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■9825 / inTopicNo.13)  時さんへ
  
□投稿者/ pipit -(2020/12/07(Mon) 20:48:16)
    No9810 時さんへ

    こんばんは。書き込みありがとうございます!

    > 自己チェックとしては、歓喜はもとより喜びが沸き起こったときには注意が必要だと思います。
    >
    > いかなるものが「苦の生起という聖なる真理(集聖諦)」なのでしょうか。
    > 歓喜あるそこかしこにおける、再生をもたらし、喜悦の貪りをともなう渇愛です。(長22)との記載があります。<

    この箇所のフレーズ、印象深くて、心に残っています。
    手持ちの片山先生訳では、『ここかしこで歓喜する渇愛』というフレーズで訳されていて、
    臨場感あふれるというか(^^;)



    > 四聖諦(苦聖諦・集聖諦・滅聖諦・道聖諦)の中の苦の原因(集聖諦)は、一言でいうならば、(喜悦の貪りをともなう)渇愛の事ですね。<
    > 十二支縁起(無明・諸行・識・名色・六処・触・受・渇愛・取・有・生・老死)の中で、(触・受・渇愛・取)と言う並びがありますが、何がしかに接触したときに、なにがしかの感受(楽・苦・不苦不楽)の一つが心の中で沸き起こります。そして「受」の次には渇愛(欲望)、取(執着)が来ていますね。<

    はい。

    > 以前に少しお話をしたと思いますが、受の生起と滅尽の直前の触の生起と滅尽を遍く知れば・・・と言うのがこのあたりのことになります。<


    時さんから様々な応援をいただいていますが、
    何かの見解に触れた時、その見解の内容ではなく、自分の内に起こる受を見るといい、
    と教えていただいたこと(曲解してたらすみません)は、
    私にとってとても貴重なアドバイスとなっています。
    ありがとうございます(^ ^)


    > 勿論、日常の生活の中で喜んではいけないと言う事ではなくて、その(喜びの生起)時には、苦の元の生起がありますよと言うのも仏陀の教えの一つとなるでしょうか。瞬間的にあることで喜んでしまいつつも、それ(苦の生起)だと言う事に気が付いている状態です。
    >
    > 仏典でも知る限りは、仏陀が「談笑した」「笑った」と言う表現での記載はなく、「微笑んだ」と言う表現が3経典に記載がされているだけですので、仏陀は、ほとんど笑わなかったのだろうと”想像”します。<


    思い出したのが、ダンマパダ146とその因縁譚です。

    ダンマパダ146
    『何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?ーー世間は常に燃え立っているのにーー。汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか?』

    因縁譚はうろ覚えなのですが、旦那さんたちの宴会終了後、片付けながら残ってたお酒を飲んで酔っ払ってる奥様たちを心配した大奥様が、釈尊に説法をお頼みして、釈尊が説かれた言葉、だった気がしてるのですが、もし勘違いしてたらすみません。

    ですが、この句と、ストーリーを思い出しました。


    > しかし、このような事柄を記憶する意味は全くありませんで、常に心が平静な状態を感じていられればそれで良いのではないでしょうか。仏典には、その静寂、平静さを獲得維持、継続できる方法が書かれているように思います。<

    実践が難しいのですが、やっぱり、生きてるうちに少しでも実践しなくちゃ、
    すごーーーーくもったいないですよね!

