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■11202 / inTopicNo.13)  Re[67]: 現象学の「現象」の意味
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/26(Fri) 19:58:11)
    〔それで、たとえば、「病気の現われ」といった言い方がなされる。そのさい指されているのは、肉体に生じた出来事のことであるのだが、このものは、おのれを示していながらも、こうした自己示現するものとして、おのれ自身を示さない或るものをその自己示現において「暗示している」。病気の現われといったような出来事の発生、つまり、そうしたものの自己示現は、なんらかの障害が実際に存在していることを伴っているのだが、その傷害はそれ自身おのれを示さないのである。したがって、「或るもの」の現われとしての現われは、おのれ自身を示すということを意味するのではけっしてないのであって、むしろ、おのれを示さない或るものが、おのれを示す或るものをつうじて、おのれを告げるということを意味する。現れることは、この場合には、おのれを示さないことなのである。だが、この「ない」は、仮象の構造を規定している欠性的な ない と混同されては、断じてない。現れるものというより、まさにそうした仕方においておのれを示さないものは、仮象することもけっしてできない。すべての暗示、表示、症候、象徴は、たとえそれらがたがいにさらに異なっているにしても、現われるということの前述の形式的な根本構造をもっているのである。〕
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■11201 / inTopicNo.14)  Re[66]: 現象学の「現象」の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/26(Fri) 19:57:37)
    ハイデガーの「ファイノメノン(現象)」の概念。『存在と時間』より。

    〔ギリシア語ファイノメノンは、「現象」という述語の語源であるのだが、それは動詞ファイネスタイに由来し、この動詞の意味は、おのれを示すということである。だからファイノメノンとは、おのれを示す当のもの、自己示現するもの、あらわなものということである。ファイネスタイ自身は、白日にさらす、明るみに出すという意味のファイノーの中動相(1)である。ファイノーは、ファという語幹に属しているのであって、その点では、光、明るさ、言いかえれば、或るものがそのうちであらわになりおのれ自身に即して看取されるようになりうるものを意味するところのフォースが、このファという語幹に属しているのと同様である。だから、「現象」という表現の意義として堅持されなければならないのは、おのれをおのれ自身に即して示すもの、つまり、あらわなものということである。そうだとすれば、「諸現象」のギリシア語ファイノメナは、白日のもとにあるもの、ないしは明るみに出されうるものの総体であって、このようなものをギリシア人はときとして単純にタ・オンタ(存在者)と同一視した。ところで存在者は、それへと近づく通路も様式に応じて、さまざまな仕方でおのれをおのれ自身のほうから示すことができる。それどころか、存在者が、おのれ自身に即してそれでない当のものとして、おのれを示すという可能性すら成り立つのである。こうした自己示現において存在者は「何々であるように見える」。そうした自己示現をわれわれは仮象すると名づける。そこでギリシア語においても、現象を言いあらわすファイノメノンという表現は、そのように見えるもの、「見せかけのもの」、「仮象」という意義をもっている。ファイノメノン・アガトンとは、善のように見えはするが――しかし「現実には」それが言明いているとおりの善なるものではないという意味である。現象概念をさらにいっそう了解するためには、ファイノメノンの二つの意義として名ざされたもの(自己示現するものとしての「現象」と、仮象としての「現象」)が、その構造からみて、いかにたがいに連関しあっているのかを見てとることに、一切がかかっている。或るものが、総じてその意味から言って、おのれを示すと、言いかえれば。現象であると言い張るかぎりにおいてのみ、その或るものは、おのれがそれでない或るものとしておのれを示すこともありうるのであり、「何々であるように見えるにすぎない」こともありうるのである。ファイノメノン(「仮象」という意義のうちには、根源的な意義(現象、すなわち、あらわなもの)が、第二の仮象の意義を基礎づけるものとして、すでにいっしょに含まれている。われわれは、「現象」という名称を、述語的には、ファイノメノンの積極的で根源的な意義に割り当て、現象の欠性的変様としての仮象から現象を区別する。しかし、これら二つの述語が言いあらわすものは、「現われ」とか、それどころか「たんなる現われ」とかと名づけられているものとは、差しあたっては全然なんら関係もない。〕

