(現在 過去ログ1 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■11231 / inTopicNo.1)  Re[3]: pipitさまへ
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/27(Sat) 17:31:24)
    pipitさま、こんにちは。

    ■11212の?の意味がよくわかんない。ごめん。

    >イチゴのショートケーキは、自分が自分に示したものを、自分が見てるものやの?<
    「イチゴのショートケーキ」が主語よね。「自分」っていうのは「イチゴのショートケーキ」のこと?ん〜ん、たぶん違うね。
    じゃ、現象学的眼で見て、
    「イチゴのショートケーキは、イチゴのショートケーキを示す当のものが、イチゴのショートケーキ自身のほうから示すとおりに、私が見ている」ん?こういうこと?ん〜ん、これもたぶん違う気がする。
    よくわかんな〜い。ごめんなさい。

    >世界の根本には自分しか存在しないの?それとも、自分と切り離され自分と無関係のイチゴのショートケーキは存在すると思ってるの?<
    「世界」自身が根本にあるってわたし見てるから、自分しか存在しない、とは思ってないよ。「自分と切り離され自分と無関係のイチゴのショートケーキ」っていうのもわかんないけど、実際今ここにないイチゴのショートケーキ、っていう意味で考えて見ると。pipitさまが「イチゴのショートケーキ」って書いたことによって、わたしの内にイチゴのショートケーキはわたしのうちに存在するようになる。わたしの記憶の中から、概念として表象されて存在する、って思ってる。また、今ここにない「イチゴのショートケーキ」、どこか別のところにある(たとえば今どこかのケーキ屋さんさんに置いてある)イチゴのショートケーキは、わたしのうちには存在しない、ってわたしは言うよ。

    ?の意味、いろいろ考えて書いて見たんだけど、こんなのしか浮かんでこなかった〜。

引用返信/返信 削除キー/
■11229 / inTopicNo.2)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ パニチェ -(2021/02/27(Sat) 17:19:34)
    No11227に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■11222、
    > おかげさまで、わたしの、の輪郭が見えてきた感じ。
    > パニさん、ありがとうございます。

    > もう少し見えるようにしたいので、
    > 「What do you want to do ? 2」お願いしたいと思いま〜す。

    了解しました。

    次回からは自動的に設置しまあすので、必要なくなったらストップの投稿をお願いします。

引用返信/返信 削除キー/
■11227 / inTopicNo.3)  Re[2]: パニチェさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/27(Sat) 17:13:42)
    ■11222、
    おかげさまで、わたしの、の輪郭が見えてきた感じ。
    パニさん、ありがとうございます。

    もう少し見えるようにしたいので、
    「What do you want to do ? 2」お願いしたいと思いま〜す。
引用返信/返信 削除キー/
■11222 / inTopicNo.4)  Re[1]: What do you Want to do?
□投稿者/ パニチェ -(2021/02/27(Sat) 11:19:43)
    「What do you Want to do? 2」設置しましょうか?
引用返信/返信 削除キー/
■11212 / inTopicNo.5)  Re[75]: 「現象学」の意味
□投稿者/ pipit -(2021/02/26(Fri) 22:36:11)
    こんばんは。

    悪魔ちゃん、前に、イチゴのショートケーキ食べてたやんね?

    悪魔ちゃんにとって、イチゴのショートケーキは、
    自分が自分に示したものを、自分が見てるものやの?

    世界の根本には自分しか存在しないの?
    それとも、自分と切り離され自分と無関係のイチゴのショートケーキは存在すると思ってるの?

    本からの引用なしで、悪魔ちゃんの文章で、悪魔ちゃんの考えを書いてくれたらうれしいです。
引用返信/返信 削除キー/
■11209 / inTopicNo.6)  Re[74]: 「現象学」の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/26(Fri) 20:09:00)
    最後に、このよなことから「現象学の予備知識」と題して書いてあるところのがじめのところを。
    【「現象」と「学」とについて学的解釈において明らかにされたことを具体的に思い浮かべてみるとき、これら二つの名称でもって指されているものの間の或る内的関連が、はっきりとする。現象学という表現をギリシア語で言い表せば、レゲイン・タ・ファイノメナとなるわけだが、しかし、レゲインとはアポファイネスタイのことなのである。そうだとすれば現象学は、アポファイネスタイ・タ・ファイノメナ、すなわち、おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせるということにほかならない。これが、現象学とみずから称する研究の形式的な意味なのである。だが、そのように言い表されているのは、さきに「事象そのものへ!」と定式化された格率以外の何ものでもない。‥‥】