    あかんたれですが、できることをすこしずつでも、ひろげていきたいと思いました。

    時さん、本当にありがとうございます!
引用返信/返信 削除キー/
■9823 / inTopicNo.14)  Re[57]: ふと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/12/07(Mon) 20:11:18)
    悪を生みだしたのはブッダだったりキリスト。
    苦を生みだしたのは人間。
    悪も苦も存在しないのがヒト。
    でも私、ヒトじゃない。人間。そこから逃れることはできない。
    そこでブッダやキリストは悪を生みだした。
    だから、私はブッダだったりキリストでもある。

    でも、私が私を見ようとするとき、私がブッダやキリストじゃダメなの。
    だから悪魔ちゃん。
引用返信/返信 削除キー/
■9810 / inTopicNo.15)  pipitさんへ
□投稿者/ 時 -(2020/12/07(Mon) 09:22:08)
    pipitさんへ

    おはようございます。返信をありがとうございます。

    > 自分のしている思考が、滅苦につながるのか、増苦につながるのかは、常に自己チェックするのが理想なんだろうなぁと、思いました

    自己チェックとしては、歓喜はもとより喜びが沸き起こったときには注意が必要だと思います。

    いかなるものが「苦の生起という聖なる真理(集聖諦)」なのでしょうか。
    歓喜あるそこかしこにおける、再生をもたらし、喜悦の貪りをともなう渇愛です。(長22)との記載があります。

    四聖諦(苦聖諦・集聖諦・滅聖諦・道聖諦)の中の苦の原因(集聖諦)は、一言でいうならば、(喜悦の貪りをともなう)渇愛の事ですね。

    十二支縁起(無明・諸行・識・名色・六処・触・受・渇愛・取・有・生・老死)の中で、(触・受・渇愛・取)と言う並びがありますが、何がしかに接触したときに、なにがしかの感受(楽・苦・不苦不楽)の一つが心の中で沸き起こります。そして「受」の次には渇愛(欲望)、取(執着)が来ていますね。

    以前に少しお話をしたと思いますが、受の生起と滅尽の直前の触の生起と滅尽を遍く知れば・・・と言うのがこのあたりのことになります。

    勿論、日常の生活の中で喜んではいけないと言う事ではなくて、その(喜びの生起)時には、苦の元の生起がありますよと言うのも仏陀の教えの一つとなるでしょうか。瞬間的にあることで喜んでしまいつつも、それ(苦の生起)だと言う事に気が付いている状態です。

    仏典でも知る限りは、仏陀が「談笑した」「笑った」と言う表現での記載はなく、「微笑んだ」と言う表現が3経典に記載がされているだけですので、仏陀は、ほとんど笑わなかったのだろうと”想像”します。

    しかし、このような事柄を記憶する意味は全くありませんで、常に心が平静な状態を感じていられればそれで良いのではないでしょうか。仏典には、その静寂、平静さを獲得維持、継続できる方法が書かれているように思います。
引用返信/返信 削除キー/
■9804 / inTopicNo.16)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2020/12/07(Mon) 07:00:01)
    No9795に返信(pipitさんの記事)
    No.9757
    時さん、こんばんは。書き込みいただき、すごく嬉しいです(o^^o) ありがとうございます!

    妄執想の原語は何だろう?と、光明寺経蔵さんのサイトで経文を読ませていただきました。

    パーリ語の記号は記入はできないのですが、

    papancasannasankhaya

    なんですね!
    パパンチャ サンニャー サンカーヤ

    パパンチャは、サンスクリット語では、プラパンチャになるのかな?
    サンニャーは単体では想と日訳されてて、概念とかそんな意味かな?


    papancasannasankhaya → vitakke(尋、大まかな思考)→

    chande(欲)→ piyappiyan(スキキライ)

    かぁ。。。

    英訳ではpapancasannasankhayaをどう訳してるのかな、と思って、見てみると、『the perceptions & categories of objectification(客体化の知覚とカテゴリー?)』とあって、そんな認識生成の原点を、papancasannasankhayaの訳語に当てるなんて、厳しいな〜と思いました。分別から客体を作り出す働きっぽいところを意図してるのかな??


