 っていうところです。これが〈生のフィロソフィア〉につながったのでした。
このつづきはWhat do you Want to do?のところで、デカルトの、がひと段落したら書こうと思いま〜す。
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