    以上でで〜す。

    誰も読まないと思ってるから、おそらく削除ないと思う。

    わたしのまとめは後でね。
引用返信/返信 削除キー/
■11208 / inTopicNo.7)  Re[73]: 現象学の「現象」の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/26(Fri) 20:02:52)
    【ところが、おのれを示すものがどのように立ち入って規定されうるかは別として、現象学的な現象概念が総じて了解されるべきであるなら、そのためには、形式的な現象概念の意味を見ぬき、またこの形式的な現象概念が通俗的な意義において正当に適用されるときの意味を見ぬく洞察は、避けがたい前提である。――現象学の予備概念を確定するに先立って、いかなる意味において現象学がそもそも現象に「ついての学」でありうるのかが判然となるために、ロゴスの意義が限界づけられなければならない。】
引用返信/返信 削除キー/
■11207 / inTopicNo.8)  Re[72]: 現象学の「現象」の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/26(Fri) 20:02:17)
    【現象概念がこのように解されたとしても、いかなる存在者が現象とみなされるのかが規定されないままであるなら、だからまた、はたしておのれを示すものは、そのつど、一つの存在者であるのか、それとも存在者の一つの存在性格であるのか、そもそも未解決のままであるなら、もっぱらえられているのは形式的な現象概念にすぎない。だが、おのれを示すものが、たとえばカントの意味で経験的直観を通じて近づきうる存在者のことだと解されるなら、このさいには、形式的な現象概念は正当に適用されるにいたったのである。このように使用されたときの現象は通俗的な現象概念の意義をかなえている。しかし、この通俗的な現象概念は、現象の現象学的な概念ではない。カント的な問題性の地平のうちでは、現象学的に現象と解されているものは、その他さまざまな相違を保留すれば、次のように例示されることができる。すなわち、現れにおいて、つまり、通俗的に解されてた現象において、たとえ非主観的にではあっても、そのつど先行的に、また同伴的に、おのれをすでに示しているものは、主題的に己を示すにいたりうるのであり、そして、おのれをこのようにおのれ自身に即して示すこのもの(「直観の形式」)こそが現象学の現象である、と。なぜなら、カントが、空間はなんらかの秩序がそのうちでみられるア・プリオリな場であると主張するとき、この主張でもってカントが、一つの事象的に根拠づけられた超越論的陳述を要求しているかぎり、空間および時間が、おのれをこのように示しえなければならないことは、つまり、現象になりえなければならないことは、自明であるからである。】
引用返信/返信 削除キー/
■11206 / inTopicNo.9)  Re[71]: 現象学の「現象」の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/26(Fri) 20:01:46)
    【現象――おのれをおのれ自身に即して示すこと――は、或るものが出会われるときの或る際立った様式を意味する。これに対して現われは、存在者自身のうちに存在している指示関連にほかならないのだが、しかもそれは、指示するもの(告げるもの)がおのれの可能的な機能を果たしうるのは、その指示するものが、おのれをおのれ自身に即して示すとき、つまり、「現象」であるときだけであるというふうな指示関連なのである。現れと仮象とは、異なった仕方においてそれ自身現象のうちに基礎づけられている。「諸現象」は、現象、仮象、現われ、たんなる現われといった名称で呼ばれているのだが、そうした「諸現象」の混乱した多様性がその混乱からまぬがれうるのは、現象という概念が、おのれをおのれ自身に即して示すもののことだと、初めから解されているときだけなのである。】
引用返信/返信 削除キー/
■11205 / inTopicNo.10)  Re[70]: 現象学の「現象」の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/26(Fri) 20:01:12)
    【「現われ」が、おのれを示すものをつうじておのれを告げるものという意義のものであるときには、そうした「現われ」にとっては現象というのは構成的であっても、しかしこの現象が仮象へと転化して欠性的なものになりうるのであって、そのかぎり現われもまたたんなる仮象になりうる。特定の照明をうければ誰でも、赤らんだ頬をしているかのように見えるのだが、おのれを示すそうした赤らみは、熱が実際にあることの告知だと解されることもできるのであって、それ自身としては、さらにはまた身体に障害があることを暗示するのである。】
引用返信/返信 削除キー/
■11204 / inTopicNo.11)  Re[69]: 現象学の「現象」の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/26(Fri) 20:00:35)
    【「現われ」という表現は、それ自身これまた二重の意義をもつことができる。すなわち、第一には、おのれを告げはするが、おのれを示さないという意味での現れるということであり、第二には、告げるもの自身のことである――ただし、この告げるものは、このものがおのれを告げることのうちで、おのれを示さない或るものを暗示するのである。さらに最後に、ひとは、現れることを、己を示すこととしての現象という真正の意味をあらわす名称として、使用することがある。ひとがこうした三つの異なった事態を「現われ」として表示するなら、混乱はさけられなくなる。
    だが、こうした混乱は、「現われ」がもう一つ別の意義をおびることができることによって、さらに本質的に高まる。告げるものは、あらわれではないものをおのれの自己示現において暗示するのだが、こうした告げるものを、ひとが、それ自身あらわれでないものに即してあらわれ出てこのものから放射してくるものだと解し、しかも、このあらわれではないものが、本質上けっしてあらわにならないものだと考えているときには――現われは、外へ生みだすこと、ないしは外へと生みだされるものと同然のものを意味することになり、ただし、この外へと生みだされたものは、外へと生みだすものの本来的存在をなすものではないことになる。すなわち、それは「たんなる現われ」という意味での現れにほかならない。外へ生みだされた告げるものは、なるほどおのれ自身を示しはするが、ただしそのとき、この告げるものは、おのれが告げる当のものの放射といて、このものをまさしく不断におのれ自身に即して遮蔽するというふうに、おのれ自身を示すのである。しかし、このように遮蔽しつつ示さないことは、これはこれで仮象ではない。カントは現われという述語をこうした繋ぎ合わせにおいて使用している。現われとは、カントにしたがえば、一つには、「経験的直観の対象」、つまり、経験的直観においておのれを示す当のもののことである。この己を示すもの(真正の根源的な意味での現象)は、それを同時に、おのれを現われにおいて秘匿する或るものから放射して告げることとしての「現われ」でもあるのである。】