    (1)「中動相」というのはギリシア語において、能動相と受動相との中間的機能をもち形のうえでは受動相と多くの場合同じだが、能動的な意味をもち、働きが主語に返ってくる再帰的な意味をもった動詞のことである。

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■11200 / inTopicNo.15)  Re[65]: 現象学の「現象」の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/26(Fri) 19:54:43)
    「知る」っていうこともひとまず横に置いといて〜

    こううのここでOKなのかどうかわかんないだけど、パニさん。ちょっと試しのね。

    ハイデガーの『存在と時間』のなかに「現象という概念」と題してphenomenon(ファイノメノン)の意味が書いてある。こういうハイデガーの言う概念を知っておくことは現象学を理解するうえで参考になるってわたし思ってる。ところどころの抜粋ではそれが伝わらないとおもうので、ほとんどを紹介したいと思ってる。

    そこに書かれたることの意味を理解しようとしながらは時間かかるけど、タイピングだけならそんなに手間はかからない。

    んでね、字数ときりのいいとこで、ここで9回にわけて書き写して見るつもりなんだけど。わたしのまとめはその後でね。

    こういのダメだったら削除していいよ、パニさん。

    すでにタイピングしてあるので、いっきにいきま〜す。

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■11197 / inTopicNo.16)  Re[64]: 「知る」っていうこと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/25(Thu) 20:14:50)
    ソクラテスの「無知の知」っていうの、わたしも聞いたことがある。

    わたしなりに言いかえると「私は何も知らないことを知っている」かな?
    「知る」っていうことがどういうことなのかがわからないままの「無知」と「知」。
    彼は何を語っているのかしら?
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■11195 / inTopicNo.17)  Re[63]: 「知る」っていうこと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/25(Thu) 19:56:36)
    ふと

    わたし「フィロソフィア」を〈知ることを欲する〉とか〈知りたい〉ってして見てるるけど、そもそも「知る」っていうのどういうことなのかしら?

    たとえば、これは食べられるものである(食べちゃダメ、毒!)、とか、これは美味しい(不味い〜)、っていうのも〈知ること〉じゃない?

    哲学者が書いた本(訳本においても、解説本においても)、その本を読んでその哲学者が何を言ってるのかを〈知る〉っていうことと、どこがどのように同じであって違うのかしら? 次元が違う?
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■11186 / inTopicNo.18)  Re[62]: What do I want to do?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/24(Wed) 19:40:29)
    〈世界と人間〉を現象学的眼で見ようとすること、これがわたしのいまのto doかな?

    これまでニーチェのやカントのをちょっと覗き込んで見たけどちょっとそこから離れて、これからのはわたしがお喋りしたかった現象学の、ね。

    ニーチェクラブで現象学について語っても話し相手いないみたいだけど、わたしのために、で。

    あと、ここでミシェル・フーコーのも話題にのぼってもよさそうなんだけど、ま、いいわ。

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■11168 / inTopicNo.19)  Re[61]: 現象学の
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/23(Tue) 18:43:54)
    ここで現象学のを持ちだしても共存がないと思うんだけど、ちょっと書いちゃう。

    フッサールは「超越論的現象学」って言う。でも、カントの「超越論的」っていうのはわたしにおいては〈神のような〉だから、「神のような現象学」ってなってなんか違う、フッサールの現象学って、そういうんじゃないと思ってる。

    『デカルト的省察』のなかでフッサールは、
    【明らかに、客観的世界の存在の意味を構成して解明することによって第一の問題は、さしあたりこの原初的な「自然」と原初的な心身統一の起源を解明し、その構成を内在的超越として解明することである。】って言ってる。
    ここに書いてある「内在的超越として」が気になるのね。
    「超越」って〈○○を超える〉ってわたし見てるんだけど、○○に何を入れるか、によって見方が変わってくる気がしてる。

    たとえば、○○に「人間」を入れるとすると、カントのになるんかな?このばあい“神に対しての人間”っていうのが前提ね。でもここに「認識」を入れると話が変わってくる気がする。〈人間の認識を超えるもの〉、ん〜ん、神を前提として見てもいいんだけど〜、そういうんじゃなくて、「認識」を〈真正の知識・判断〉ってして、それを超えるもの、って見ることね。〈人間の“認識”を超えるもの〉を、「神」と見るんじゃなくて、とえば「本能」とか「自然」っていう語で表言するとかね。

