| 自己レスで追記をすみません。
> @睡眠中に夢をまったく見ない状態に気づいている
山下さんがミャンマーでしたテーラワーダの修行での体験。 それと同様の深さ(深さという表現でいいのかどうかわかりませんが。)のものを、坐禅の禅定で得られるのかどうかが私にはわからないんです。 それはわからないのですが、しかし、坐禅で可能であるなら少なくとも山下さんはテーラワーダの修行を求めては行かなかったのではないか、というのを考えます。
しかし。坐禅においても、「思考は浮かんではこないけれど、無意識状態ではない。」という経験はすると思うのです。 私は坐禅はしませんが、「ただ座椅子に座ってぼーっとはしない」というのはたまにします。 すると、「思考は流れてこないけれど、無意識ではない」という時間がわずかにあります。 坐禅の上級者はその時間がかなり長いのだと想像します。
で、何が言いたいのかというと。 坐禅でも、気づきだけがある第五図、青空を知るというのは可能なのだろう、ということです。 内山老師や藤田さんは、当然、それに到達されていると思います。 ただ。「バージョンU」の本で、藤田さんが山下さんの経験について質問していることからわかるように、坐禅ではテーラワーダと同じような経験はしにくいかできない、のだろう、ということです。
私の少ない知識と経験をもとにした推論です。 いろいろと失礼があったならすみません。
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