    『When the perceptions & categories of objectification exist, thinking comes into being. When the perceptions & categories of objectification are not, it doesn't.』

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/dn/dn.21.2x.than.html


    ちょっと興味が出て脇道にそれてしまいましたが、

    自分のしている思考が、滅苦につながるのか、増苦につながるのかは、常に自己チェックするのが理想なんだろうなぁと、思いました、、、けど、ほとんど増苦の思考ばっかりな気もします_| ̄|○

    あかんたれなpipit です。。。

    時さん、本当にありがとうございます。

    『妄執想(妄想が高じて、ある特定の考えに囚われてしまう事)』という言葉を、気をつけないといけないよ、という意味での、わたしの心のおまもりにできたらいいな、したいな、と、思いました。

    でも、、、あかんたれです〜_| ̄|○

引用返信/返信 削除キー/
■9757 / inTopicNo.17)  pipitさんへ
□投稿者/ 時 -(2020/12/06(Sun) 10:39:33)
    No9735 pipitさんへ

    こんにちは。横レス失礼します。

    > あ、そういえば、仏教の経典で、考えても考え終わらず心が狂気になる、と説かれている四つの思考対象があるのを、マジモンさんのコメントで思い出しました。
    > マジモンさん、ありがとー

    > ブッダとは何ですか?考えても終わりがない。
    > 禅定とは何ですか?考えることが不可能。
    > 業と過去は考えても終わりがない。
    > 世間(ローカ・・・生命・宇宙)の考察も思考し尽くせない。
    > これら四つのことを思考する人の心は狂気に陥ってしまう。

    増支部4-77に記載がある四つの狂気に陥る思考の一つ目とは、当時も当時以前の悟った者たちには、思考すべきではないその境涯(人がこの世に生きてゆく上での立場)があり、二つ目は、禅定者のその境涯があり、三つめは、業(三行)の異熟(過去の善悪によって得た現在の果報)について、四つ目は、世界に関する思惟があるということですね。

    つまりは、仏陀のこの世での立場、禅定者の立場、過去の行いによる現在の結果、そして世界についての思考や考察は、考えても終わりがありませんので思考すべきではないと言う意味だろうと思います。つまり、これらは無記に属するものでしょう。

    無記とは、涅槃体現に役に立たない事柄を言います。そしてこの無記の事柄を思考し続けると、涅槃体現までに命終を迎えるだろうと言う事です。

    仏陀とは、覚者であり、苦の終焉を迎えた者たちの事です。
    禅定とは、苦の終焉に向かうべく行われる、心の統一の事でしょうか。
    業と過去の事柄は、ある神通を会得するしか見通せないようですので、現行ではやはり無記であり、現世では無関係の事柄ですね。

    世間とは、壊れるゆえに世間と言うようです。六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)六境(色・音・香・味・触・法)受(楽・苦・不苦不楽)等々、一切は生じては滅しますので、壊れる(ルッジャティ)ゆえに世間(ローカ)だと記載があります。(相応部35-82)

    四禅定(正定)での瞑想は、有尋有伺定や無尋無伺定が使われますが、これはその字のごとく「尋」と「伺」があるかないかですね。

    嫉妬・吝嗇(物惜しみ)の原因は 愛憎(愛することと憎むこと)です。
    愛憎の原因は、欲(渇愛)です。
    欲の原因は、尋(大まかな考察)です。
    尋の原因は、妄執想(妄想が高じて、ある特定の考えに囚われてしまう事)です。(長部21経)

    ですので、禅定ではこの妄執想(尋の原因)を滅尽するために四念処(正念)と組み合わせて尋(伺)をなくしていきます。ですので、初禅の入り口では、有尋有伺定で、それ以降は無尋無伺定となるのですね。

    先の四つの考えても考え終わらない事柄は、「尋」の原因の妄執想(妄想が高じて、ある特定の考えに囚われてしまう事)ですので、無記でしょう。

    逆に表現すると、これらを思考し続けると言う事は、仏陀の教え(仏教)とは正反対のことを行う事になりそうですね。なぜならば、これらの妄執想から尋(伺)を継続すると言う事は、その結果である「欲=渇愛=苦の原因」を生み出すからです。
引用返信/返信 削除キー/
■9753 / inTopicNo.18)  Re[53]: なぜ存在はあるのか
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/12/06(Sun) 09:36:10)