    わたしのばあい、「本能」っていうの、No10926のように「動物(人間を含む)生まれつき持っていると想定されている、ある行動へと駆り立てる性質」ってしてる。これって、アプリオリ(生まれつき備わってるもの、経験によるものではないもの、先験的)っていうことになるって見てる。

    じゃ、フッサールのいう「内的超越」ってなに?ってなるんだけど、やめとく。

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■11167 / inTopicNo.20)  Re[60]: フッサールのとカントの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/23(Tue) 17:27:47)
    フッサールのとカントのと連関についてね。

    フッサールはカントのにおおきく影響されてるみたい。
    『デカルト的省察』のなかで「超越論的」っていうのやたら使われてるけど、フッサールが使う「超越論的」っていうの、カントのとは異なった意味で使われてるみたいなので、わたしのなかでややこしくなっちゃってる。

    たとえば、その一部を抜粋して見ますね。

    『デカルト的省察』(本文)
    【‥‥ここで、原初的世界に関わる研究の並外れて大きな複合群(これは一つの研究分野全体をなしていた)をまた、非常に広い意味で「超越論的感性論」(72)と呼んでも構わない。その際、このカント的な標題を借用するのは、理性批判〔『純住理性批判』〕における空間と時間の論証が明らかに、たとえまだ明らかにされていない、極めて制限された仕方においてではあれ、感性的直観のノエマ的なアプリオリ(73)を目指していたからである。カントの言うアプリオリは、純粋感性的に直観的な(しかも、原初的な)自然の具体的アプリオリへと拡張され、構成に関わる問題圏へ組み込まれることによって、現象学的−超越論的に捕捉されることが必要である。もっとも、それと対になる「超越論的分析論」(74)というカント的な標題をもって、構成に関わるアプリオリのより高次の段階、すなわち客観的世界そのものとそれを構成する多様なものもの(最高の段階においては、究極的には学問的な自然と世界を構成する「理念化」し論理化する作用)の段階を名づけるのは、その標題の意味にふさわしくないであろう。‥‥】(F-1)

    訳注(74)
    〔悟性に関わる「超越論的論理学」は二つに分かれており、悟性のアプリオリな認識要素を分解(=分析)するのが「超越論的分析論」であり、その誤った使用について論じるのが「超越論的弁証法」である。しかし、ここでもその名称を、フッサールはカントから離れて使おうとしている。ここでフッサールのカントに対する姿勢について、少し付け加えておこう。本書を大幅に改訂したドイツ語版を構想していたフッサールは、1931年フランクフルト、ベルリン、ハレの各カント学会で行った講演「現象学と人間学」を機に、1935年のウィーン講演およびプラハ講演を通じて『危機』の「新しい道」へと転じていった。それは、「デカルト的な道」に対して言えば、「カント的な道」と言えるかもしれない。しかし、フッサールは早い時期から、カントに学びながらも、批判的であり、『第一哲学』でもこう述べていた。「カントを現象学的な眼で見ることは、彼を新たに理解し直すことであり、彼の先を見通す直観の偉大さに驚くことであるが、かと言ってそれは、彼を模倣したり、カント主義やドイツ観念論の単なる復興を弁護することでは決してない」と。『危機』も、「カントの暗黙の前提」として「生活世界」を指摘するところから「新しい道」が始まる。〕

    「超越論的」ってなあ〜に〜?フッサール、何言ってるのかさっぱり〜っていう感じ。カントのを知っておかないと〜、って思って。
    わたしの調べ事や、pipitさまに教えてもらったことなどから、だいたいの雰囲気わかってきた感じ。

    んでね、カントの「超越論的」を〈神のような〉ってして、「超越的」を〈神の〉ってして見ることにしたら、けっこうわたしにわかりやすくなった。

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■11147 / inTopicNo.21)  Re[59]: What do I want to do?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/21(Sun) 19:44:52)
    ふと思ったんだけど、

