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■8256 / inTopicNo.13)  Re[48]: 藁人形論法
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/10/24(Sat) 17:51:00)
    「怨念」の解消の仕方
    方法の一つしてはいいかも。

    でも、問題なのは怨念の発生ね。

    「観念」とか「信念」とか「念」にはいろいろあるみたいだし〜。
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■8248 / inTopicNo.14)  Re[47]: 藁人形論法
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/24(Sat) 17:09:08)
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■8245 / inTopicNo.15)  Re[46]: 藁人形論法
□投稿者/ ななし -(2020/10/24(Sat) 16:34:59)
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■8241 / inTopicNo.16)  藁人形論法
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/24(Sat) 15:28:14)
    藁人形論法というのは重要です。

    それはそうです。時間とエネルギーをかけて誰かを・何かを否定・批判する文章を書いたとしても、その誰か・何かに批判者が想定する否定要素がもともとまったくなかったとしたら?その否定の文章を書いた本人が気づいて教訓にすれば意味があったことになるが、延々と同じ否定・批判を続ける人も少なくない。こういうタイプはどれだけ本を読んでも、文章を書いても、議論しても、決して賢くはならない。


    藁人形論法からの自由度と知性は相関するように思う。

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■8215 / inTopicNo.17)  Re[27]: knowing itselfさんへ
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/24(Sat) 08:32:57)
    No8204に返信(マジカルモンキーさんの記事)
    > ■No8071に返信(knowing itselfさんの記事)
    >>マジカルモンキーさん おはようございます。はじめまして。
    >>
    > >>この宇宙は残酷であって、
    > >>宇宙服を着ないで、宇宙に飛び出せば死亡するに決まっているのです。
    > >>つまり人の根底・土台が絶望という文字で表せるものであって、
    > >>絶望と言う文字で表せるものにも個体差があるという事と感じます。
    >>
    >>なかなか深い表現だと思います。
    >
    > はじめまして、こんばんわ、マジモンです。
    > 大分前の投稿ですが、評価していただきありがとうございます。
    >
    > 私、思考すると、視野が狭くなってしまうので、返信遅れて、ごめんなさい。

    おはようございます マジモンさん

    思考は狭さを本質としています。どんな知識人、大天才でもこの本質から逃れられないと思います。

    自覚できるだけでたいしたもんです。


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■8204 / inTopicNo.18)  knowing itselfさんへ
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/10/23(Fri) 23:51:14)
    No8071に返信(knowing itselfさんの記事)
    > マジカルモンキーさん おはようございます。はじめまして。
    >
    >>この宇宙は残酷であって、
    >>宇宙服を着ないで、宇宙に飛び出せば死亡するに決まっているのです。
    >>つまり人の根底・土台が絶望という文字で表せるものであって、
    >>絶望と言う文字で表せるものにも個体差があるという事と感じます。
    >
    > なかなか深い表現だと思います。

    はじめまして、こんばんわ、マジモンです。
    大分前の投稿ですが、評価していただきありがとうございます。

    私、思考すると、視野が狭くなってしまうので、返信遅れて、ごめんなさい。

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■8190 / inTopicNo.19)  昼間あるけば、人はつまずくことはない。
□投稿者/ ななし -(2020/10/23(Fri) 20:23:35)
    イエス様の言動には、不思議なことが多いのですが、ラザロの復活の前のヨハネによる福音書11章には、次のように表されています。

    8節 弟子たちは言った、「先生、ユダヤ人らが、さきほどもあなたを石で殺そうとしていましたのに、またそこに行かれるのですか」。

    9節 イエスは答えられた、「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。

    10節 しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないからである」。

    この謎だらけの譬え、これって、単純に時計の話をしているのではないですね。

    いったい何を語られているのでしょうか。

    第一に、ご自分の地上にいる時が限られていること、したがって「今でなくて次の機会に」というようなことは言っておられないのを示された。 

    第二に、このことと或る面で共通する意味で言っておられるのは12章35節36節であるから、そこを見たい。

    「もうしばらくの間、光りはあなた方と一緒にここにある。光りがある間に歩いて、闇に追いつかれないようにしなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分かっていない。光りのある間に、光りの子となるために、光りを信じなさい」。

    今でなくても良いではないかと弟子たちが言うのに対して、そんなことでは夜が来てしまうではないかと言われる。

    その光りとは信仰である。そして信じないことが躓きなんですね。 

    ここまでは、教会の通説ですが、私は、さらに、次のように感じました。

    それは、イエス様が、限られた時間の中で、この光の信仰心を、ラザロの姉妹や弟子たち、その他、民衆にも届けたいという暖かな心から危ないと言われるユダヤに行こうとされたのだと思います。