    今までわかっている宇宙物理学で推測すると、
    二次元が青、四次元が赤ならば、三次元は紫といった具合なのだと思う。
    宇宙の外にあるのが、四次元世界で、その産物がどんどんと三次元世界の
    この宇宙に流入してる形かなと思う。
    この今は二次元ですから、二次元の窓から、冷気が伝わるように、
    四次元の産物が流入しているのではないか?と思われる。

    でなければ、この美しい世界は説明できないと思う。
    悪魔ちゃんが、下の画像に、【Q軸を付ければ、4次元になる】と言ったが
    【Q軸を付ければ】ではなく、【Q軸を描けるスペースが既にある】わけで、
    不可視が可視になっただけの事。



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■9747 / inTopicNo.19)  Re[52]: なぜ存在はあるのか
□投稿者/ アートポット -(2020/12/05(Sat) 23:18:06)
    ワタクシは、自分の体内が宇宙の正体ではないかと考えてて
    宇宙と体内が無限ループしていると考えています

    ただ、それだと個の存在が疑わしくなってしまいます
    マジモン宇宙や、ピピット宇宙、みのり宇宙も存在するはずで
    矛盾が生じます

    それとは関係無いですが未来予知が出来る存在は確実に居る
    と思います

    近い将来に未来予知トピックを建てるかもしれませんが
    メビウス掲示板にてマジモンさんと議論終了しています
引用返信/返信 削除キー/
■9746 / inTopicNo.20)  Re[52]: なぜ存在はあるのか
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/12/05(Sat) 23:13:38)
    キティダニエルさんが
    【思考における無限の淵は何に収束されるか?】とおっしゃった。

    これも結構簡単に証明できると思う。
    思考とは、【論じて公表して評価を受けてまた論ずる】わけだから
    A3のコピー用紙を用意し、その中央から思考を広げていくとして、
    思考しきれない部分は、白紙になるわけだ。
    つまり、A3コピー用紙の中央には、文字がたくさん書かれているが、
    その淵には何も書かれていない。

    Pipitさんが、全ては無ではないのか?と★★思う★★のは、
    もともと、A3のコピー用紙は白紙であって、書かなければそれこそ無。

    すなわち、存在は、脳が関わっているのだ。

    そして、脳では理解できない部分、ここが量子論が関わるのだが
    みのりさんの言った、【宇宙の外】なんだけど、
    宇宙の外には少なくとも【量子】があって、
    その量子が、どんどんとマクロな世界に流入しているわけです。

    この宇宙にはエントロピーの法則があるにも関わらず、
    銀河が銀河を形成しているというのはオカシイ。

    ここで関わっているのは、人間の脳で、
    エントロピーの法則が関わっているのなら、
    普通は、銀河はバラバラになると★思う★の普通だろうが、
    事実はバラバラにならないという事で、
    銀河の周りの何も無いように見える部分には、何かが存在するわけで
    ま、それが【暗黒物質】と呼ばれるものだけど…。

    これは確か、証明されてニュースになっていた。
    しかし、ニュースキャスターが冗談半分に
    「 難しい事ですので、あまり考えないようにしましょう 」と言っていて爆笑した。

    ここで人間の脳に戻る。

    つまり、この実際の宇宙の法則と、
    脳で考える宇宙の法則には差があるという事。

    どう違うのか?
    実際の宇宙の法則は、まだ解き明かされていない部分があり
    脳で考える宇宙の法則は、
    人間が勝手に規則正しい法則を創造しているにすぎない。