    わたしのしたいを、
    〈人(私)の原初的な生のフィロソフィア〉ってしようかな、って。

    あ、これにしよっと。
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■11146 / inTopicNo.22)  Re[58]: What do I
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/21(Sun) 18:17:42)
    いつもいろいろありがとう。
    おかげでなんか、カントの、雰囲気的に分かってきた感じ。
    これからもよろしくお願いしますね。
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■11144 / inTopicNo.23)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/02/21(Sun) 14:42:35)
    こんにちは(^ ^)

    No11132
    >カントは自然科学的知識(認識・判断)は真理(普遍・必然)である。が前提にあるんだな〜って思った。
    次に「真理である自然科学的知識(認識・判断)はいかにして可能となるのか?」と、問いを進めてゆく。
    って、わたし見てる。<

    改めて考えると、確かにそういう面があるように思えたよ。

    『論点先取』とか『循環論法』とか呼ばれる論法になってしまうかもしれないね。(カント流ややこし論法で回避できてるかもしれないけどね。わたしにはまだわからないです。)

    wiki『論点先取』より抜粋引用
    『論点先取(ろんてんせんしゅ、英: Begging the question、羅: Petitio Principii)とは、証明すべき命題が暗黙または明示的に前提の1つとして使われるという誤謬の一種[1][2][3][4][5]。論点先取の虚偽(ろんてんせんしゅのきょぎ)とも言われる[6]。論点先取は、循環論法の誤謬と関連している。西洋での最初の定義としては、古代ギリシアの哲学者アリストテレスが紀元前350年ごろに行ったものが知られており、その著書『分析論前書』[7][8]や『詭弁論駁論』にある。』


    悪魔ちゃんの考察においては

    No11134
    > カントは、自然科学的真理がいかにして可能となるのか――〈真正な知識(認識・判断)〉が可能になることこと――に限られてはいるけど、人の意識のアプリオリな総合を考えている、ってわたし見ている。
    こういうところのカントの見方はわたしのうちに取り入れられる。
    わたしのと連関するところとわたしに思われるところを分けてひとまず抜粋してくことにしてる。<

    とあるように、真偽以前の、人の意識のアプリオリな総合、に焦点を絞った方が、悪魔ちゃんのフィロソフィアの目的に叶うかもだね。
    もしかして、現象学はそう言う方向なのかな?と思ったよ(^ ^)
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■11141 / inTopicNo.24)  黒ちゃん先生♪
□投稿者/ pipit -(2021/02/21(Sun) 10:04:47)
    黒崎政男先生『カント『純粋理性批判』入門』講談社選書メチエ、p184より引用
    『超越論的論理学、つまり『純粋理性批判』の基本的なねらいは、「対象についての我々の認識の根源」を問題とすることであり、ここでは、もはや個々の認識の真偽が問題なのではない。そもそも人間による客観的認識とはいかなるものでなければならないのか、ということ、そして、すべての真なる認識も偽なる認識をも可能にする条件を問題にしたのである。
     だから、〈超越論的真理〉に矛盾するような"認識"はそもそも認識ではない。それは最初から、真とか偽とかであるいかなる可能性も有してはいないのである。
     カントが確立した経験の地平は、したがって真なる認識も偽なる認識をも許容する、というか、むしろそれらを初めて可能にする地平なのである。
    この地平の上でのみ、我々は初めて認識の客観的妥当性を主張しうる。
    その主張はあるいは誤謬であるかもしれないが、この主張の修正・改変は、「超越論的真理」を前提にして初めて可能なのである。』

    同本p186
    『カントは「すべての経験的法則は、その起源を純粋悟性から導出することはできない(A127)と述べている。つまり、我々は自然をすべての経験から独立して「単に概念から」(B]X)認識することはできないのであり、そこには、経験において「与えられる」という感性の契機がどうしても必要なのである。』

    とりあえずここで引用終わるね。

    『純粋理性批判』上の真理観については、pipitもこれから勉強していくつもりなので、また『純粋理性批判を読んでみる』トピに関連する引用を投稿するかもです。

    今はここで、失礼するね
    おつかれさま!
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