    なぜなら、イエス様のこの地上での働きの時間は限られているからで、

    やがて光の無い夜を迎えねばならないからです。

    だから、ユダヤ人たちを恐れることなく、ベタニアに行かねばならないわけです。

    出発を二日間遅らせたのは あえてラザロが、しっかり亡くなった後に蘇りの奇跡により弟子や民衆の信仰心を呼び覚まそうとしたからだと思います。

    それは、死者を復活させることなど神には朝飯前だからでしょう。

    これこそ、神から届けられた信仰心の復活ともいえるかなと思います。
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■8185 / inTopicNo.20)  聖なる愚か者
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/23(Fri) 19:31:32)
    「パルジファル」と「フォレストガンプ」の共通テーマは、主人公が聖なる愚か者ということです。聖なる愚か者は他者の苦しみに共感できるようになっていくというストーリー。ラストにも類似性があるかもしれない。パクリかもね。


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■8170 / inTopicNo.21)  Re[43]: 信仰とは何か
□投稿者/ ななし -(2020/10/23(Fri) 08:01:08)
    マリアと出会われた時の主イエスの反応がヨハネの福音書第11章35節以下に記されています。

    「イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して言われた『どこに葬ったのか。』彼らは、『主よ、来て、ご覧ください』と言った。イエスは涙を流された」。

    この箇所の教会の通説としては、死の力が、マルタやマリアから、主イエスに対する信仰をも奪い去り、人々と神様と引き離そうとしていることに憤られたとされています。

    つまり、主イエスが、私たちを支配する死の力と向かい合い、それと戦おうとされたからラザロを襲う死の力と対峙している死の力に対する憤りと、それに向かって行くことの興奮の中で、主イエスは涙を流されたとされています。

    本当に、そうなのでしょうか。

    私個人としては、ちょっと違うなあと感じています。

    憤りや涙は、人間の不信仰に対するものだったのではないかなあと思います。

    死に立ち向かう興奮の中で涙を流すって不自然過ぎます。

    他の解釈としては、マルタやマリアへの共感として泣かれたとありますが、
    確かに、その点もあるかもしれませんが、根本的には、人間の不信心に対する
    無明と絶望に対する憤りや涙だったと理解しています。
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■8169 / inTopicNo.22)  信仰とは何か
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/23(Fri) 07:23:21)
    キリスト教の信仰も、イエス「への」信仰ではなく、イエス「の」信仰だと理解します。
    ヨハネ福音書11章における、イエスとマルタとの会話のズレはこの間の事情を端的に語っています。
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■8168 / inTopicNo.23)  Re[38]: たーぼーさんへ
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/23(Fri) 07:11:29)
    おはようございます

    >>「沈黙」の棄教についてですが、社会的なマニフェステーションとしては否定しても、内面で信じていれば、棄教ではないともいえます。本当の棄教は文字どおり、信を捨てること。仏教でも同じでしょう。仏陀にもダンマにも信をもっているのであれば、誰からも気づかれずに仏教の心で世俗を生きることは可能です。仏陀やダンマを内面でも捨てるのであればそれは棄教です。
    >
    > 歴史上の仏陀を信仰しようなんて私はこれっぽちも思いませんね。
    > 仏陀は目の前にいますよ。
    > この現象世界の至るところにいますよ。
    > だから頭で覚えておく仏教知識はもういらないです。
    > 人に教える時に必要になるから、まだ頭に入れてます。

    個人的には「信仰」という漢字の日本語が曲者です。信じて仰ぎ見る?なんか違う。日本語のマトリックスに仏教やキリスト教を捻じ曲げて矮小化していると思います。歴史上の仏陀を信仰すれば事足りるような仏教などそもそもないのでは?仏教の信とは、三宝の信でしょう。三宝というとキリスト教に接近するともいえるのが興味深いですが。
引用返信/返信 削除キー/
■8157 / inTopicNo.24)  Re[41]: たーぼーさんへ
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/22(Thu) 22:45:14)
    No8156に返信(パニチェさんの記事)
    > ■No8153に返信(たーぼーさんの記事)
    >
    >>私ね、パニチェさんが書いたこの2001年宇宙の旅の解説、賛成なんですよ。
    >>
    >>https://www.ni-club.net/panietzsche/index.html
    >>
    >>https://www.ni-club.net/panietzsche/index.html
    >
    >>この説明で行くと月(悟り)から木星(集合的無意識)に電波が送られるから、ロドリゴ(遠藤周作の沈黙参照)は信者の悲鳴を聞いて耳鳴りがしていたんだと思います。
    >
    > 2001年で描かれる木星のイメージですか。。。
    > 分かったと言えば嘘になりますが、返信ありがとうございました。

    物語の世界(概念の世界)に生きざる得ない我々にとって現象世界など泡のようなものです。
    本来は集合的無意識と言えば宇宙なんでしょうけど、現象世界でいえば木星になると思います。


    https://m.youtube.com/watch?v=iUopLywHk3E
引用返信/返信 削除キー/

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