    人間は美しいものが好きという事だ。
    そして、この人間が考える美しいものは、
    直感的に当たっており、実際に宇宙もかなり美しい。
    問題は実際の宇宙の美しさは、いったいどんな法則で美しさを保っているか?が
    未だ解明されていないんだね。
    人間の脳は、脳内で勝手に根拠もなく美しくしてしまう。
    精神の安定だよね。

    ここで、【思考における無限の淵は何に収束されるか?】に戻る。
    つまり、無限の淵は、美しいもので満たされている何かであるよね。
    昔の人は、地平線の向こうは滝になっており、
    亀が大地を背負って宇宙をさ迷っていると思っていたらしい。
    つまり、無限の淵には納得がいく神話や夢物語があるんじゃないか?
    でなければ、人間の精神は安定しないんじゃないかな。
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■9744 / inTopicNo.21)  Re[51]: なぜ存在はあるのか
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/12/05(Sat) 22:20:53)
    キティダニエルさんが、良い事言っていたんだな。
    どこに書いてあったか、今調べているが…。

    【 思考における無限の淵は何かに収束する 】的な事を。

    そしてPipitさんが、【 全ては無ではないか? 】と★思っている★

    で、ピースが全てハマりそうだ。

    品責で思う事は、真理なんてもんはなく、複数の法則が重なっているだけで、
    ま、重なっているのを物理学で表現すると一つの公式になるのかもしれないが、
    ハイデガーが絶妙な表現が正解な様な気がするな。

    ★★ 存在者が存在する ★★

    量子論、原猿ショショニアス(アプリオリ)で説明できるんじゃないか?
    やっぱり、マクロとミクロのお話になってくるね。
引用返信/返信 削除キー/
■9743 / inTopicNo.22)  みのりさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/12/05(Sat) 22:08:55)


    > 私は・・・仮に確実な事実を知ったとしたら、その時になってみないとどう自分が感じるかは想像できないです。
    > 今はただただ不思議でしかたないです。<

    みのりさんのこのコメント読んで、怖さが薄らぐ気持ちになります。少し落ち着きます。

    生命っておもしろいですね(o^^o)

    みのりさんに感謝です(^ ^)


引用返信/返信 削除キー/
■9742 / inTopicNo.23)  pipitさんへ
□投稿者/ みのり -(2020/12/05(Sat) 21:57:31)
    No9736に返信(pipitさんの記事)
    > こういう会話すごく楽しいですよ、私は全然いやじゃないです
    > 書き込みありがとうございます(o^^o)
    >
    >>でも、私たちや宇宙ってほんとに実在なんだろうか、という疑惑はどうしても消えないんですよね。
    >>pipitさんは、このことについて感じられたことはないですか?
    >>この質問なら届くかな。 <
    >
    > それは思いますよ。
    > 時々、すべて、無なのではないか、と、こわくなりそうになるけど、
    > こわいので、考えの方向を変えます。

    ありがとう〜。 質問の仕方が良くなくてお手間をおかけしました。<(_ _)>

    pipitさんは、こういうことを考えると怖くなるんですね。^^
    やはり、人それぞれで違うものですね。
    私は・・・仮に確実な事実を知ったとしたら、その時になってみないとどう自分が感じるかは想像できないです。
    今はただただ不思議でしかたないです。

引用返信/返信 削除キー/
■9741 / inTopicNo.24)  マジモンさんへ
□投稿者/ みのり -(2020/12/05(Sat) 21:50:22)
    No9733に返信(マジカルモンキーさんの記事)

    > 「宇宙の外に何かがあるのか?」というテーマも、
    > ちょっと危険なテーマだと思うが、これは証明されている。
    > だから、ほどほどにした方がいいかもしれない。

    さすがに私も年中こんなことばかり考えてるわけじゃないし、狂ってもいないと思うからそこは大丈夫よ。^^
    そもそも、考えて分かることではないというのだけは分かるし。

    同じような疑問を持ってる人がいないかどうか訊いてみたかっただけだから。
引用返信/返信 削除キー/

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