| 蠅壺にぶつかる蠅の喩えだと、蠅によってあらわされるのが言語ゲームでしょう。ちっぽけな一匹の蠅どころではなく、人間の行う総体が言語ゲーム、多重でダイナミックな人間的生の全体が言語ゲーム、森羅万象の中で生きる人間のすべてが言語ゲームというところまで射程は及んでいると思います。
永井的なヴィトゲンシュタインの場合、蠅壺の外はないんです。蠅壺で蠅がもがくのが言語ゲームだから、言語ゲームの外は何にもない。永井さんの内山漫画好みからいって、蠅壺は第五図とすれば符牒が合う。
わたしが出した喩え、手が壁をコンコンと叩くというのも、蠅壺にぶつかる蠅と同じ事態を表現しています。どちらも同じ一つの力が接触面で働いているだけです。力の方向は一見逆に見えるけれど。
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