引用返信/返信 削除キー/
■11203 / inTopicNo.12)  Re[68]: 現象学の「現象」の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/26(Fri) 19:59:22)
    〔たとえ「現われること」が現象という意味での自己示現ではなく、またけっしてそうではないにしても、それでも現れるということは、或るものの自己示現という根拠にもとづいてのみ可能なのである。しかしこの自己示現は、現れることをいっしょに可能にするものではあっても、現われること自身ではない。現れることは、おのれを示す或るものをつうじて、おのれを告げるのである。そうだとすれば、「現われ」という語でもってわれわれが指示しているのは、或るものがそこで現れていながら、それ自身は現われであることのない或るもののことだと、そうひとが言うなら、このことで現象という概念が限界づけられているのではなく、前提されているのだが、しかしその前提は隠蔽されたままなのである。というのは、「現われ」のこうした規定においては、「現われる」という表現は二重の意義に使用されているからである。或るものがそこで「現われる」当のものとは、或るものがそこで己を告げるということ、言いかえれば、おのれを示さないということにほかならない。しかも、「それ自身は『現われ』であることのない」という言い方においては、現われはおのれを示すことを意味している。だが、こうした自己示現は、或るものがそこでおのれを告げる当の「場」に、本質上属しているのである。したがって現象は、けっして現われではないが、あらゆる現われはたしかに現象に依拠している。ひとが現象を「現われ」という、かてて加えて不明瞭な概念の助けをかりて定義づけるなら、一切が無茶苦茶になってしまい、だから、こうした地盤にもとづいて現象学に対してなされる「批判」が奇妙な企てであることは、言うまでもないのである。〕
引用返信/返信 削除キー/

次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -